思い出の洋食屋はもうない
※この作品はフィクションです。 実在の人物・団体・事件などとは一切関係ありません。
とある会社の一室。
わしは二人の男と仕事をしていた。
仕事は順調で予定よりも早く片付いた。
「壱ノ瀬君、弐葉君、忙しいところいつもすまないね」
「とんでもございません」
「これも我々の仕事ですから」
わしが労うと彼らは謙遜した。
「仕事も片付いたところだし、これから食事でもどうかね?」
わしから誘うが彼らは申し訳なさそうな顔をする。
「申し訳ございません。 せっかくのお誘いですが、今日は予定がありまして・・・」
「私はほかの仕事が残っており、今日中に片づけたいのですが・・・」
日頃の感謝を込めて彼らを労おうとしたが、それぞれにやることがあるのでは仕方がない。
「そうか・・・それは残念だ」
わしが落ち込んでいると気配を察したのか彼らは慌ててフォローする。
「今度は予定を開けておきます」
「次回は是非ともご一緒させてください」
彼らなりの気遣いにわしの心はほっこりする。
「気を使ってくれてありがとう。 今度は一緒に食事をしよう。 それでは、わしは先に失礼するよ」
「「お疲れさまでした!!」」
それだけいうとわしは部屋から出た。
「さて、どうしたものかな・・・」
窓からは夕日が差し込み、街全体が赤く染まっていた。
下を見れば、仕事を終えた人たちが歩道を歩いている。
「・・・たまにはぶらついて帰るのもいいかもな」
わしは懐からスマートフォンを取り出すとLINEアプリを起動する。
不器用な手つきで文字を入力していく。
「・・・『今日は外で食事をして帰る』っと、これでよし」
メッセージを送信したわしはスマートフォンを元の場所に戻すと背伸びをする。
「ふぅ・・・さて、行こうかの」
わしは会社を出て街を歩き始めた。
しばらく移動しているといつの間にか銀座に到着していた。
「銀座か・・・かれこれ5年ぶりだな」
そこでわしはある洋食屋を思い出した。
「せっかく銀座に来たのだし、久しぶりに篤実さんのビーフシチューでも食べていくか」
篤実さんは『洋食屋 ソーファー』のオーナー兼コックをしている。
昔からの知り合いで銀座に来たらよくビーフシチューを食べに行ったものだ。
行き先を決めたわしは街の中を再び歩き出す。
程なくして目的地に到着する。
「たしかここら辺だったはず・・・おお、あったあった。 ん?」
そこで店を見てわしは疑問を感じた。
5年前に見た店とは雰囲気が違っているのだ。
店を間違えたのかと看板を見る。
『洋食屋 ソーファー』
目的の店で間違いないようだ。
「店名は変わっていない。 老朽化とかで外装を一新したのだろう」
5年も経てばそういうこともあると納得したわしは店のドアに手をかける。
カランカラン・・・
店内にドアベルの音が鳴り響く。
入店して店内を見渡すと内装ががらりと変わっていた。
5年前はボックス席だったのが、広い空間に純白のテーブルクロスを敷いた丸テーブルに変わり、客層も昔は親子連れが多かったのが、今はスーツやドレスを着こんだ一流の人間しかいない。
昔からの洋食屋という雰囲気は完全になくなっていた。
(外装だけでなく内装までも・・・当時の思い出が何一つとしてないな)
ドアベルの音に気付いたのか中年の男性がやってくる。
「いらっしゃいませ。 ご予約のお客様ですか?」
ウェイターはわしを見ると侮蔑するような目で見下した。
(はぁ・・・店だけでなく店員の態度までもが変わってしまったのか・・・)
残念な気持ちになりながらもウェイターに予約をしていないことを伝える。
「いや、予約はしてないが」
「申し訳ございません。 当店はご予約のお客様のみの営業となっております」
「そうか・・・」
「次回からは事前の予約をお願いいたします。 その際は正装でお越しください」
言葉遣いは丁寧だが、その口調はわしをバカにしていた。
