第百十六話
私の店の中であれば嘘探知の魔術を張り巡らせているから、リルムの言葉の真偽はすぐに判明する。
だがここは図書館の一角にあるカフェだ。そんな場所に私が魔術を仕掛けているわけもない。こういった話をすると分かっていればそれなりに準備はしたが、突然のことなので本当になにも真偽の判断を助けてくれるものがない。
だから私は、自分の頭で考えなくてはならない。
世にも珍しいハイエルフの錬金術師リルムの言葉が、真実かどうかを。
「きみはなぜハイエルフの血が材料だと気づいたんだ?」
「ハイエルフが里の守護者である理由を考え続けていたからです」
里にひとりしかいない守護者のハイエルフ。その存在について考えるのはエルフたちもできるだろうが、更に踏み込んで研究できる錬金術師は、自身がハイエルフであるリルムしかいない。
「ハイエルフは強力な魔法を操りますが、それだけで全ての問題が解決するわけではありません。病気は怪我ではないのですから、魔法では治せない。そしてサルフェールの里もまた病気により危機に陥りました」
里が滅ぶのは戦ばかりが原因ではない。それにリルムの見立てが当たっていたと証明するように、サルフェールの里は鉱害による病気で滅んだ。そんな聡明なリルムがどんな理由で己の血に着目したのかが気になり、じっと話に集中する。
「エルフの里は基本的に森の中に作られますが、その森ごとに手に入る薬草は違います。それでもエルフたちが健やかに暮らせるのは、神木があるからです。神木の役目は、ハイエルフを産むことだけではありません。その樹液は煮詰めることで、毒消しや風邪薬として使えるんです。だから私も最初は樹液を軸にして薬の研究をしていたんですけれど、うまくいきませんでした」
毒を疑ったリルムは正しかったが、神木の樹液が持つ毒消しの効力は弱かったか、もしくは毒の種類として合わなかったと思える。
「でもそれも当然でした。神木の樹液からどんな薬も作り出せるのなら、エルフが崇めるのはハイエルフではなく、神木のはずなんです。ハイエルフが守護するのは神木ではなく、里のエルフたち。ならばハイエルフには、エルフにはできないなにかが隠されている。そう考えました。そして気づいたんです。ハイエルフしか持たぬもの。それは、この身を流れる血液だと」
ん? なんだか血なまぐさい話になってきたな。たしかに血液は強力なエネルギーを蓄えているし、それを使う魔法は存在している。しかしどれも古代魔術と呼ばれるものだ。
いや、それもありえない話ではないか。
ハイエルフは数千年を生きる。そんなハイエルフが何度も生まれ変わりをしている聖域を有するエルフの里も、エルフたちが代替わりしながらそれだけの時間を刻んできたはずだ。エルフたちに古代魔術の知識があってもおかしくない。
「エルフたちは古代魔術の知識があるのか?」
「おそらく」
口を挟んだ私に嫌な顔もせず、リルムは頷いた。
「神木は寿命を迎えたハイエルフが変じるもの。ならば寿命を迎える前のハイエルフが持つ樹液にあたるもの、血液はもっと凄い効果があるのではと考えました。ハイエルフはエルフが古代魔術を用いて作り出した生命体である。そう推測を立てて」
錬金術師たちの研究分野は多岐に渡り、人工精霊というものも研究されている。ウンディーネなどの精霊を人工的に作り出し土地に住まわせることで、その場所の環境を変化させられるのではないか。そう考える者たちがいるのだ。
もしも精霊に近い存在とされるハイエルフが、エルフによって作り出された人工精霊であるのなら。
とんでもない発見だ。
「それで、結果はどうだったんだ?」
「他の里もいくつか回ったのですが、ハイエルフがエルフに作られたという記録は見つけられませんでした。ただ、ハイエルフの血で病気を治したという記録が見つかったんです」
「サルフェールにはなかったんだな」
「はい。サルフェールはエルフの里の中でも、新しい方でしたから」
「それできみは自分の血をサルフェールのエルフに与えたのか?」
問えば、リルムがすぐに頷いてくれる。
「里に帰ってさっそく数人に試しました。ただ劇的な効果はなく、症状を和らげる程度でしたが。でもそれで確信しました。ハイエルフの血こそが、皆を助ける為に必要なんだと。そしてその血の力を最大限まで引き出せるのは、外の世界で錬金術を学んだ私しかいないと」
だから、とリルムが力強い声で言う。
