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たぬきの嫁入りシリーズ

いつかの二匹 ~たぬきの嫁入り 番外編~

作者: 藍色 紺

 ぽたたっと畳に涙が落ちた。


 母屋である金毛邸(きんもてい)から飛び石で繋がっている茶室で、ぽこはたった一人、お茶の練習をしている。

 母親は、戻るまでに練習するように言って金毛邸(きんもてい)へと戻ってしまった。


「ひじってどこ? ひじがあし? ひざがうで?」


 つい最近、ようやく左右を知ったところだ。それも「お箸を持つ方が右」と言いながらでなければ、わからない程度。


そもそも、まだ口調もたどたどしく、母親の後を追って歩くぽこにお茶の練習は早すぎる。父親もそう言ったが、「時間がないのだ」と言われてしまえば、誰も口出しはできない。

それに、ぽこはたぬきだ。

泣く子も黙るドン・ドラドの末娘には、たぬきらしくのほほんと暮らせる権利よりも、義務と責任が重くのしかかる。かつては人間を騙すためにより上手に人間の真似をする技術の継承がたぬき界での重要な役割だったが、いつの間にか形骸化して、一部のたぬきだけがお茶やお花などの人間界ですら一部の者しかせぬ文化まで取り入れるようになってしまっている。それを当のたぬきたちは理解していない。


言われたことが理解できず、理解できなければ当然上達はしない。「肘をあげないで」が、どこを指したことかさえ教えてもらえないままだ。


それも無理はない。中座敷の台所では沢山の使用人たちが母親の指示を待っている。


お茶の練習、お料理や掃除、他のたぬきたちとの付き合い方など、毎日ぽこに課せられる練習は多く、厳しい。それでも、懸命に働く母親の後を追って見様見真似でできるようになれば、兄弟の誰よりも愛してもらえる。

