第百二十一話
狩りの翌日は、マルセルがフィアンポローネの作り方を教えてくれる約束だったので、絵を持って午前中の金の小鹿亭へと向かった。
昨日は店を休んだからか、それともフィアラニールを手に入れたからか。
迎えてくれたマルセルは、元気が有り余って仕方ないといった笑顔で迎えてくれた。
金の小鹿亭のキッチンは飲食店だけあってそれなりに広いものの、さすがにフィアラニールを横たわらせて作業できるスペースはない。
それでも困らないのは、森で血抜きだけでなく解体まで済ませてきたからだ。マルセルの指示を受けたリルムが魔法でフィアラニールをさばいてくれたおかげで、日が暮れる前には作業が終わった。
オリバーも魔法が得意であったならもう少し早く終わったかもしれないが、ドワーフなのだから仕方ない。
それに私にいたっては帰還魔法係でしかなかったから、他者にあれこれ求められる立場ではないのだ。
フィアンポローネを作るにあたって、まずはフィアラニールの骨や肉を煮てブロスを作る必要があるらしい。
私がリルムの絵を離れた棚に魔法で固定している間に、マルセルが広いストーブに大きな寸胴鍋を二つ用意した。
さすが飲食店。
我が家で見る家庭用の鍋よりも迫力のあるサイズだ。使い込まれているがその分手入れもされていて、つやつやぴかぴかしている。銀色の側面に私とマルセルの姿がうっすら映り込んだ。
「二人とも、頑張ってください!」
絵から生えたリルムの応援する声を聞きながら、私とマルセルはさっそく調理にとりかかった。用意されていたタマネギ、ニンジン、セロリをざくざくと切って大きな鍋に放り込んでいく。
「マルセル、先に肉のアクを取らなくていいのか?」
「ええ。フィアラニールはアクが出ないんです」
料理のプロであるマルセルが言うのだから、そうなんだろう。さして疑問も持たず、私は野菜を切っては鍋に入れ続けた。
野菜がかぶるくらいの水を入れて、マルセルが火を点ける。
「肉を入れ忘れているぞ」
「沸騰してから入れるんですよ。面白いものが見れますから、楽しみにしててください」
楽しそうな顔をするマルセルの言葉を信じ、彼と交代しながら浮いてくるアクを取り、一時間ほど野菜を煮続けた。
「そろそろ肉の用意をしましょうか。リルムさんお願いします」
「はい!」
森での共同作業のおかげか、マルセルは絵から生えているリルムという存在にすっかり慣れていた。もしかしたら彼は、リルムを「大量の食材を入れて持ち運べる食料保存庫」くらいに考えているかもしれない。
元気に返事をしたリルムが、絵の中から両手で持つのがやっとというくらい大きな肉の塊を出した。
フィアラニールの肉だ。
あの巨体を包んでいる羽根はうっすら青みがかっていたから、もしかして身も寒々しい色ではなんて想像していたが、そんなことはなかった。食肉に姿を変えたフィアラニールはほんのりピンクがかっていて綺麗だ。野生の鶏から受け継いだ鶏らしさがこれなんだろうか。
この肉を見ていると、エルフから「氷鶏」と呼ばれているのもなんとなく分かる気がする。
「これを切って鍋に入れるんですけど、そんなに小さくする必要はありません。鍋に入るくらいの塊でいいですから」
マルセルが妙なことを口走る。
塊で入れては火が通りにくそうな気もするが、本当にいいのか?
いや、他ではないマルセルの言葉だ。彼の腕前はよく知っている。
「……分かった」
日頃金の小鹿亭で口にしている料理を思い出しながら、マルセルの言葉を信じてかなり大きめに肉を切り分けた。
鍋の中がすっかり煮えて、野菜のホクホクとした甘い香りが漂っている。
「さあエルクラートさん、肉を入れますよ。ここからちょっと忙しくなるんで、頑張りましょう」
大きな肉の塊を、マルセルが鍋に入れた。
ひんやりとした肉の塊が入り、ぐらぐらと沸騰していた湯が少しばかりおとなしく――ならない。相変わらず思い切り沸騰している。
湯に入れたそばから、フィアラニールの肉が溶けていた。きらきらした脂を湯の表面に浮かべながら、塊肉が見る間に溶けていく。
「エルクラートさんもどんどん入れてください。リルムさん、次の肉をお願いします」
マルセルの指示に従い、肉を次々に鍋の中へ入れる。
なんだこれ面白い。
入れれば入れただけ、すーっと溶けていく。しかし肉の質量はどこに消えているのか。どんなに肉を入れても、水かさはほとんど増えない。
こんな食材、初めてだ。
リルムが絵から出した肉を切り、鍋に放り込む。
軽く汗をかいて腕が痺れ始めた頃になって、やっと鍋の中はかさが増してきた。澄んだ湯だったはずの中身がいつのまにか黄金色に色を変え、表面に浮いた脂で輝いている。香りも野菜が煮えるものから、胸いっぱいに吸い込みたくなるくらい濃厚な鶏のそれになっていた。
フィアラニールは不思議な食材だ。骨も肉も鍋の中でバターのように溶ける。そして溶ければ溶けるほど、じわじわかさを増すスープがとろみを帯びていく。
「残りの骨が全部溶けるまで少し時間がかかるんで、休憩しましょう」
フィアラニールを全て入れ終わった鍋にスライスしたニンニクとショウガを放り込んでから、マルセルが茶を出してくれる。営業中のマルセルがカウンターの中で飲んでいるイメージがあった茶だが、たくさん仕込んで普段もよく飲んでいるようだ。コーヒーに似た香ばしい匂いがほのかにしているが、味も残り香もさっぱりとしていて飲みやすい。
「あれだけ大きな鳥だったのに、鍋二つに収まってしまうのだな」
「不思議ですよねえ」
煮込み料理を作っている間はまったりとした気分になる。それはマルセルも同じようで、私たちは一時間ほど茶を飲みながら談笑して過ごした。
「そろそろですかね」
マルセルのそんな声を合図にして、鍋を覗きにいく。きらきらと光の粒を浮かべる黄金色のスープの中に骨片らしきものは見当たらない。旨味を全て出し尽くした野菜が沈んでいるだけだ。
「うんうん、いい仕上がりですね」
マルセルもご機嫌だ。
「エルクラートさんはこのまま冷まして、鍋ごと持っていってください」
「鍋を借りてもいいのか?」
「ひとつくらいなんとかなります」
マルセルと私のそんな会話に、リルムが割って入った。
「はいはーい! いいものあります! こーれ!」
元気な声を上げ、リルムが絵から大きな黒い釜を出してくる。童話で魔女がかき混ぜていそうな釜は大きさもマルセルの寸胴鍋と同じくらいで、作ったブロスを入れるにはちょうどよさそうだ。