「私の全てを捧げた研究の結晶であるこのエリクシルを、信じてください。そして私の願いを叶えてください。お願いします」
言い切ると、リルムは細い瓶を差し出してきた。軽く揺れた液体が虹を溶かしたように次々色を変える。
「私がきみの願いを叶えられなかったときはどうするんだ?」
「そのときはずっとそばに置いてください。あなたのそばにいたら、美味しいものがたくさん食べられると思うので」
にっこり笑うリルムを前に、私は小さく息をついた。
エリクシルがリルムにしか作れない理由は分かった。そして全てをかけて作り上げた薬を、リルムが真剣な思いで私に差し出しているのも、よく分かった。
それほどフィアンポローネなるものが食べたいというのも深く理解した。
薬が偽物だったとして、私は特に問題ない。今現在難病に侵されているわけでもないし、そういった知人もいないのだ。ハイエルフからもらった珍品として手元に残るだけである。
そのかわり薬を受け取ったら、リルムの夢喰いとフィアンポローネ作りの両方を完遂しなければならない。
夢喰いだけなら問題はない。そもそもリルムの了承が得られたら代金はオリバーが払うという話になっていた。だから夢喰いだけをするという選択肢もある。
けれどもその場合リルムは、もう一度だけ食べたくて食べたくて仕方なかったフィアンポローネを食べられなくなる。そして最悪の場合、そのまま魂抜きをオリバーに頼むというのも充分考えられた。
非常に後味が悪い話だ。
忘れられない味、もう一度食べたい味。そういった深い思い出のある料理は、誰にでもあると思う。私だってそうだ。
私の場合は夢に溶け込むというバクの魂が持つ特性を活かして、記憶の遺産である夢の中で、何度も亡くなった家族とともに実体験として本物の味を楽しめる。
けれどもバク以外は、それができない。
私がフィアンポローネを作らなければ、リルムはその味を二度と体験できないのだ。
「リルム。きみが見ている悪夢は、犯罪に関するものではないな?」
「はい。里の皆が出てくる悪夢なので、犯罪には関係ないと思います」
「……分かった、引き受けよう」
「本当ですか! ありがとうございます!」
私が差し出した手に、リルムはエリクシルを押しつけるように渡してきた。契約成立だ。
「先にフィアンポローネをどうにかするぞ」
「美味しいものを食べるなら、悪夢が全部なくなってからの方がよくないですか?」
リルムがくりくりとした大きな瞳で、不思議そうに私を見る。
たしかに美味いものを食べるのなら、悪夢が綺麗に消えてからの方がいい。憂いなど欠片もない方が、食事を思う存分楽しめるというものだ。
だがリルムが食べたがっている謎の料理を先に食べさせるのには、もっと大事な理由がある。
「きみは悪夢を全て喰らってくれと頼んできた。悪夢を欠片も残さず喰らうのは私とっては簡単だが、ただ取り出して喰らえばいいというわけではない。慎重に対応しなければ、きみは魂に致命的な傷が入り、消滅する」
既に魂を分割したというとんでもない状態であるリルムだが、モンテッサンの絵の具で分割されたからなのかピンピンしている。しかしだからといって魂に影響するような夢喰いも絶対安全であるという保証はない。
どんな状態の魂であれ、夢喰いをするからには等しく危険に晒される。
「そしてきみの悪夢を喰らう私も、無事では済まない可能性がある。きみから溢れ出すほど膨らみ熟成した悪夢だ。私自身が悪夢に飲み込まれ、夢から抜け出せなくなることもあるんだ」
リルムがいつから夢を見ているのかは不明だが、普通に考えてサルフェールの里の皆がバタバタと倒れ始めた頃から見ているはずだ。となれば四百年近い時間をかけて熟成した濃厚な悪夢なので、喰らおうとしたバクを飲み込む危険は高い。
「きみの魂に傷が入るか、私が夢に飲み込まれるか。万が一そのどちらかが起こってしまえば、もう料理どころではない。きみもエリクシルを対価にするほどの料理を食べられないのは、嫌ではないか?」
「いいいい嫌です! 絶対嫌! フィアンポローネ食べたーい!」
「だろう? だから、最初に片づけるのはフィアンポローネからだ」
私の言葉に、リルムは反対しなかった。
「エルフ料理は人気がある。この図書館にも関連した本があるはずだから、調べに行くぞ」
「はいっ!」
元気に返事をして、リルムがひゅっと絵に引っ込む。その絵を持つと、私はカフェを後にした。




