第百二十五話
開けている店の窓から吹き込んだ風が、ロッキングチェアに腰かけた私の頬を撫でる。陽光をはらんだ春の風は、ゆるゆると眠気を誘う。
こんな陽気の午後に、悪夢を抱えて夢喰屋に駆け込むような客もそうそういないだろう。きっとそうだ。だから私が春に誘われるまま居眠りをしたとしても、なんら問題はない。
そう思ったのだが、猛烈に嫌な予感がした。
窓の外から土を掘るような音がする。
急いで立ち上がって窓から庭を覗けば、そこには人影があった。
「ユニア! 人の庭に勝手にネムノキを植えるな!」
「げっ、ばれた!」
青い髪を活発そうなショートカットに整えた人物が、園芸用のシャベルを手にこちらを見る。髪の色といい、褐色の肌に金の瞳といい、どこからどう見てもバクだ。
大きなカーキ色のリュックを背青い、白いショートパンツから脚がすらりと伸びた、勝ち気そうな顔の少年……に見えなくもない少女は私の知人の娘で、名をユニアという。背が高くスレンダーなユニアはよく男に間違えられるが、本人は身も心も女だ。間違えるとそりゃあもう怒り狂う。
園芸道具をしまっている庭の小屋から勝手に持ち出したらしいシャベルを手に、ユニアは私のネムノキのそばに穴を掘っていた。彼女の足下に置かれた植木鉢には小さなネムノキが植えられているが、鳥の羽根のような葉はしんなりしていて元気がない。
「ねえねえエル兄、ちょっとだけだからさあ! ね? いいでしょ?」
「人の庭をあてにしないでくれ」
今年で十五歳になるユニアが瞳を潤ませ、上目遣いで頼んでくる。
私は庭を提供するつもりなど欠片もないので、無駄な行為なのだが。しかし残念なことに、ユニアはバクだ。私がバクの瞳で恐怖を与えようとしても、彼女には効果がない。
それをいいことに、ユニアのおねだりは続く。
「お願いエル兄! 半月だけでいいから庭貸して! あと泊めて!」
「要望が増えているのだが」
「どうせ頼むなら、まとめて頼んだ方がお得かなと思ってさ。とりあえず泊まるのはいいよね? だっていつも泊まってるし」
悪びれた様子もなくユニアが笑う。
「だからさ、泊まるついでに木も植えていいよね?」
「だめだ。その穴を埋めて店に回ってこい」
「はーい」
素直に庭の穴を埋め戻し始めるユニアの姿を確認して、私はロッキングチェアに腰かけた。なんだかどっと疲れた。
バクがネムノキをそこに植えるのは、定住地と決めた場合だ。旅の夢喰屋であるユニアは、自分のネムノキを植木鉢に植えて持ち歩いている。
ユニアの木をうちの庭に植えるということは、私とユニアが結婚するという話になるので絶対に植えさせるわけにはいかない。ユニアはちょっとした羽休めのつもりかもしれないが、木が根づいてしまったら話がややこしくなってしまう。
窓の外から聞こえていたユニアの作業音が聞こえなくなる。ややあって、店の入り口のドアベルが軽やかに鳴った。ネムノキの植木鉢を持ったユニアだ。
旅慣れた大きなリュックを背負っているわりに、ユニアは身のこなしが軽い。庭から店へと回るには塀を越えないといけないのだが、おそらくひょいと飛び越えてきたのだろう。ネムノキがよく見えるようにと低い塀なのだが、それでもユニアの元気さには驚いてしまう。
「ところでユニア、ロニアはどうしたんだ?」
ユニアは双子だ。弟のロニアと旅をしていたはずだが、その姿が見当たらない。いつもユニアのそばで「ユニアがすみません。本当にすみません」と謝ってばかりだったロニアはどこに行ってしまったのだ。まさか、愛想を尽かされたのか?
「それなんだけど、エル兄に助けて欲しくて」
ネムノキの鉢植えを抱えたまま、ユニアが困り顔をする。そんな顔をしていても勝ち気そうな顔つきのせいで、あまり深刻そうには見えない。けれどもユニアが困っているのは事実のはずだ。そうでなければ、「助けて」などという言葉は出てこないと思う。
「とりあえずロニアのことに集中したいからさ、その間これは庭に植えといていい?」
「だめだ。あとで栄養剤をやるから、それでなんとかするんだ」
「ちぇー……」
ユニアは少しがさつなところがあるので、ネムノキの鉢植えを弱らせてしまうときがある。そうなったら面倒見のいいロニアがなんとかしているのだが、そのロニアがいないので、うちの庭に植えて回復させようと考えたらしい。
「それでロニアは?」
いつまでもネムノキについて言い合いをしている場合ではないので、話を強引に進める。
「それが、捕まったっていうか、動いてくれないっていうか」
ユニアがもごもごと言い淀む。
こんなペースでは、いつまでたっても話が進まない。
「分かった。家でゆっくり聞かせてもらおう」
ロッキングチェアから立ち上がり、店の入り口に鍵をかける。窓も閉めてカーテンを引くと、私はユニアを連れて家へと引っ込んだ。
キッチンで二人分の紅茶を淹れ、少し残っていたバタークッキーを出す。よく食べるユニアにはまったく足りない量しかないが、なにもないよりはましだ。
テーブルで向かい合わせに座ったユニアは、ティーカップに視線を落としたまま口を開いた。
「ロニアのやつさ、変な店に入ったきり全然出てきてくれないんだ」
「変な店?」