店内を見るとほかの男性客はパリッとしたスーツを着こなしている。
それに対してわしが着ているのはくたびれたスーツだ。
ウェイターの言葉に席で食事をしている者たちはこちらを見てにやけている。
「わかった。 店を出る前にオーナーの篤実さんに挨拶したいのだが・・・」
「篤実? ああ、先代のオーナーなら現在のオーナーである私、権塊に引き継いで3年前に隠居されました」
ウェイター、いやこの店のオーナー権塊と名乗る男が篤実さんが隠居したことをわしに伝えた。
「隠居だと?」
「ええ、理解されたところで退店願いますか」
権塊は暗に『さっさと出て行け』という雰囲気を醸し出していた。
「邪魔したの」
それだけいうとわしは店を出た。
「・・・」
わしは店をもう一度見る。
篤実さんが庶民向けに対して、権塊は高級向けな店を目指しているのだろう。
「人が変われば店も変わる・・・か」
わしは人混みの中、夜の銀座を歩くのであった。
翌日───
いつも通り会社に着くとわしは壱ノ瀬君と弐葉君に予定が空いている日を聞いてみることにした。
「壱ノ瀬君、弐葉君、今度二人を食事に招待したい。 いつ頃なら空いているかな?」
「少々お待ちください」
二人はスマートフォンを取り出すとスケジュールを確認する。
それから二人は空いている日を話し合う。
話が纏まったところで壱ノ瀬君が代表して返答する。
「私たちの予定ですが、来月であれば複数日空いております」
わしは壱ノ瀬君から詳しい日にちを聞いてメモした。
「わかった。 それではわしの方で店を予約しておくよ」
「よろしいのですか?」
二人にしては驚いていた。
「構わないとも。 これはわしから誘ったことだからな」
「「ありがとうございます!!」」
わしはその場で懐からスマートフォンを取り出すとどこに予約を入れようか考える。
(店の雰囲気は変わっても、引き継いだ味までは簡単には変わるまい)
悩んだ末にわしは以前門前払いを受けた『洋食屋 ソーファー』に電話する。
プルルルルル・・・ガチャッ!!
『お電話ありがとうございます。 『洋食屋 ソーファー』でございます』
「予約をお願いしたいのですが」
『畏まりました。 では、お客様のお名前、ご予約の人数、それとご予約の日時をお教えください』
「名前は頂点の頂に姫路城の城と書いて頂城といいます。 それと人数は三人で、来月13日の19時をお願いしたい」
『少々お待ちください・・・名前は頂城様・・・人数は三人、日時は・・・はい、その日その時間帯は空いております。 こちらでご予約を入れさせていただきます』
「ありがとう。 では、来月13日にお伺いするよ」
『頂城様、本日はご予約していただき、誠にありがとございます。 当店スタッフ一同心よりご来店お待ちしております。 それでは失礼いたします』
それだけいうと電話は切れた。
わしは二人に話しかける。
「壱ノ瀬君、弐葉君、来月13日19時に『洋食屋 ソーファー』という店を予約しておいたから」
「『洋食屋 ソーファー』ですね」
「わかりました」
わしはスケジュールにメモすると仕事を再開した。
それから一ヵ月後───
今日は壱ノ瀬君と弐葉君に日頃の感謝を込めて、先月予約した『洋食屋 ソーファー』で食事する予定だ。
わしはこの日のために普段着ない高級なスーツを着用する。
「ふむ、これで問題あるまい。 あとは壱ノ瀬君、弐葉君と一緒に店に行くだけだな」
そこでわしの懐から電子音が鳴る。
わしは懐からスマートフォンを取り出すとLINEに新着メッセージが届いていた。
LINEアプリを起動するとそこには二人からのメッセージが表示される。
『壱ノ瀬です。 渋滞で少々遅れます』
『弐葉です。 仕事で少々遅れます』
「・・・二人とも忙しいのだから仕方あるまい」
わしは不器用な手つきで文字を入力していく。
「えっと・・・『先に店に行っている』っと」
