第七十話
朝から夏の日差しが降り注ぐイリュリアは、今日も穏やかな時間が流れている。色鮮やかになった青空を見上げるたび、クーアが旅立った日を思い出した。
開店直後に郵便屋が届けてくれた分厚い手紙を手にして、時の流れを感じる。
あの雛鳥が巣立ってから、そろそろ一年か。
そう、クーアの誕生日が近い。早いものだ。この一年で少しは落ち着きのある性格になったかと考えて、すぐにそれはないなと小さく笑ってしまった。最近思うのだが、クーアはいくつになってもあの性格のような気がする。しおらしくなったクーアなど想像できない。まあいいか。あの性格がクーアの個性なんだから。
客が来るまでの間の楽しみにと、ロッキングチェアに腰を下ろして手紙を開封した。キールの名で届いた分厚い手紙には、今回もクーアとキール二人分の手紙が入っている。もちろん最初に開くのはクーアだ。
ころんとした丸い字が綴っていたのは、ちょっと意外な話だった。最近クーアは、キールからカード占いを教えてもらったそうだ。
そういえばあいつはそんなこともできたな。
手紙でクーアは、カード占いの結果をもとに夢を買う客が増えたと喜んでいた。占いをもとにして夢屋を利用する客もいるから、特別目立つものではない。それに占いが外れようが法律上なんの問題もない。クーアが違法な夢屋として目をつけられる可能性などこれっぽっちもなかった。
というか、今までクーアはトークだけで夢を売っていたのか? 私が知る限りクーアはそこまで物を売る才能はなかったような気がする。しかし彼女が過去に二人の客を私の店に連れてきたのは間違いない。見かけによらずしっかりしているところがあるのだなと、クーアに対する評価を改めた。
だが今回の手紙は、占いの話だけでは終わらなかった。
なんと、クーアが新しい魔法を覚えたのだ。
透視魔法。
私がドアの向こうを確認するときに使っているのと同じものだ。やはり目元を隠そうと目深にフードを被っている状態は不便だったと思える。
手紙にはその他にもキールの珍行動や、旅先で食べた料理の話などが、活き活きとした文章で綴られていた。辛いだとか、帰りたいだとか、そういった類の言葉はひとつも見当たらない。代わりに綴られている言葉は、「次の町が楽しみ」だ。私を恋しがる様子がないのは若干寂しいが、クーアが元気ならそれでいい。
気が向いたので、キールの手紙にも目を通した。私は今までこの癖字極まれりといった酷い手紙について、クーアと似たような内容を書いているのだとばかり考えていた。だがそうではなかった。
キールの手紙には、彼から見たクーアについて綴られていた。それによると、最近クーアが洗濯で洗剤の量を間違え、二人揃って泡まみれになったそうだ。またやらかしたのかと笑ってしまうと同時に、こうして手紙が届いているのだから二人とも元気だなと安堵する。洗濯物も綺麗になっただろうし、問題はなさそうだ。
それにしても、筆不精のキールが毎回ちゃんとクーアについて書いてくれていたとは。あとで今までの手紙も読み返そう。キールの文字は読み解くのが一苦労だが、読む価値を見い出した今は頑張れそうな気がする。
手紙を読み終えた頃、本日最初の客がやってきた。イリュリアに一番多い種族、人間の客だ。それから数人客をとっているうちに昼になったので、入り口のドアに『休憩中』の看板をかけた。
昼食後の午睡が少しばかり長くなってしまったが、さほど問題はない。暑い盛りの時間帯にそんなに客足などない。いつもと同じくらいに午後の営業を再開したとしても、私は魔法のおかげで涼しい店内でロッキングチェアに座ってうとうとするだけなのだ。
現にほら、『休憩中』の看板を片づけてロッキングチェアに腰を下ろそうとしても、誰も……来ないと思ったのに、来客を報せるドアベルが鳴った。
「ごめんくださいですニャア」
客が発したその声を聞いた瞬間、私は素早くそちらを向いた。
今、「ニャア」と鳴かなかったか? まさか猫か? 猫が自分の悪夢を食べてくれとやってきたのというのか?
だとしたら猫の悪夢が食べられる。虹色の蜂蜜といったうっとりする見た目に、カラメルのようなほろ苦い匂い。ああ、思い出しただけで食べたくなる。猫が自らやってきてくれたのだから、猫の悪夢祭りができるな。紅茶以外に、猫の悪夢入りの菓子を作るのもいい。
うきうきとした気分で見やった入り口にいたのは、二本足で立つ猫……ではなく、猫の姿をした魔物のケット・シーだった。大きさは、ケット・シーの平均的な身長で私の膝あたり。毛色も彼らに多い黒と白のハチワレ柄。いたって普通のケット・シーだ。首元に赤いスカーフを巻き、ベージュ色の大きな肩掛け鞄を提げている。猫ベースの体だけあってかなりのなで肩なのに、よく鞄がずり落ちないものだ。
ケット・シーは見た目こそ二足歩行の大きな猫だが、もちろん猫そのものではない。そして魔物ではあるものの、その中でも妖精に分類される者たちだ。愛くるしい姿の彼らそのほとんどが森に村を作って生活しているが、人里で暮らす者も少なくない。見た目のおかげか、人間たちから人気のある種族だ。
ちなみにその悪夢の味は、猫の悪夢によく似ている。見た目も味も蜂蜜もどきだが、あの猫の悪夢の特徴であるほろ苦い匂いがするのだ。猫の悪夢より甘さが強いものの、それはそれで美味い。
まさかごちそうの方からやってきてくれるとは。夢喰屋をしていてよかった。
「あのう」
「あ、ああ、すまない。どうぞ中へ」
ドアを開けて突っ立ったままのケット・シーに、入店を薦める。
魔法のおかげで涼しい店内を気に入ってくれたのか、ケット・シーは周囲をぐるりと見回した後、「ンニャオ」とひと鳴きして目を細めた。暫し涼を味わった後、ケット・シーが大きな緑色の目で私を見る。
「悪夢を全て食べてくれるバクのエルクラートさんというのは、あなたですかニャ?」
「そうだ」
「初めましてなのニャ。僕の名前はピケ。スティアアカデミー水産研究科の二年生ですニャ」
ケット・シーは外見から性別を判断するのが難しい。ピケもそうだ。少年のような声質から、なんとなく男っぽいなと判断できる程度である。
「僕の悪夢を、全部食べて欲しいのニャ」
そうか、全部か。
え?
本当に?
全部?




