第百十五話
「……他のお願いなら、聞いてくれますか?」
「なんだ?」
おずおずと問うてきたリルムに、言葉の先を促す。
「私の悪夢を全部食べてください。私は分割された魂ですけれど、もしもいつか皆と同じ場所にいけるのなら、悪夢は持っていきたくないので。それから……」
途端、リルムの表情がふにゃりと緩んだ。さっきまで生死について大真面目に話していた者とは思えない。あまりにも表情が緩んでいて、そのまま溶けてしまいそうなほどだ。ハイエルフもエルフと同様に抜きん出た美貌の持ち主なのだが、緩み切った表情のおかげで台無しである。
「最後に一度だけ、フィアンポローネを食べさせてください!」
「フィアン……え? なんだって?」
「フィアンポローネですよ。知りませんか?」
知っていて当然といった様子でリルムが問うてくるが、そんなもの見たことも聞いたこともない。記憶の遺産の奥深くまで探るが、欠片のような情報すら見つからなかった。
「なんだそれは。初めて聞いたぞ」
「ええっ、もしかして今はもう誰も作らなくなっちゃったんですかね。ぷるぷるとろとろして、甘くて、でもちょっとニンニクの香りもして、いくらでもおかわりできちゃいます。寒い冬の夜に皆で食べるフィアンポローネの美味しさといったら!」
謎の料理フィアンポローネの味を思い出したのか、緩みきった表情のリルムが頬に手を当て、ぐねんぐねん体を揺らす。
本当に分からない。どんな料理だ。
いや、それ以前に。
「リルム、私は夢喰屋であって料理人ではないよ。店で料理の提供はしていない。仮に私がきみにその料理を作るとして、私になにかメリットはあるのかい?」
リルムが知らない料理を食べたがっているとしても、私が彼女の為にそれを作る義理はない。クーアが食べたがったとしたらそこそこ努力はするが、リルムは私にとってただの客であり、預かりものであり、特に大切な存在ではないのだ。
そう思ったのだが。
「作ってくれるなら、魂抜きについてもうちょっと考えます」
リルムの表情を探るが、彼女が謎の料理食べたさに適当な話をしているわけではない気がする。
オリバーが後味の悪い仕事をせずに済むのなら、それがいい。
「……材料や作り方が分かるのなら作る」
私はリルムの条件を飲んだ。
私の言葉に喜びの花を咲かせようとしたリルムが、なにやら恥ずかしそうに頬を赤らめて微笑む。
「私、料理が大の苦手なんです。だから材料とか作り方はさっぱり……」
リルムの言葉に、軽く目眩がした。
なぜだ。きみは錬金術師じゃないのか。錬金術師たちが作るものは食品の形をとるものも多い。そこから派生して、研究の片手間に美味い菓子を売る者もいるほどだ。他にも古いレシピを再現する者などもいる。
錬金術師といえば、料理上手。
それが世間の認識である。
それなのに、なぜ。
リルム、なぜきみは料理の作り方どころか材料すら知らないんだ。
「せめてもう少しヒントはないのか。焼いていたとか、煮ていたとか。それからどんなものが入っていた? 覚えていることを教えてくれ」
もしかしたらエルフ特有の呼び方をしているだけで、よく知っている料理かもしれない。そういうオチはたまにある。
淡い期待を胸に、リルムの言葉を待つ。
「えっと、フィアンポローネはスープです。ぷるぷるとろとろしてて、甘くて、少しニンニクの香りがして……あっ、そうそう! トマトと卵が入ってました!」
「ほう」
トマトと卵が入ったスープか。
ところで「ぷるぷるとろとろ」とはなんだろう。
ぷるぷる食感のスープというとゼリーみたいなものかと考えたが、リルムは寒い冬に食べると美味いなんて話していた。当然ながらゼリーは温めると溶ける。体が温まる料理が好まれる冬に食べるものとしては、正直魅力が薄い気がした。
他にヒントはないだろうか。
「それはサルフェール以外の場所でも食べたことはあるか?」
「はい。他のエルフの里にお邪魔したときに食べました。それ以外の場所では……食べたことないですね」
どうやらフィアンポローネはエルフ料理のようだ。
フルーツや野菜をたっぷり使うものが多いエルフ料理は、健康的かつ目にも華やかで若い女性を中心に人気がある。記憶しているエルフ料理の中にぷるぷるするスープらしきものはなかったが、私も世にある全てのレシピを知っているわけではない。
せっかく図書館にいるのだ。少し調べてみるか。
もしかしたら、今はもう作られなくなった古いエルフ料理かもしれない。
「エルクラートさん、フィアンポローネは作れそうですか?」
「エルフ料理について調べてみないと、なんとも言えんな」
「なんとか作ってください。お願いします!」
言うなり、リルムが絵の中に引っ込む。
ややあって戻ってきた彼女は、細長い瓶を両手で大事そうに持っていた。ワインの瓶くらいの長さがあるそれは透明で、中はこれまた透明な液体が満たして……ん?
なんだこの液体?
透明かと思ったのだが、リルムが瓶を揺らしたら液体が黄色くなり、そしてオレンジに、更には明るい緑にと虹を凝縮したかのように色を変えていく。揺れが収まると、液体は再び透明に戻った。
こんなものは初めて見た。
「私の夢喰いと、それからフィアンポローネのお礼です。受け取ってください」
「これは?」
「万能薬エリクシル。私の研究の結晶です」
どんな錬金術師も作れなかったという幻の薬エリクシル。リルムが差し出したものは、その存在を信じ込ませるだけの不思議な見た目の変化を見せた。
だがこの世に存在しないものの名で差し出されたものを「素晴らしいですね」と信じて受け取るのは、とても抵抗がある。
「リルム、エリクシルの研究はあらゆる錬金術師たちがしていた。しかし完成させた者はひとりもいない。今の時代では幻の薬というよりも、空想の産物といわれる存在だ。この薬が本物だと信じられるだけの証拠はあるのか?」
「あります」
はっきり返事をするリルムのエメラルドグリーンの瞳は真剣で、自信という光さえ感じられる。
「私は絵の中に、様々な病原を持ち込みました。実際自分に感染させて、薬の効果も試しています。どの病原についても、この薬は効果を発揮しました」
はったりではないというように、リルムは自信に満ち溢れた言葉を続ける。
「それに私以外の錬金術師たちがエリクシルを完成させられなかったのには、理由があります」
「他の錬金術師ができなくて、きみだけができるなにかがあったと?」
「そうです」
リルムの声は力強い。
「エリクシルの材料。それは、ハイエルフの血ですから」