わしがメッセージを送信すると二人から『わかりました』と短いメッセージがすぐに返ってきた。
「では、行こうかの」
わしは『洋食屋 ソーファー』へと向かう。
店の前に着くと身だしなみを整えてからドアを開けた。
カランカラン・・・
店内にドアベルの音が鳴り響く。
ドアベルの音にこの店のオーナーである権塊がやってくる。
「いらっしゃいませ・・・って、また貴方ですか?」
「予約をしている頂城だ。 今日は正装してきた。 連れの二人だがあとから来る」
わしがそう伝えると権塊は鼻で笑った。
「頂城様、申し訳ございませんがその恰好では入店をお断りさせていただきます」
「なぜかね?」
権塊は待ってましたといわんばかりに答える。
「それはこの店のルールは私だからですよ。 私が認めない者はこの店での食事はご遠慮いただいておりますので」
権塊の言葉に店内にいた客たちが嘲笑していた。
どうやらわしが店を追い出されるところを見られるとあって楽しんでいるようだ。
「理解していただけましたかな? 人が店を選ぶように、店もまた人を選ぶのです」
「そうか・・・では、君に対してはわしも同じように行おう。 ではな」
それだけいうとわしは店を出た。
★★★★★ 権塊視点 ★★★★★
頂城とかいう爺がまたやってきたが、オーナー権限で店から追い出した。
「はぁ、まったくこれだからボケた老人を相手にするのは疲れるんですよね」
そこに常連客たちが俺に声をかけてきた。
「権塊さんも人が悪い」
「相手は老人ですよ。 もう少し労わらないと」
「そうですよ。 老い先短いんですから」
苦言を呈しているわりにはその顔はにやけていた。
俺も釣られて口角を上げる。
カランカラン・・・
店内にドアベルの音が鳴り響く。
俺はすぐにいつもの営業スマイルに戻る。
「いらっしゃいませ・・・! これはこれは壱ノ瀬様、弐葉様、ようこそ、おいでくださいました」
店に入ってきたのは、日本の食料品関連企業の9割を占め、俺がお世話になっている食轟ホールディングスの壱ノ瀬社長と弐葉副社長だ。
この店の食材は食轟ホールディングスから仕入れている。
故に俺にとっては生命線ともいえる人たちだ。
俺は二人に近づいて揉み手しながら更に話しかける。
「急なご来訪、誠にありがとうございます。 ささ、こちらの席にどうぞ」
俺は二人を先ほどの爺がとっていた予約席へと案内する。
二人はテーブルの上に置かれた『予約席』を見て声を上げた。
「その席はほかの客が予約しているのではないのか?」
「いくらなんでも予約した客に失礼では?」
怪訝な顔をする二人。
「ここですか? ええ、たしかにご予約されていましたが、急にキャンセルが入りまして当店としても困っていたところなんですよ」
俺は辻褄を合わせるために嘘を吐く。
「申し出はありがたいが今日は会長と会食の予定だ」
「会長が先に来ているはずだが席はどこかな」
「え? 会長?」
二人の言葉に俺の頭の中では警告が鳴っていた。
(たしか食轟ホールディングスの会長はマスコミ嫌いで表舞台には顔を出さないので有名だ。 そのせいで名前は覚えていないが・・・)
俺が疑問に思っていると壱ノ瀬様がすぐに答えた。
「頂城会長だ」
「頂城・・・会長?」
そこで先ほど店内から追い出した爺の言葉を思い出す。
(え? 先ほど追い出した爺の苗字はたしか頂城だったよな?)
理解が追いついた瞬間、俺の頭の中が真っ白になった。
(あ、あの爺が食轟ホールディングスの会長だとっ?!)
俺が混乱している中、二人は話を続ける。
「頂城会長自らが我々を労うために今日この店を予約してくださってね」
「先に行って待っているといわれたので、我々もあまり待たせるのは申し訳ないと急いできたんだ」
この瞬間、俺の顔は蒼褪めた。
(まずい・・・まずいまずいまずいっ! 何とか話を逸らさなければっ!!)