イリュリアにはいかがわしい類の店も少なからず存在している。あの真面目なロニアがそういった店に入り夢中になっている様子など想像できないが、いったいどうしたのか。
ひとまずユニアから店の場所を教えてもらい、私が連れ戻しにいくのがいいか。
そんなふうに考えていた私を、ユニアが見つめてきた。大きな瞳に切羽詰まったような色をたたえている様は、いつでも元気いっぱいのユニアとは違いなんとも心細そうだ。
「エル兄、『青い屋根のクッキー屋さん』って知ってる?」
ユニアの問いに、私は頷いた。
「きみたち双子が小さかった頃、大好きだった絵本だな」
「そう。そのクッキー屋さんに、ロニアはいるんだ」
『青い屋根のクッキー屋さん』は、我が家にある本だ。双子が小さかった頃、両親に連れられて我が家に来るたびに音読をせがまれた。最低でも二回は連続で音読させられたので、内容をよく覚えている。
大きな青い巻貝の屋根に、クリームを塗ったような真っ白な壁。おめかししたカップケーキにも見える魔法のクッキー屋で売っているのは、願いを叶えてくれる魔法のクッキーだ。
しかし、クッキーの食べ過ぎには気をつけなければいけない。魔法のクッキーは力が強いので、食べ過ぎるともっと願いを叶えて欲しいと貪欲になり、やがて痛い目を見る。
もちろんこの絵本は作り話であり、魔法のクッキー屋といった都合のいい店は存在していない。
それはユニアももう十五歳なので分かっているはずなのだが、そこにロニアがいるというのはどういう話だ。
「きみたちはどうやってその店に行ったんだ?」
「トラキア山脈を越える途中で、道を間違えたんだ。今年の冬は雪が多かったからか、案内板が折れてなくなっててさ……。なんか廃村みたいなところについておかしいなって話してたら、ちょうどあの絵本のクッキー屋みたいな見た目の建物が建ってたんだ。さすがに巻き貝の屋根じゃなくてマッシュルームみたいなまあるい形だったけど、青い屋根に白い壁だから似てるなってロニアと話してたんだよ」
ユニアが紅茶に口をつける。ごくりと喉が鳴りそうなほどの勢いでぐいぐい飲む。「ぷはあっ」なんて声まで出るあたり、かなり喉が渇いていたようだ。
「でさ、その建物の前を通ったときだ。ロニアが突然『クッキーの試食だって』なんて言い出したんだよ。周りには人影なんてなかったのに、いきなり。怖くない?」
ユニアの右手がクッキーに伸びかけて、すっと引っ込んだ。あの絵本がお気に入りだったユニアはクッキーも大好きなはずだが、さすがにロニアの異変に関するものは喉を通らないとみえる。
「それで、きみたちはその建物に入ったのか」
問えば、ユニアはこくんと頷いた。
「ロニアがさっさと入っていくからひとりにしちゃいけないと思ったんだ。中に入ったらいよいよおかしいんだよ。外側はちゃんとした建物っぽかったのに、中はまるで廃墟なんだ。どこもかしこも埃がすっごい積もってるし」
それで、と話を続けるユニアが顔をしかめる。
「さっさと出ようと思ってロニアを見たら、あいつ、埃まみれの床に座ってなんか食べてるんだ。……ロニアは、手になにも持っていなかった。でも、なにかを口に運ぶ動きをしながら、『美味しいです』『もう少しジャムを多めに』とかぶつぶつ言ってるんだ。あたし、ほんと気持ち悪くてさ」
ユニアが己の肩を抱く。
「ロニアを引っ張って外に出ようとしたんだけど、『今試食中ですから待ってください』って言って、全然動いてくれないんだ」
ユニアとロニアの双子は身長が同じくらいだが、やはりロニアは男だけあって女のユニアより力が強い。彼に抵抗されては、ユニアはどうすることもできないだろう。
「ねえエル兄、一緒に来てくれないかな。あたしだけじゃもうどうしていいかわかんないよ」
心底困った様子のユニアを見て真っ先に思い浮かんだのは、双子の母親であるバク・ニーアの存在だ。双子は帰還魔法の転送先として、ニーアを設定している。ニーアは行商人である人間の夫とともに一年のほとんどを旅に費やしているが、彼女を転送先としておけば双子はいつでも親元に帰ることができる。
「ユニア、ニーアには話したか?」
「ううん」
暗い声色で、ユニアの返事が返ってくる。
「母さんたちは今の時期だとこの辺にはいないから、ロニアを助けには来られないと思う。エル兄のところが近いから、あたしの帰還魔法の転送先をロニアに変えて、ひとりで山を下りてきたんだ」
「そうか。いい判断だ」
ロニアを速やかに助けられる準備をしてくれていたとはありがたい。それにユニアの転送先は、ロニアを助けてから再設定すればいい。
「ロニアを最後に見たのはいつだ?」
「二日前」
ゆっくり茶を飲んでいる場合ではなかった。
「ユニア、行くぞ。案内してくれ。ネムノキは一旦ここに置いていくといい」
椅子から立ち上がり、ユニアと手を繋ぐ。バクという魔法に長けた種族なのでユニアも十五歳にしては豊富な魔力を有しているが、人ひとりを連れて徒歩で二日かかるような距離を帰還魔法で飛べるほどの魔力はさすがにまだない。繋いだ手から私の魔力を流し、ユニアの魔法を支える。
ユニアが呼び起した魔力の渦に身を任せ、私たちは家を後にした。