父親が多忙で滅多と姿を現さないぽこにとって、母からの褒め言葉はなくてはならない温もりだった。



茶室の空気に外の竹林の空気が僅かに混じった。

小さなにじり口を見たら、僅かに開けられた隙間から大きな目が覗いている。


「ぽぉこ。あーそーぼ」


「ジョアン!」


 嬉しくてにじり口から飛び出す。ぽこにとって、ジョアンは唯一友達と言えるたぬきだ。

 兄弟たちは、ぽこを置いて遊びに行ってしまうし、里の子たぬきは、ぽこの父親であるドン・ドラドが怖くて金毛邸(きんもてい)には近寄らない。

 かと言って、母親の言いつけを自ら破って脱走するような気はぽこにはない。

 兄たちのスリングの練習に混じるのも、泥まみれになってカエルをほじくりかえすのもジョアンが誘ってくれるからできることだった。


「あ痛た。待ってジョアン。脚が痺れて痛いの」


「角を曲がるまで頑張れ。見つかっちまうぞ」


 いつものように二人は手を繋いで金毛邸(きんもてい)から脱出を図る。

 角を曲がったところにある庭石に座って、ぽこが脚をさすった。


「しかし、よくやるよな。お茶ってうまいの?」


「苦いだけだよ。脱走して、ママ怒らないかなぁ」


 前の回も、その前の回も、脱走するたびにぽことジョアンは揃って母親に叱られている。それでも、めげずにジョアンはぽこを誘いに来た。


「アルベルトたちは遊んでるんだし、ぽこが遊んでも大丈夫だって」



 ジョアンの背中について屋敷の外に出ると、すぐに、里の子だぬきが遊んでいるところに出くわした。


「ジョアンて凄いね」


「何が」


「ジョアンについて行けば、いつも他の子がいるとこに行ける」


 兄たちについて行っても、ぽこと同じくらいの年のたぬきはいないのに、ジョアンは違う。

 子だぬきが集まる場所を知っているのか、それとも、ジョアンに子だぬきが集まってくるのか、ぽこにとって、ジョアンはついて行けば楽しいことが待っている頼もしい友達だ。

 この時だけは、年相応の振舞いができたから、母親の言いつけを忘れるのも無理のないことだ。


「おままごとしよう!」


「じゃあ、ぽこがお母さんの役をしろよ」


 誰かのアイディアに、ジョアンが即答した。


「いーいーよー」


「なら、あたしは赤ちゃんの役!」


 お母さんの役と赤ちゃんの役はいつだって人気だが、ぽこのお母さん役は他の子にはできないくらい上手だから、皆文句はなかった。

ぽこは、やりたかったお母さんの役がまわってきて笑顔になった。花が咲いたような顔を見て、他の子たぬきたちが放心する。


「俺がお父さん役な!」


 いち早くジョアンが言い出した言葉に、他の子たぬきが我に返る。


「ずるいぞ。俺がお父さんだよ」


「いつもジョアンがお父さんだから、今日は他の子に譲ったら?」


「駄目だ! 俺がお父さんだ!」


 ジョアンと他の男の子たちの言い合いがエスカレートして、取っ組み合いの喧嘩が始まった。

 他の子らが、喧嘩を気にせずにおままごとを始めた。

 ジョアンが喧嘩早いのも、ぽこの相手役を巡って喧嘩が始まるのもいつものことで、聡い子は敢えてジョアンと被らないようにしているくらいだ。


「今日はお天気がいいわね」


「ママ、お菓子食べたいばぶ~」


 木の葉を使ったお皿に、あんこがたっぷり乗った団子が置かれた。

 本物そっくりな見た目に騙された子が思わず齧り付いてしまい、口の中から煙が上がる。

 ぺっぺと吐き出されたのは木の葉だ。

 たぬきの子らは、遊びを通して化け術を上達させ、見破る審美眼を育てる。


 周りから笑い声が上がって、ぽこも笑い出した。その拍子に皿も団子も元の木の葉に戻ってしまう。ぽこたちの化け術はまだたどたどしい。


「ママ、お散歩に行こうよ!」


「ばぶ~」


「皆、手を繋ぐのよ」


 まだ喧嘩をしているジョアンたちを置いて、ぽこと他の子らが散歩に出かけた。

 自分から遊びの輪に加わることはできないが、一度中に入れば、違和感なく溶け込める。


 散歩途中で、シロツメクサが沢山咲いている場所へ出た。途端におままごとは終了して、花冠作りが始まった。



 日が暮れてカラスの鳴き声を合図に、揃って家に帰る。

 一緒に遊んでいた子らと一人、また一人と別れて、ぽこが一人ぼっちになる前に、どこからかジョアンが来てくれた。

 ジョアンたちはジョアンたちで、あの後どこかで遊んだらしい。脚が泥だらけでまるで土の色の靴下を履いているように見える。


「花冠、似合ってるぞ」


 手を差し出されたら、母や兄たちへの反応と同じように条件反射で握り返してしまうのがぽこだ。握り返されたジョアンが赤面しているのも気づかない。


 金毛邸(きんもてい)の大きな門を目の前にすると、ぽこは不安になった。ようやくいいつけを破って、お茶の練習中に抜け出したことに気が付いた。


「ママ怒ってるかなぁ?」


「今日も一緒に怒られてやるよ」


 握られた手が頼もしくてぽこは、そうかなと思えてしまう。

 ぽこに自我がないのは、生まれたときから母親の期待に応え続けた結果。


「うん!」


「いつだってぽこを守ってやるよ」


「うん!」


 ジョアンは、歳より幼く見える可愛らしいぽこを自分が守っていると思っていたし、ぽこが喜ぶものだから、自分こそが求められていると思っていた。


 それから数年後に、ぽこが自我に目覚めてしまう迄は――。

 ぽことジョアンの結婚話が出た後、ぽこはドラド家から姿を消してしまうのだが、それはまた違うお話。


おまけまでご愛読いただき、ありがとうございました。

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