俺はその場を誤魔化そうと頭をフル回転させた。
「あ、あのですね・・・い、頂城様はまだこちらには来られておりません・・・」
「頂城会長を待たせずにホッとしたぞ」
「その通りですね、壱ノ瀬社長」
何とか話を逸らすことに成功した俺。
だが・・・
「それでは頂城会長が来るまで席で待つとするか」
「そうですね。 権塊さん、席に案内してもらえますか」
俺はすぐに周りの席を見る。
今日は多くの予約を頂いていて爺を追い出した席しかなかった。
「い、壱ノ瀬様、ふ、弐葉様、しょ、少々お待ちください・・・」
俺は二人をその場で待たせることに。
(やばい・・・な、なんとかしなければ・・・)
俺が次の策を考えているとそこに壱ノ瀬様から電子音が聞こえてきた。
「失礼」
壱ノ瀬様は懐からスマートフォンを取り出して操作した。
「頂城会長、お疲れ様です。 壱ノ瀬です」
よりにもよって壱ノ瀬様の電話相手はあの爺だった。
「・・・はい・・・はい・・・わかりました。 早急に対応します。 それでは失礼いたします」
通話を切った壱ノ瀬様。
隣の弐葉様に命令する。
「頂城会長からの伝言だ。 明日以降『洋食屋 ソーファー』へのすべての食材の卸を全面ストップしろとのことだ」
それを聞いた瞬間、俺の顔が蒼から白へと変色した。
「わかりました。 すぐに関係各所に連絡します」
弐葉様がその場でスマートフォンを取り出し連絡しようとする。
(そ、そんな事されたら明日から営業できなくなるだろっ!!)
俺は何とか阻止しようと二人に話しかけた。
「お、お待ちくださいっ! い、今の電話は・・・」
「頂城会長本人からの電話だ。 話を聞くと我々よりも先にこの店に頂城会長が来られていたとか」
壱ノ瀬様が俺に対応し、その間に弐葉様が連絡を入れていた。
「権塊さん、先ほど貴方は頂城会長はまだ来ていないといいましたよね? どういうことか説明してもらえますか?」
「それは・・・その・・・」
俺が戸惑い答えに行き詰まると弐葉様が壱ノ瀬様に話しかけた。
「壱ノ瀬社長、『洋食屋 ソーファー』へのすべての食材の卸を全面ストップ完了しました」
「ご苦労様」
弐葉様の言葉に俺はその場で崩れ落ちる。
(うそ・・・だろ・・・)
このままでは店が潰れる。
そう感じた俺は藁をも縋るように二人に訴える。
「い、壱ノ瀬様! ふ、弐葉様! い、今流通を止められたらこの店が潰れてしまいますっ! ど、どうか流通の再考をご検討くださいっ!!」
「権塊さん、これは頂城会長からの決定事項だ。 残念だが、我々ではその判決を覆すことはできない」
壱ノ瀬様から絶望的な言葉を聞かされる。
「そこを何とかっ!!」
ここで流通を再開してもらわねばこの店はおしまいだ。
「権塊さん、我々はその傲慢で嘘で塗り固めた貴方を信じることはできない」
そこで俺は二人から信頼を失ったことにようやく気づいた。
「話はそれだけです。 それでは我々はこれで失礼します」
それだけいうと二人は店を出て行った。
俺は手を伸ばすも何も掴むことはできなかった。
今まで俺たちのやりとりを静観していた常連客たちはカトラリーを皿の上に置くと手を挙げてフロアスタッフを呼んだ。
「会計を」
「こっちもお願い」
「ご馳走様」
客たちは気まずくなったのか、急いで勘定を求めた。
スタッフの一人がレジで一人奮闘している。
一組、また一組と会計を済ますと店を出ていく。
最後の客が店から出ると残されたのは俺と店のスタッフ、それと各テーブルに置かれた食べ残しの残飯だけだ。
この店で一番古株のスタッフが俺に声をかける。
「オーナー、これからこの店どうなるんですか?」
「・・・そんなの俺が知りたいわっ! なぜこうなった? どうしてこうなった? 俺があの爺を蔑ろにしたからこうなったのか?」
俺は癇癪を起してスタッフたちにきつく当たった。
スタッフたちが困っていると店内に電話の音が鳴り響く。
スタッフの一人が慌てて電話に出る。
「お電話ありがとうございます。 『洋食屋 ソーファー』でございます。 ・・・はい・・・はい・・・キャンセルですね? 畏まりました。 ・・・失礼いたします」
受話器を下ろすと俺に話しかけてきた。
「オーナー、佐藤様から明日以降の予約をすべてキャンセルする旨の電話をいただきました」
「なん・・・だと・・・」
それは常連客の一人である佐藤様がこの店から離れたことを意味する。
そして、客が減ることはこの店の収入が減ることを指す。
「くそっ! 先ほどまであんなに美味そうに食べていたくせにっ!!」
