第七十八話
ベルに連れ帰ってきてもらった夕暮れの浜辺で人魚たちに囲まれ、結果を報告する。ヘルミーネとティキの話になると皆が揃って「ああ……」と暗い声を漏らしたので、ヘルミーネの変貌ぶりはひどいもののようだ。
ベルに礼を言って、浜辺を後にする。まさかこんなに時間がかかるとは思っていなかったので、もうすぐ夕食の頃だ。海水でびしょびしょになっていたので魔法で乾かしたのだが、なんだか磯臭い。それでも帰宅前に寄りたい場所があった。
もう塩ジェラートでどうにかなるような空腹ではない。屋台のサバサンドで腹を膨らませてから、ケーキ屋に向かう。私が食べるわけではないシュークリームを三つばかり包んでもらい、知人の魔道具屋がある職人通りを目指す。この通りはどの店も早起きなので、とっくに店じまいをしていて静かなものだ。
私が目指す店は、通りの中ほどにあった。閉店という看板は下がっているが、窓から見える店内には人の気配がある。案の定ノックをしてドアを開けると、鍵はかかっていなかった。
「今日は閉店だよ」
ドアを開けてすぐに飛んでくるのは、気難しそうなしゃがれた男の声だ。薄暗い店の中にある作業台には明かりが灯り、ひとりのドワーフがコンコンとなにかを叩く小さな作業音を響かせている。
「仕事の依頼で来たのではないから、お邪魔しても構わないかね?」
私の言葉にコン、と作業音が途絶えた。ドワーフがゆっくり顔を上げる。彼らに多いずんぐりとした体型のドワーフは、ひげもじゃの赤ら顔にかけていた眼鏡を外すと「おお」と明るい声を上げた。
「エルクラートじゃないか。またバンシーの髪が手に入ったのか?」
以前私が売ったバンシーの髪で一儲けできたようで、ドワーフ――オリバーの機嫌はいいようだ。
「いや、今日はシュークリームだ」
「ふむ。なかなかだな」
オリバーは大酒飲みの見た目こそしているが、下戸だ。一滴も飲めない。その代わり甘いものが大好きだ。
作業台には近づかない。ドワーフは己の作業スペースに他人が近づくのをとても嫌がる。代わりに客用のソファへと腰かけた。薄暗いものの、夏の夕暮れなのでさほど暗くて困るというものでもない。
オリバーが店の奥に引っ込む。水音がしたので、手を洗っていたようだ。シュークリームを食べる用意が整った彼がソファの隣に腰かけると、私は彼の好物入りの箱を渡した。
「それで、今日はどうした?」
箱の中を見て目を細めながら、オリバーが問うてくる。こちらの磯臭さは特に気にしないようだ。ドワーフは見た目にさほど細かい要求をしてくる性格ではないので、こういうときは助かる。
「最近人魚の素材を仕入れた魔道具屋があるといった話は聞いていないか?」
「商売敵に関する情報を訊くかねえ」
「その為のそれだ」
「まあ、おまえさんがタダでなにかくれた試しはないもんな」
さっそくシュークリームをひとつ取り出して、オリバーが食べ始める。シュークリームに振りかけられていた粉糖がオリバーのもじゃもじゃヒゲについて、雪のようだ。
「魔道具屋の話は聞かんが、人魚の密漁で捕まったやつならいたぞ。素材を売りに来て通報されたんだ。ほれ、夜中でも素材の買い取りをしてる店がこの通りの端にあるだろう? あそこに来たんだと。馬鹿なやつもいたもんだよなあ」
それにしても、とオリバーがひと呼吸おいて続ける。
「その素材ももったいない話だよ。正規ルートだったらきちんと加工されて魔道具になっただろうに。まあ、もうこの国にはほとんどの人魚の材料を仕入れる正規ルートなんてないんだが」
素材をもったいないと思うのは、きっとオリバーがドワーフだからだ。
「その人魚の性別は分からないかい?」
「さあな。さすがにそこまでは分からんよ。なんだ、人魚の彼女でもできたか?」
「そういうわけじゃないんだが……」
オリバーは私が泳げないのを知っているのに、いったいその発想はそこから出てくるのだ。
「他に人魚の密漁について知ってる話があったら、教えて欲しいんだが」
「そうだなあ……」
シュークリームももう一口かじり、口元をもぐもぐさせながらオリバーが天井を見上げる。
「ああ、そういえば密漁者が捕まえた人魚はひとりだったな。押収された素材を俺が鑑定したんだ」
オリバーはこの職人通りでも古株なので、そういった仕事も舞い込んでくる。彼が知り合いでよかった。
「すっかりバラされた後で性別は分からなかったが、間違いなくひとり分だった。ひどいバラし方だったよ。あんなぼろぼろにしてしまうくらいなら、捕まえたそのままで店に連れてくればいいのに」
人魚が加工されると分かっていてほいほい店についてくるわけはないし、抵抗する人魚を運び込んだらそれはそれで目立つ。それが分かっていてオリバーも言葉にしている。ドワーフジョークというやつだ。
「で、今度は人魚の髪でも持ってきてくれるのか?」
オリバーに言われて、ふとベルの顔が浮かんだ。そういえば彼女は人魚にしては珍しくショートカットだったなと思っていて、気づいた。
人魚の髪を使う魔道具といえば、傀儡の轡。ティキがつけられていたものだ。
もしかしてヘルミーネは、ベルの髪を使ってあの魔道具を作ったのか? だとすればベルがヘルミーネの変貌ぶりにドン引きしていてもおかしくはない。
「ついでに訊かせて欲しいんだが、人魚から魔道具の注文を受けた同業者の話はないか?」
「そんな珍しい客がこの辺を歩いていたら、今頃大騒ぎだよ。そんな話はさっぱり訊かなかったねえ。……それにたぶん人魚たちは、自分たちの町でどうにかしてるんじゃないか?」
「というと?」
「人魚の中にも魔道具職人はいるんだ。俺たちが作るものとレシピが全く同じってわけじゃないが、コアとなる素材だけは同じだ。人魚が注文するなら、そういうやつらだろうさ」
オリバーはゆっくりシュークリームをひとつ食べ終えると、箱を閉じた。ポケットから取り出したハンカチで口元を拭う。
「さて、もうひと頑張りするか」
「ありがとう、参考になったよ」
「またなんかあったら来るといい。今度はおまえさんの焼いたワッフルを持ってな」
「考えておこう」
これ以上私も訊きたいことはなかったので、オリバーの店を出た。




