第七十五話
相変わらずピケの悪夢に取り込まれそうになりながら日々は過ぎ、ついにピケの捜索最終日となった。ピケの悪夢も、瓶の四分の一ほどしか残っていない。
特別ピケの気配を感じるような出来事があるわけでもないごく普通の午前中の営業を終えようと、『休憩中』の看板を手に入り口のドアを開ける。
夏の眩い日差しが降り注ぐそこに、ピケがいた。
黒と白のハチワレ柄に、目を惹く首の赤いスカーフ。なで肩からずり落ちない不思議な肩掛け鞄。どう見てもピケだ。
「ニャハハ、ノックする手間が省けましたニャ」
ピケがのんきに笑う。その姿は薄味の悪夢のように透けているとか現実味がないなんてことはなく、足下にもきちんと影があってピケという存在をしっかり形作っていた。
「ピケ、なのか?」
「いかにも! スティアアカデミー期待の星、ピケなのニャ! 名前覚えていてくれたのかニャ。嬉しいですニャア」
にこにこしているピケを見ていると、とても彼が幽霊だとは思えない。こんなに元気いっぱいの幽霊もいるのか。魂の風化に合わせて喜怒哀楽が失われていくというのが生者から抜け出た幽霊の常として記憶していたので、幽霊といえば陰気臭いものだとばかり思っていた。だがこのピケの幽霊を見るかぎり、認識を改めた方がよさそうだ。
「まあ、なんだ。中に入るといい」
「ありがとうなのニャ」
他の客が入ってこないようドアの外に『休憩中』の看板を下げて、ピケを店内に招き入れる。とてとてと小さな足音をさせながら店内に入ると、ピケはぐるりと周囲を見回した。ピケの陽気さを見ていると怪しいものだが、ケット・シーと言う種族は警戒心が強い。こうしてこまめに周囲を見回すのが癖になっている者が多かった。
「今日はどうした? きみの悪夢なら、先日全て取り出したが」
「別の悪夢を食べて欲しいのですニャ。とても怖い夢なのですニャ」
ピケはまるで生きているようなことを言う。自分が死んだと理解できていない者も少なからずいるので、ピケもそういった類になってしまっているのかもしれない。
「……ピケ、きみは死んでいるのだろう?」
ピケをかわいそうだと思う気持ちはあったが、幽霊の戯れに付き合って薄味の悪夢を食べる気はなかった。それにピケの霊をいつまでも放浪させていたら、そのうち理性を失って悪霊になるかもしれない。
「時間というものを刻まなくなったきみは、もう夢を見ない。きみが喰らって欲しいというその夢は、まやかしだ」
ピケの顔から、笑顔が消えた。
「ピケ、きみは今どこにいる? 周囲に目印になるようなものはないか?」
「僕は……僕は、死んでなんかないのニャ」
震えた声でピケが言う。その言葉に、嘘探知の魔術は反応しない。この魔術は精神を対象としているので、ピケが魂だけの霊だとしても問題なく作動する。それなのにまったく反応しないということは、ピケは間違いなく真実を語っている。
「僕、死んでないのニャ。ちゃんといるのニャ」
「どこに?」
「ここですニャ。ここはとても暗くて寒いのニャ。それもこれもあいつが、あいつが、あいつが、あいつが、あいつが!」
ピケが頭を抱え、いやいやをするように頭を振る。
「僕はここにいるのニャ! 僕を、僕を見つけて欲しいのニャ! でないと一生……!」
ふ、とピケの姿が煙のようにかき消えた。それまでピケがいた場所に、小さな水たまりができている。
店内でピケは嘘をつかなかった。今もどこかで生きている彼は、生者の魂が一部分だけ抜け出た生き霊になって来店したのだ。
ピケは暗くて寒いどこかで、なにかに怯えながら生きている。
ピケの霊についてココ先生に伝えるにしても、もう少し手がかりが欲しい。暗くて寒いというだけでは、場所の特定材料にならない気がする。
誰か、変わった場所に流れ着いているケット・シーなどについて心当たりがある者はいないだろうか?