怒りを感じているとまた店内に電話の音が鳴り響く。
先ほどのスタッフが電話に出て内容を聞いたあとに受話器を下ろす。
「オーナー、今度は鈴木様から予約をキャンセルする旨の電話をいただきました」
「またか・・・」
それからこの店の常連客である高橋様、田中様、伊藤様、渡辺様、山本様、中村様、小林様、加藤様から立て続けに電話で予約キャンセルされた。
ほかにもメールでキャンセルする客もいた。
「まさか全部の予約がキャンセルされるとはな・・・」
俺が頭を抱えているとスタッフたちが私服に着替えてやってきた。
いつの間にか閉店時間が過ぎて店内の片づけが終わっている。
「お疲れ様です、オーナー」
「それじゃ、俺たちは先に帰りますので」
「お先に失礼します」
定時になったスタッフたちは俺に関わりたくないのか早々と店を出た。
一人店に残された俺は考え込む。
「これからどうすればいいんだ・・・」
このあと、俺は今後どうするべきか考えたが、結局答えは出なかった。
翌日───
昨日の出来事からか俺は一睡もできなかった。
「・・・このままでは店が潰れる」
これが夢ならばと考えていると次第に夢なのではと思い始めた。
「・・・そうだ、昨日のあれは夢だ・・・悪い夢を見ていたんだ・・・そうに違いない」
現実の俺は今目を覚ました。
そう思い込むと着替えて店に向かう。
しかし、現実は甘くなかった。
午後1時、店に出勤するもスタッフは誰一人としていなったのだ。
「あいつらっ! 何をしているんだっ!!」
俺は店内を見て回った。
いつもなら多くのスタッフがすでに出勤して色々と準備をしている。
テーブルクロスや花を新しいのに変更したり、送られてきた食材を下処理しているはずだった。
しかし、今日はそれらが一切されていない。
それどころか裏口を見てもそこには食材が入った段ボールが一つもなかった。
食轟ホールディングスは本当に俺の店への食材提供を全面ストップした。
「・・・本当に止めやがった」
俺が頭を抱えていると突然店内に電話の音が鳴り響く。
誰かが取ってくれる電話も今は誰もいないので俺が直接電話に出る。
「お電話ありがとうございます。 『洋食屋 ソーファー』でございます」
『わたくし、退職代行サービスの何処田と申します。 本日は御社に勤務されている山田様から弊社に退職依頼をいただき、代理でご連絡を差し上げました』
「・・・は?」
俺が意味を理解していない間に話が進んでいく。
退職理由と本人の意思を伝えてきた。
『・・・そういうわけで、後日正式な書類を持ってお伺いいたします。 それでは失礼いたします』
ツー、ツー、ツー、・・・
電話の主は言いたいことだけ言って電話を切った。
「・・・辞めたい奴は辞めればいい。 どうせ一人辞めたところで変わりはしない」
が、そこから立て続けに電話が鳴る。
出るとそれらはすべてこの店のスタッフから依頼を受けた退職代行サービスからの電話であった。
職場の不満、退職理由、本人の意思を伝え、正式な退職手続きは後日行う旨だけ伝えてさっさと電話を切った。
そして、スタッフ全員が退職代行サービスを通して店を辞めた。
「あいつら・・・全員辞めやがった」
ストレスから俺は頭を掻き毟る。
「どいつもこいつもふざけやがってっ!!」
物に当たって憤りたかったが、今はそれどころではないと自分に言い聞かせる。
それからスタッフルームに行ってパソコンを起動すると予約状況を確認した。
「予約は・・・ゼロか・・・」
いつもなら予約表にはびっしりと名前が書かれているのに今は名前一つない。
仮にいたとしても食材がないので何も作ることができない。
「人もいない。 予約もない。 食材もない。 俺はいったいどうすれば・・・」
俺は今ある現実を受け入れるしかなかった。
時間は午後5時を過ぎた。
いつもならこの時間に開店し、多くの予約客が店内を埋め尽くしている。
だが、今日は開店どころか店自体に明かりがない。
それもそのはず、俺に代替わりしてから予約客以外の客は一切断っていたからだ。
「・・・はぁ、今日は臨時休業だ」
俺は『本日、臨時休業』と書いた紙を店の扉に張った。
それから暗い店内の中、俺は昨日に引き続きどうすればいいのか考える。
「・・・やはりあの爺に頭を下げるしかないのか」
頭を下げるのは癪だが、俺の店を元に戻すためにはやるしかない。
俺は店の電話から爺の電話番号を入力して電話した。
するとすぐに電子音が俺の耳に入ってきた。
『おかけになった電話番号への通話は、おつなぎできません』
ブチッ!!
