第六十九話
ノックの音で目を覚ました。寝室は真っ暗で、枕元の時計すら見えない。まだ夜中だ。
ノックされているのは、寝室のドアではなかった。店と家に張り巡らせている感知魔術が報せる音は、店の入り口からしている。こんな時間に店を開けたことなどないので、寝起きの頭で客ではないとすぐ判断した。そのまま寝直そうと目を閉じる。
しかし、ノックは止まなかった。
コンコン、コンコン。
一定のリズムでノックは続く。ちょうど無視できない雑音のおかげで、完全に眠気が吹っ飛んでしまった。仕方ないのでベッドを出て、店へと向かう。
ドアになにかが当たっているのなら、それをどけたらいい。酔っ払いの類であれば、衛兵を呼ぼう。面倒なのは強盗かなにか犯罪者の類だ。もちろん騒ぎになれば表通りにある私の店には衛兵が飛んできてくれるだろうが、それまでの時間そんな危ないやつらの相手をひとりでするなんて嫌すぎる。
けれどもノックを無視し続けていたら、また私が死んだなんて噂が流れるかもしれない。世の中には見ない方がいいものもあるが、それでも異変があったならばドアの外は確認した方がいい。ネネリアの一件で、私は学んだ。
私が廊下を歩く間も、コンコン、コンコンとノックは変わらず音を刻み続けている。これだけ規則正しいのだから、もしかしたらなにかぶつかっているだけかもしれない。外の天気が荒れている気配はしないが、風でなにかしらが飛んできたという可能性はある。
家と店を繋ぐドアを開け、店内へ。一応物音を立てないようにして、入り口のドアへ近づく。相変わらず続くノックの音を聞きながら、ドアに透視魔法をかけた。
同時に、ノックの音が止んだ。
まるで私が透視魔法を使ったと分かっているかのようだ。
透けて見えた外の光景は、無人。真夜中の表通りには通行人すらおらず、静かなものだ。ドアにぶつかって音を立てそうなものも見当たらない。
原因が分からないのは少々もやっとするが、異変がないのならまあいいか。寝直そう。透視魔法を消して、家に戻ろうとドアに手をかけたそのとき。
コンコン、とノックの音がした。
カーテンをきっちり閉めている窓からだ。
直後、またしても店の入り口から同じ調子でノックが響く。
コンコン、コンコン。
強く叩かれているわけでもないのに、無視するのは難しいやたらと存在感のある音。その数が徐々に増えていく。
店の入り口と窓だけだったのものが、感知魔術を通して家の方からもすると分かった。
コンコン、コンコン。
居間、キッチン、寝室、書斎、裏口、客室、浴室、今は使われていない家族の居室。ありとあらゆる窓がノックされて、聴覚がその音に占領されていく。ノック以外なにも聞こえない。
あきらかな異常の原因が知りたくて、私は窓を塞ぐカーテンに透視魔法をかけた。しかし音はすれども窓の向こうにはなんの姿もない。そんな馬鹿なと思ったが、同じように透視魔法をかけた入り口のドアの向こうにも、人や物はなかった。それなのに、ずっとノックの音がする。
コンコン、コンコン。
乱れることなく続く音に、目眩がしてきた。
もうやめてくれ。私になんの用だ。いったい私がなにをしたというんだ。
両手で耳をふさいでうずくまるが、ノックは頭の中にまで侵入してきて私という存在をかき乱す。なんだこれは。私は誰かから攻撃魔法でも向けられているのか?
いや、それはないか。ただノックをしまくるだけなんて魔法聞いたことがない。私を発狂させるのを目的として作られた魔法だとしたら、あまりにも無駄な行為だ。対象を発狂させる魔法なんてとっくにあるのだから、効果が保証されているそれを使う方が早い。
魔法について考える間も、ノックの音は頭の中を見たそうとするかのように増えていく。
その音の中に、人の声のようなものが聞こえた。
コンコン、コンコン。
「べ……て……べ……」
コンコン、コンコン。
「た……て……にゃ」
水中で喋っているかのように、くぐもった音。なにかを言っているようだが、なんだ? 私になにか用があるのか?
「用があるなら」
もしも私の考えが当たっているとしたら、伝えるべきはひとつだけだ。
「店が開いている時間に来い」
絞り出すように言い、私は浅くなっていた呼吸を整えようと深く息を吸った。
***
酸素を求めて飛び起き、パジャマの胸元を強く握りながらぜえぜえと空気を貪る。呼吸が落ち着いてきたら、寝汗で湿ったパジャマが冷えて寒くなってきた。夏の夜を快適に過ごそうと、室内に魔法で冷風を循環させているせいかもしれない。
たった今見た夢と同じで寝室は暗いが、あの気味悪いノックは聞こえない。防犯用兼来客用に張っている感知魔術をチェックしても、きちんと張られていて穴などなかった。
額に前髪がはりついている感触が鬱陶しくて、髪を払いのける。
最近夢喰いをした客の悪夢に、今見たようなものはない。つまりこれは悪夢の追体験などではなく、私の悪夢そのものだ。ノックで悩むような物事について身に覚えはないのだが、なぜこんな悪夢を見たのか。それに夢の中で聞いたのは、誰の声だ。
パジャマを着替えた方がいいとか、悪夢をまた見ないように祖母直伝のホットミルクで対処しなければというのは分かっていたが、それよりも疲れの方が勝った。どさりとベッドに倒れ込む。重い疲労感で、指一本動かすのでさえ億劫だった。
目を閉じればすぐに眠気がやってくる。
そのまま引きずられるように、私は再び眠りへと落ちていった。




