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15. 呪い

「割り切ろうって決めて、大学に入ってからは楽しかったなあ。サークルもバイトも。お姉ちゃんからは仕送りもらってたけれど、連絡することもなくなってた。それなのに、今年の年明け。成人式が終わってちょっと過ぎたくらいかな。お姉ちゃんから手紙が届いたの。電話でもメールでもなくて、手書きの手紙が」


 日が傾き始めていた。窓の外は夕闇が濃くなってきている。


「手紙にね、おじさんと二人で天国に行きますって書いてあった。びっくりしてお姉ちゃんに電話したけど、電源が入ってなくて繋がらなかった。手紙には、この部屋で七輪を使って一酸化炭素中毒で心中するから、部屋に入るときは息を止めて、一酸化炭素を吸わないようにしろって。中に入って窓を開けっ放しにして換気扇を回してから、しばらく外に出ろって書いてあった。しかも、自殺だと天国に行けないから事故ってことにしたいって。警察にはお姉ちゃんと連絡が取れなくなって、心配だから帰ってきたら、ドアを開けて七輪と倒れている二人が見えたって言えって。一酸化炭素中毒だって判断したって答えろって。それで、換気して部屋に入らないようにしたって説明しろって。そんな具体的な指示ってある? でもね、ドア開けたら、本当に倒れてる二人と七輪が目に入るんだよ。冷蔵庫に秋刀魚まで入ってるし。本当に秋刀魚を七輪で焼こうとしてたのかと思ったよ」


 花凛(かりん)は立ち上がって、ドレープカーテンを閉めた。ソファに戻ると、続きを話し出す。


「手紙にはね、警察に手紙のことは言うなって、自殺って判断されると天国に行けないから、絶対に言うなって書いてあった。手紙の存在も伏せろって、読んだら捨てろって。捨てられるわけないのにね。しかも、葬式は絶対するなとか亡くなった連絡は誰にもするなとか書いてあるし。でも、伊織莉(いおり)は友だちからわたしの両親が亡くなったって聞いたんだよね?」

「ああ。両親だったりお姉さんだったり、言ってることバラバラだったけど」

「わたしが救急車呼んだんだし、その後に警察も来たし。近所の人が見てるんだから隠せるわけないよね。でね、二人が亡くなって落ち着いてから、この部屋の片付けしてたんだけど、写真とかどこにもないの。遺影すら作れないんだよ。それなのに、受取人がわたしになってる死亡保険の書類と、わたし名義の預金通帳と印鑑と別の手紙が出てきたの。通帳を見たら、けっこうな金額のお金がたまってた。大学卒業するまでの分はあるはずだから使えって、死亡保険金も手続きして受け取れって、一緒に置いてあった手紙に書いてあった。それでね、手紙の最後にはね……」


 花凛と目が合う。


「……人の役に立つような立派な人間になりなさいって書いてあった」


 立派な人間。人の役に立つような人間。借り物の言葉の正体が分かった。


「さっきクマさんと話してて気付いたんだよ。これってお姉ちゃんから、わたしにかけられた呪いなんだって。最期の言葉なんて呪いになっちゃうよね。でも、本当、訳が分からないよね。さんざん人のことを邪魔者扱いして、呪いとか言っておいて、いきなり天国に行きます、人の役に立つ立派な人間になりなさいって。そんなこと言われても、どう受け止めていいのかすら分からないよ。わたし、この部屋帰ってきたの中学校卒業して以来だよ。五年ぶりに帰ってくるのがお姉ちゃんとおじさんの死体を見つけるためだよ。おじさんなんて、いつもお姉ちゃんが間に入ってきたから、話をした記憶なんてほとんどないよ。どんな人なのか、いまだによく分かんないよ。何の仕事してたのかすら知らないよ」


 花凛のご両親が昔に亡くなっていてお姉さんが代わりに中学校のときに三者面談に来たこと、年明けにお姉さんとおじさんが亡くなったことが、花凛の両親が亡くなった話に入れ替わったこと。俺と伊織莉の推測は当たっていたようだ。


 花凛は缶チューハイを飲み干した。続いてハイボール缶のプルタブを開ける。よく飲むなと思ったけれど、隣の伊織莉の方がお酒が進んでいた。飲まないと聞いていられないのかもしれない。いや、こいつ昨日も飲んでたな。ただの飲んだくれだな。


「クマさんが誰かの魂が乗り移ったって言ったとき、おじさんじゃないかって思った。半年くらい前からぬいぐるみになったって言ってたから、タイミング的にちょうどだって思って。だから、クマさんの記憶が戻るの手伝おうと思ったの。クマさんがおじさんだったら、お姉ちゃんのこと、ちょっとは分かるんじゃないかって。結局、わたしはお姉ちゃんが何を考えてたのか分かんないままだったから」


 そこまで話すと、花凛は一息ついた。


「これがわたしの、呪いのお話。わたしがお姉ちゃんにとっての呪いで、最期に逆にお姉ちゃんから呪われちゃったお話」


 呪い。


 存在が呪いだってお姉さんに言われ続けた。最期の言葉が呪いになってしまった。それがずっと花凛を苦しめ続けてた。お姉さんは花凛に何を求めていたんだろう。どうなって欲しかったんだろう。