「・・・あの爺ぃっ!! 俺が仕方なく謝ってやろうというのに着信拒否しやがってえぇっ!!!」
電話を壁に向かって投げたい気持ちだったが、俺は何とか踏み止まった。
「・・・落ち着け、俺。 爺に繋がらなくても食轟ホールディングスの壱ノ瀬社長か弐葉副社長に謝罪してもう一度やり直せばいいんだからな」
今度は食轟ホールディングスに電話した。
するとまたしても電子音が俺の耳に入ってくる。
『お電話ありがとうございます。 本日の営業は終了いたしました。 恐れ入りますが、平日の午前9時から午後5時までにおかけ直し下さいますようお願い申し上げます』
俺はふとカレンダーを見る。
よりにもよって今日は金曜日だった。
「くそ・・・まじかよ・・・」
翌週の月曜日まで対応できないことに俺は頭を抱えた。
3日後───
俺は朝一に店に出勤すると食轟ホールディングスに電話する。
電子音がしてワンコールで繋がった。
『お電話ありがとうございます。 食轟ホールディングス営業担当部身乃木です』
「私は『洋食屋 ソーファー』の権塊といいます。 壱ノ瀬様か弐葉様はおられますでしょうか?」
『少々お待ちください』
待っている間受話器からは軽快な音楽が鳴り続ける。
しばらくして音が止んだ。
『お待たせしました。 権塊様、申し訳ございません。 確認したところ御社との取引は全面禁止となっております』
「そこを何とかできませんか!」
『申し訳ございません。 決定事項なので』
「お願いします! お願いします!」
『本当に申し訳ございません。 失礼します』
それだけいうと電話が切られた。
「もしもしっ?! もしもしっ!!」
ツー、ツー、ツー、・・・
俺はすぐに電話をかけなおした。
『おかけになった電話番号への通話は、おつなぎできません』
嫌がったのか即ブロックされた。
「・・・ふっざけるなあぁっ!!」
ダンッ!!
俺は机を思い切り叩いていた。
手の痛みが俺を冷静にさせる。
「このままでは俺の・・・俺の店が・・・」
先週の金曜日からすでに3日が経っている。
その間の収入はゼロだ。
早く店を再開して損失を挽回しなければならない。
だが、俺の頭を悩ませているのはそれだけではなかった。
ネットの飲食店紹介サイト『食評』では、多くのユーザが俺の店に低評価をつけていた。
感想欄には『この店の料理は不味い』、『店主が横暴』、『食べに行く価値なし』など、これでもかと誹謗中傷や批判的な感想が書かれている。
ほかにもネット上の匿名掲示板『ひゃくおくにんちゃんねる』では俺の店についてのスレッドが立ち上がっていて、そこでも叩かれて炎上していた。
「このままでは本当に取り返しがつかなくなる。 とにかく行動しなければ」
俺が動こうとした時だ。
カランカラン・・・
店内にドアベルの音が鳴り響く。
「ごめんください」
マッチョな男が入ってきて俺を見るなり話しかけてきた。
「わたくし、退職代行サービスの何処田と申します」
来訪したのは退職代行サービスの者だった。
何処田は俺に近づくと名刺を差し出す。
「この店のオーナーである権塊様で間違いありませんか?」
「そうだけど」
「先日、お電話でお話しした山田様の退職についてお伺いいたしました」
「・・・どうぞこちらへ」
俺は名刺を受け取ると席を勧めようとした。
が、そこでまたドアベルの音が鳴る。
