第八十八話
頭がずんと重くて、ぐるぐる回るような目眩がする。馬車で酔ったときみたいだ。
それでもゆっくり目を開ける。
空気がひんやりしているなと思えば、私は石造りの牢の中にいた。寝かされていた粗末なベッドから起き上がり、牢の中をゆっくり見回す。到底抜け出せない高さにある小さな格子窓から、静謐な月光が差し込んでいた。
牢の中にクーアの姿はない。私ひとりきりである。
ベッドから降りようとして、
「ふぎゃあっ」
私は服の裾を踏んづけて盛大に転んだ。ついでに尻尾を踏まれた猫みたいな声を出してしまう。
そんなに布が余るような服装はしていなかったがどういうことかと思いながら、よろよろと立ち上がる。
すぐに違和感があった。
視界が低い。
いつもよりも、かなり低い。
「なんだこれは」
呟いた自分の声も違っていた。
正確には、『大人』の私の声ではない。子供の頃、声変わりをする前の声だ。
きちんと体を確認しようと、バクのローブを脱ぐ。視界に映るようになった私の体は随分と縮んでいて、完全に子供のそれだった。年齢にして、十歳くらいだろうか。
背が伸びるのが遅かった私にとって、大人の服は大きすぎる。袖や裾を何度も折り返してせめて長さを合わせようとするが、かなり折った布地がまるで錘のようだった。情けない姿に少々悲しくなる。
バクのローブももちろん大人の体に合わせたサイズなので、羽織り続けるわけにもいかない。畳んで抱えた。
あらためて牢の中をチェックする。目についたのは、備え付けの小さな机だ。ガラス製の水差しとコップが置いてある。囚人に与えるものとしてはけっこういいもののような気がした。少なくとも昔クーアが捕まっていたときに見た水の差し入れ方とは雲泥の差である。匂いを嗅いでみるが、特に変な様子もない。
喉がからからだったので水をコップ一杯ゆっくり飲むと、胃袋が空腹を訴えてきゅうっと痛んだ。キールたちのことが心配であまり食事が喉を通らない一日ではあったが、それにしても空腹が過ぎる。
わざわざ殺さず捕らえたからには、ついでに夜食もくれないだろうか。清潔な飲み水を用意してくれるくらいだから、ちょっとなにかつまむものもくれると嬉しい。
空腹についてぼんやり考えていたら、足音が聞こえてきた。それに伴い、明かりが近づいてくる。
照明魔術の光球を手に姿を現したのは、メイド服姿の女だった。
見た目は二十代半ばくらい。白い肌とゆるく編んで垂らしている亜麻色の髪が、全体的な雰囲気を柔らかにしている。魔法が使えるからにはなにかしらの魔物なのだが、特別目立つ種族的特徴が見当たらないので種族はまったく分からない。
「よかった、目覚めたのですね。丸一日眠っていたので、心配していました」
牢の前に立ち、メイドの女は穏やかな笑みを浮かべた。ふわふわとした甘い声は、私が意識を失う前に廃墟で聞いた声によく似ている。
私は丸一日眠っていたのか。それならこの喉の渇きや空腹感も頷ける。食事が不足しているのだと頭が理解したら、腹の虫が控えめに鳴いた。そうだな、水だけでは虚しい。ちゃんと食べ物が欲しい。
「体もちゃんとあったのですね。触っている感覚はあったのですが見えなかったので、どうなっているのか不思議だったんです」
女が私の体を視認できなかったのは、私がバクのローブを羽織っていたからだ。胸の留め具を外さないかぎり、ローブは私の体を隠してくれる。それをこの女が知らなかったとしても、特別無知というわけではない。むしろ知っている方が珍しい。
「食事は食べられそうですか?」
「その前に教えてくれ。ここはどこだ?」
いくら腹が減っているとしても、私の大切な二人について情報を手に入れる方が先だ。
それにしても……子供の声だから、私がなにを言ってもいまいちかっこうがつかない。たぶん私が真正面から見据えている姿も、微笑ましい絵にしかなっていないと思う。
自分で言うのもなんだが、私はとても可愛らしい外見の子供だったから。
現に、女が怯んだ様子はみじんもない。
「ここはイオリ様の城です。あなたはなにをしにここへ?」
「友人を探しに来たんだ」
この場所が私が少しばかりいた廃墟と同じ場所かは分からないが、まずは牢から出してもらわなければクーアとキールを探すどころではない。廃墟でもこの女に似た声に同じような質問をされた気がしたが、面倒くさがらずにきちんと答えた。
「友人、ですか?」
「そうだ。クーアという夢屋と、キールと言う吟遊詩人の二人組だ。ここに来ていないか?」
私の言葉に、女が微笑みと共に頷く。
「ええ、いますよ。二人ともこの城で働いてもらっています」
路銀でも尽きて働いているのかと一瞬考えたが、もしそうだとしたらキールは私に助けを求めたりなどしないはずだ。だとすれば、強制労働をさせられているのではという答えに辿り着く。
「その二人を解放してもらいたい」
黒い疑惑は漂っていてもまずは正攻法を試さなければ。そう考えて頼んでみたが、女はすぐにゆっくりと頭を振った。
「いいえ、それはできません」
「二人がなにか罪でも犯したのか?」
「そうではないのです」
穏やかな声で、女が言葉を続ける。
「キール。あのハルピュイアの方は、病で臥せっている姫様のそばに仕えてもらっています。姫様もそれはお気に入りの様子で彼の歌をずっと聞いていますので、いなくなられるととても困るのです」
つまりキールは、姫様のわがままから逃れたくて私のところにあの風切羽を必死で飛ばしてきたのか? ありえない。そんな理由でしかないのだとしたら、キールは私に助けを求めるより先に、あらゆる方法を使いクーアを連れてさっさと逃げている。
「もうひとりはクーアといいましたか。あの子だけであれば、まあ、お返ししても構いませんが」
「二人だ。二人とも返してくれ」
クーアをなくてもいいもの扱いするな。たしかにできることは少ないかもしれないが、彼女だって精一杯生きている。
「困りましたねえ」
女がうっすら苦笑いを浮かべた。まるで私の言葉を子供のわがままと捉えているような表情だ。温厚な私もさすがにかちんときたが、ここで感情のままにふるまえばそれこそただのキレ散らかした子供でしかない。
なんとかして穏便に二人を取り返せないかと悩む私の前で、女が明るい声を上げた。