「花凛さ、サークル辞めたのって」

「うん。人の役に立つような立派な人間になるってなんだろうって思って、サークルやってる場合じゃないなって」

「それでロースクール行こうって考えたから辞めたのかよ? 楽しそうにしてたのに」

「ね。人の役に立つような立派な人間って言われて、どんなのがあるんだろうって調べて、弁護士くらいしか思い浮かばないのが、わたしの残念なところだよね」


 伊織莉が手元の缶ビールを飲み干して、口を開く。


「花凛、悪かったな。辛いこと話させて」

「お酒でも飲まないと話せないよね。でも、正直すっきりした。隠すほどのことでもなかったように思うよ」

「でも、辛かったんだろ?」

「そのときはね。……ついでにもう一つ。わたし……伊織莉に嫉妬してた」

「嫉妬? なんで? あたしに嫉妬することなんてなくね?」


 それは俺も全面的に同意したい。


「中学生のときに伊織莉の家に遊びに行ったことあるでしょ?」

「ああ」

「伊織莉の家族に会って、すごく羨ましかった。優しいお父さんとお母さんがいて、おじいちゃんもおばあちゃんも伊織莉のこと大切にしてくれてて、お兄ちゃんとも仲が良くって。すごくすっごく羨ましかった。わたしは一人なのにって。家にいてもずっと一人なのにって。温かい家族に囲まれてる伊織莉がすっごく羨ましかった」

「……そっか」

「うん。だから、伊織莉には、わたしの家族のことずっと話したくなかった」


 二人は同時にハイボールの缶を呷った。お互いに言葉を探しているようだった。


「ありがとな、話してくれて」

「うん。ありがとう。聞いてくれて」


 一段落したところで、俺は疑問を口にする。割とどうでもいい疑問を。


「どうでもいいかもしれないけど、花凛さんのやってたサークルって何?」

「フリーペーパー作ってたの。その地域のお店とかイベントとか紹介するやつ」

「どうしてそのサークルに入ったの?」

「フリーペーパー作るのに、いろんなお店に取材に行ったり、スポンサー募るためにいろんな会社にOB訪問したりするから就職に有利だよって勧められて。いい企業に就職するっていう呪いだよね、これも」

「伊織莉さんも同じサークル入ってたんだろ?」

「あたしは取材って理由でおいしいもの食べられるって聞いたからな。でもスポンサー募るためにいろんな会社訪問してたら、こんなのもう仕事じゃねえかって思って。大学卒業したら仕事しなきゃいけないのに、なんでもう仕事してるんだろって思ったらやる気がなくなったわ」


 なんというか伊織莉らしい。


「で、クマ。おまえ、どうなんだよ?」

「何が?」

「おまえ、おじさんなのかよ」


 そうだった。俺の正体に関係あるかもしれない話だった。だけど。


「全然ピンとこない」

「なんだ、それ」

「俺がそのおじさんだったら、もうちょっと何か思い出してもよさそうな気もするんだけど、何も思い出せなかった。おじさんじゃないのかなあ」

「じゃあ誰なんだ、おまえ」

「それが分かんないから困ってるんだけど」

「クマさんがおじさんじゃなかったら、わたしが手伝う理由なくなるなあ」

「え?」

「だって、クマさんの記憶が戻っても全然知らない人だったらお姉ちゃんのことだって分かんないままだし」

「知らないおっさんのために頑張る気しねえよなあ」


 ごもっともすぎる。


「……で、でも、俺がおじさんかもしれないって可能性はまだ残ってるから……」

「けど、おまえ、花凛の話聞いても何にも思い出せないんだろ?」

「い、今はまだ……」

「へえ。じゃ、クマさんに明日もう一回聞いたら何か思い出せるの?」

「何にも思い出せなかったら、こいつここに置いていこうぜ」

「段ボールの中に友だちいっぱいいるしね」


 なんなの、こいつら。人の弱みにつけこみやがって。普通にムカつくんだけど。


「そういえば、わたしを尾行しようって伊織莉をそそのかしたクマさんだよね?」

「ああ、こいつに花凛が実家帰るから跡つけろって言われたわ」

「いや、あれは……」


 その前に、花凛の父親のふりしろって言ったの伊織莉だぞ。絶対忘れてるだろ、こいつ。しかも、あの日の尾行にノリノリだったくせに。


 尾行のことを思い出しているうちに、俺の脳裏に一つの疑問が浮かんだ。


「そういえば花凛さん、昨日この部屋に帰ってきたのって、何か用事だった?」

「あー。クマさんみたいに、他のぬいぐるみにも魂が乗り移ってないかなって気になったの。それで、この部屋のぬいぐるみを見に来たの」

「お姉さんの魂?」

「そう」


 俺は、ぬいぐるみの並んだ段ボールのガムテープが剥がれていたことを思い出した。あれはきっと、中のぬいぐるみを確かめようとして花凛さんが昨日剥がしたんだ。


「はずれだったみたいだけど」


 さっき俺がぬいぐるみに呼びかけても反応はなかった。魂が乗り移ったぬいぐるみなんて、そうそういないようだ。


「段ボールの中にぬいぐるみがたくさん入ってたけど、あれって全部花凛さんの?」

「うん。ここに引っ越すときに一緒に持ってきたの。ここに住んでる間は飾ってあったんだけどね。高校の寮に持ってくのもどうかなって思ったから」

「今の部屋には持ってかないの?」

「どうしようね。今の部屋に置けないわけじゃないけど、そんなに広くないし。でも、捨てるのもなんかなぁって思うし」

「お気に入りの一個持っていって、クマと交替でいいんじゃね」

「ああ、いいかもね」

「よかったな、クマ。仲間に囲まれて成仏するまで楽しい余生を過ごせよ」


 なんだ、こいつら。ムカつくぞ。俺は二人にガツンと言ってやった。


「す……捨てないでください……」

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