「ごめんください。 わたくし、退職代行サービスの向田と申します。 権塊様はいらっしゃいますか?」
「ああっ! もうっ!」
それを皮切りに次々と俺の店に退職代行サービスの者たちがやってくる。
俺は一人一人相手をする羽目になった。
結局すべての対応が終わったのはその日の夜だった。
翌日───
俺は食轟ホールディングス本社にやってきた。
「電話がダメなら直接話を聞いてもらうしかない」
俺は会社の正面入り口を通り、受付に向かった。
「いらっしゃいませ。 食轟ホールディングスへようこそ。 本日はどのようなご用件でしょうか?」
受付嬢が営業スマイルで挨拶すると用件を聞いてくる。
「私、権塊といいます。 頂城会長、壱ノ瀬社長、弐葉副社長はいらっしゃいますか?」
「恐れ入りますが、お約束はいただいておりますか?」
「・・・いえ、連絡がつかなかったもので」
「少々お待ちください」
受付嬢は電話で確認する。
「受付です。 今、権塊様という方がお見えになっておりまして、頂城会長、壱ノ瀬社長、弐葉副社長へのお伺いを希望されておりますが・・・はい・・・はい、わかりました」
受付嬢は受話器を下すと俺に頭を下げた。
「お待たせしました。 壱ノ瀬からの伝言でございます。 『お会いできかねます』とのことです」
「そ、そこを何とか頼みます」
「権塊様、申し訳ございません」
受付嬢は俺に対して再度頭を下げた。
「壱ノ瀬社長いるんだろ? 頼むよ、会わせてくれ!!」
「重ね重ね申し訳ございません。 アポイントメントが取れていない方への面会はお断りしております」
受付嬢は三度頭を下げた。
「・・・これだけ頭を下げてるんだぞ! 会わせろっていってるんだろうが!!」
我慢の限界を超えた俺は手を伸ばすと受付嬢の胸ぐらを掴んだ。
「きゃあああああぁーーーーーっ!!」
突然のことに受付嬢が悲鳴を上げる。
隣にいたもう一人の受付嬢が机の下にあるSOSボタンをすぐに押した。
悲鳴を聞いて、近くの警備員たちが俺を取り押さえる。
「くそっ! 放せっ! 放せっ!!」
「おとなしくしろ!!」
しばらくしてやってきた警察官に俺は身柄を拘束された。
事情聴取を受けて、解放されたのはそれから3日後だ。
俺のことは事件としてテレビや新聞に大々的に報道された。
家に戻ろうにも多くの報道陣が集まっていた。
それは店のほうも同じだ。
俺はしばらく雲隠れすることになった。
あれから一ヵ月が過ぎた。
ほとぼりが冷めて、俺はもう一度初めからやり直すことに。
だが、すべては手遅れだった。
世間の俺のイメージは最悪だ。
俺が名乗ると皆俺から離れていった。
どうしようもなくなった俺は暗い店の中一人椅子に座っていた。
「・・・俺は、ただ日本一、いや世界一の店にしたかっただけなのに」
先代オーナー篤実のやり方では世界一の店にはできない。
だから、俺は店を引き継いだ時に先代のやり方を捨てた。
俺は俺のやり方で行こうと。
だけど・・・
「・・・もう、おしまいだ」
希望を見いだせない俺は廃業する道を選んだ。
そして、俺の夢は今ここに終わった。
☆☆☆☆☆ 頂城視点 ☆☆☆☆☆
あのあと、わしは壱ノ瀬君と弐葉君の協力を得て、篤実さんの居場所を突き止めてもらった。
連絡先を聞くとわしは早速電話する。
プルルルルル・・・ガチャッ!!