考えを巡らせていて、私はある種族を思い出した。
人魚だ。
ちょうど今は夏。この時期、イリュリアの浜辺では人魚の群れが日光浴をしている。海で暮らす彼らならば、なにか知っているかもしれない。上半身が人で下半身が魚という外見の彼らは、見た目のとおり人語を解するから会話もたやすい。
腹は空いていたがピケの生き霊についてそのままにするのも気持ち悪くて、私は戸締りをするとさっそく浜辺へと出かけた。トラキア山脈から吹き下ろす涼風は心地いいが、やはり夏の真昼間だけあって日向はじりじりとした暑さを感じる。
市街地から少し離れている浜辺は、海水浴の客で賑わっている。その浜辺の一角に人魚たちはいた。この種族はエルフ同様美男美女揃いなのだが、大きな問題がある。
陸に上がって体が乾くと、下半身が人型になるのだ。
しかも普段は海中で暮らしているがゆえに、服を着るという習慣がない。
つまり、浜辺に全裸の美男美女が集団で転がっている。
非常に目のやり場に困る光景だが、人魚と話すからにはそれを我慢しなければならない。ひとつだけ小さなため息をつくと、私は日光浴をしている人魚たちへと近づいた。特にどの人魚と話をしようとは決めていないので、一番近くにいた女の人魚に話しかける。
「くつろいでいるところすまないが、半月ほど前にあった大きな嵐の日について話を聞かさせもらえないか?」
瑞々しさを感じさせる緑色の髪を長く伸ばした色白の人魚が、こちらに視線を向けた。その瞳もまた緑色で、こう言ってしまってはあれなのだが、ちょっと茹でたワカメに見える。彼女の髪も瞳も、人魚には多い色だ。この色のおかげで、まだ人魚という種族の姿が珍しかった頃は、頭からワカメを生やした魚人だと思われていた。
私を見た人魚は気だるげな雰囲気を漂わせていたが、突如その双眸がカッと見開かれた。
「イケメン!」
人魚の大声に、寝転がっていた他の人魚たちが一斉に起き上がった。
「マジで! どこ!」
「うわ、イケメン!」
「いい男!」
「ねえ脱いで脱いで!」
その美しい外見にとんでもないプライドがある人魚たちは、自分だけではなく他者の容姿にもなかなか厳しい。そんな彼らに露骨な拒絶反応をされなかっただけましなのだが、そこまで騒がなくてもいいではないか。それに「脱いで」とはなんだ、「脱いで」とは。絶対脱がんぞ。バクは過度な肌の露出を嫌うのだ。
起き上がった人魚たちが、男女問わずわらわらと集まってくる。
「ほう、いい頭蓋骨の形だね。筋肉は少し少ないようだが、姿勢の歪みはないね。素晴らしい」
「うんうん、肌も綺麗だ。正しい食生活の賜物といったところかな」
至近距離まで迫ってきた男の人魚たちが、私をべたべた触りながら満足そうな声を出す。とりあえず勝手に触らないで欲しい。あとたぶん容姿に厳しい種族であるきみたちがすべきは、他種族の男の観察ではない。他種族の男なんぞに盛り上がっている女たちを見て、軽く嫉妬するという反応の方が正しい気がする。
人魚にたかられている私は、きっと海水浴客からも注目されているだろう。さっさと話を終えて、この浜辺から立ち去りたい。ああでも、人魚ひとりひとりに声をかけて回る手間は省けたか。
「……半月ほど前にあった大きな嵐の日を覚えている者は、誰かいるか?」
相変わらず人魚たちには代わる代わる触られ放題ではあったが、話を聞かせてもらうのだからとぐっとこらえて問う。
「ああ、あの嵐か」
「ひどかったねえ」
「船から人間たちがぼろぼろ落ちて悲惨だったよな」
「泳ぐのが下手って、ほんと大変」
人魚たちの意識を、私から嵐に逸らせるのに成功した。私を触りまくるのをやめてくれた人魚たちが、わいわい口を開く。どうやらピケが行方不明になった嵐を知っている群れに当たったようだ。運がいい。
「その嵐で、船から落ちたケット・シーが行方不明なんだ。おそらく赤いスカーフを首に巻いている。今は暗くて寒い場所にいるようなんだが、このケット・シーがについてなにか知っていることがあれば教えて欲しい」
「あたし知ってる!」
すぐに声を上げてくれたのは、若い女の人魚だった。瑞々しい緑の髪も白い肌も人魚には多いものだが、髪をばっさりショートカットにしている。美しいロングヘアに誇りを持つ人魚にしては珍しい。けれども似合っていないわけはなく、活発そうな明るい雰囲気は人魚の姿として非常に新鮮だった。
「そのケット・シーって、ピケって名前でしょ?」
「そうだ。そのケット・シーだ」
人魚が名を知っているからには、やはりピケはまだ生きているのか。希望を抱きそうになって、思いとどまる。人魚に助けられはしたものの虫の息ということもあるのだ。
「あたし案内するよ」
「ちょっとベル! あそこは近づいたら駄目だって、ヘルミーネ様に言われてるじゃないっ」
「平気平気。ちょーっと入るだけだからさ」
他の人魚の制止も聞かず、ショートカットの人魚ベルが私の手を握る。
ピケの居場所は問題ありか。ただ行けば済むものでもなさそうでつい嫌だなあと思ってしまうが、この海のどこかで生きていると知ってしまった以上は最後まで調べないといけない気もしてくる。
それに先日ピケからもらった藍晶石は、かなりの大きさだ。彼の夢喰いをする対価としてはややもらいすぎたくらいなので、その分ピケに悪夢に関する異常が出ていないか確認しなければいけないなんて考えてしまうのだ。
「ねえバクさん、お名前は?」
きらきら目を輝かせながら、ベルが私を見上げてくる。
「エルクラートだ」
「それじゃあエルクラートさん、行こっ!」
言うなり、ベルが私の手を引っ張って海に走り出した。突然の勢いに抵抗する間もなく海へ引っ張り込まれたが、このまま行くわけにはいかない。腰まで海水に浸かりながらも、私はなんとか立ち止まった。
「待て、ちょっと待ってくれ!」
「えー、なあに?」
「私は泳げない。ピケについては知りたいが、溺死はごめんだ」
「大丈夫! あたしに任せて!」
「おい待て、なにが『任せて』だ!」
人魚の下半身は、濡れると魚に戻る。大きな魚が思い切り泳ぐ力に勝てるはずもない。足元がさらさらとして砂地ということもあり、私はベルによって一気に海へと引きずり込まれた。