『もしもし』
「篤実さんですか? 頂城ですが」
『頂城さん? お久しぶりです』
「お久しぶりです。 突然の電話で申し訳ない」
『問題ありませんよ。 それでご用は何でしょう?』
わしは本題を切り出した。
「実は久しぶりに篤実さんのビーフシチューが食べたくてね。 店に伺ったんだけど・・・」
『ああ・・・ニュースで見ました。 うちの権塊が本当に申し訳ないことをしました』
話を聞くと権塊は篤実さんの一番弟子だった。
まだ厨房で料理を作っていた頃、権塊が一度だけ店を大きくしようといったそうで、篤実さんは料理は名声の道具ではないと窘めたそうだ。
『あの時はすぐに引いたから納得してもらえたと思っていましたが、まさか野心を抱いたままだとは・・・頂城さんにはどう謝罪していいものか・・・』
「それをいうならわしの方こそ独断で食材の提供を止めて篤実さんの大事な店を潰してしまった。 申し訳ない」
『頂城さんは悪くないですよ。 むしろ僕が若い頃から食材を安く提供してくれて助かっていたんですから』
わしは若い頃を思い出す。
厨房でひたむきに料理を作り、お客さんに笑顔で接する篤実さんの姿を。
そんな篤実さんだからこそわしは支援し続けたのだ。
『暗い話はこれくらいにしましょう。 お詫びといっては何ですけどビーフシチューを御馳走しますよ』
「本当ですか?! ありがとうございます! できれば、わしのほかに二名同席させたいのだが問題ないかの?」
『全然良いですよ。 それで僕の家だと狭いのでどこかの調理場を借りて作りましょうか』
「それならわしの会社に来て作ってくれませんか? 必要な物はこちらですべて揃えますので」
『わかりました。 それでは日時が決まり次第連絡ください。 必要な食材についてはメールで送ります。 それでは』
それだけいうと篤実さんは電話を切った。
一週間後───
時間は正午。
部屋には壱ノ瀬君と弐葉君がいる。
「二人とも今日はわしに付き合ってくれてすまないね」
「お誘いいただき、ありがとうございます」
「ご同席できて光栄に存します」
コンコンコン・・・
扉を叩く音が聞こえた。
「どうぞ」
扉が開くと篤実さんがカートを押して入ってきた。
カートには寸胴と食器、それにパンが入った籠がのっている。
篤実さんはお玉で寸胴の中のビーフシチューを掬い、シチュー皿によそっていく。
用意ができるとわしらの前に料理を並べていった。
「お待たせしました。 ビーフシチューです」
「「おおー」」
壱ノ瀬君と弐葉君は篤実さんのビーフシチューを見て、驚嘆の声を上げる。
「熱いうちにお召し上がりください」
「そうだの。 それではいただくか」
「「いただきます」」
まずはビーフシチューをスプーンで掬うと口に入れる。
「美味い。 やはり篤実さんのビーフシチューは最高だな」
「お褒めにあずかり光栄です」
篤実さんはわしに一礼する。
壱ノ瀬君と弐葉君もそれぞれビーフシチューを食べる。
「「美味い!!」」
気に入ったのか二人の食べる手は止まらない。
そうこうしているうちに二人のシチュー皿は空になっていた。
「すみません。 お代わりをもらえますか」
「私も」
「はい」
篤実さんは笑顔でシチュー皿を受け取るとビーフシチューをよそって二人に渡した。
「良い食べっぷりだの。 わしもお代わりをもらうとするか」
それからわしらは篤実さんが作ったビーフシチューを心行くまで堪能した。
「「「ごちそうさまでした」」」
「おそまつさまでした」
篤実さんのビーフシチューにわしらは大満足していた。
「こんなに美味い料理なら毎日食べたいですね」
「本当に」
「そういっていただけると料理人冥利に尽きます」
手放しに褒められて誇らしくする篤実さん。
だが、次には暗い顔になった。
「本来であればこの味を権塊に、そして、その弟子たちに引き継いでほしかった」
味の後継者がいなくなったことに篤実さんは悲しみをこらえることはできなかった。
「篤実さん、このビーフシチューを私たち食轟ホールディングスに引き継がせてもらえませんか?」
「え?」
壱ノ瀬君の提案に驚く篤実さん。
「篤実さんのビーフシチューをレトルト食品にして全国販売したいと考えております」
「それは良い考えですね、壱ノ瀬社長。 私も賛成です。 頂城会長はどう思われますか?」
「わしも壱ノ瀬君の意見に賛成だ」
「頂城さん・・・」
篤実さんはわしたちを見て今にも泣きだしそうな顔をしていた。
「篤実さん、前向きに検討してもらえないでしょうか?」
「僕のビーフシチューでよければよろしくお願いします」
篤実さんは壱ノ瀬君の提案を快諾した。
「それではビーフシチューのレトルト食品化を決定します」
「篤実さん監修の下、商品を開発していきます」
「篤実さん、よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
それから一年後、篤実さんのビーフシチューは商品化された。
たしかに思い出の洋食屋はもうない。
しかし、思い出の味は別の形で後世へと引き継がれるのであった。