14. 花凛の過去
残暑の厳しい中、花凛は俺をトートバッグに入れて道を歩く。
「こういう時に伊織莉がすることなんて、ゲームかカラオケかお酒だよ。一人だし、今の時間だとゲーセンだね」
伊織莉の行き先に目星をつけると、花凛は部屋を出た。
電話すればと俺は提案したが、直接行くと彼女は言った。時折、トートバッグの外へさりげなく顔を出して様子をうかがったが、彼女の足取りに迷いはなさそうだった。見慣れない街の景色をちらちらと眺めたが、俺の記憶に引っかかるようなものは見つけられなかった。
ゲームセンターへとたどり着くと、花凛は店内を探す。少しの間うろうろすると、格闘ゲームの台に座り自分もゲームを始めた。伊織莉が見つからなかったのだろうか。ゲームをやりたくなったのだろうか。
トートバッグの中から身を乗り出し、画面を見る。画面の中では、花凛の操作するキャラクターが敵キャラクターをボコボコにしていた。格闘ゲームが強いなんて、意外な気がする。格闘ゲームをやっているところなんて見たことがないのに。スマホゲームすらロクにやってないと思う。
あっさりゲームに勝つと、台の向こう側から声が聞こえる。
「相変わらず、めちゃくちゃ強いな」
聞き慣れた声。声の主が近づいてくる。対戦相手は、伊織莉だった。
「久しぶりにやったけど、腕落ちてないみたい」
「リズムゲーなら、あたしのが上手いからな」
「わたし、あれなんか苦手なんだよね」
「音痴ってわけでもないのにな」
二人がゲームセンターで遊んでいる間、俺は花凛のトートバッグの中でおとなしくしていた。というより、おとなしくしているほかなかった。動くわけにもいかず、しゃべるわけにもいかない。
ゲーセンで見ているだけなんて、つまらないにも程がある。俺もゲームやりたい。この身体だとスマホが反応しないからスマホゲームはできないけれど、据え置きゲームならできるはずだ。どっちか持ってないかな。
しばらく遊んでから、二人は店を出た。花凛のトートバッグの中で二人の会話を聞くかぎり、今までどおりのような印象を受ける。ゲームをしながらどういう会話をしたのか分からない。仲直りしたのかも分からない。
特に女子だと、表向きは仲直りしたように見えても、内心は全然違うことを考えている可能性だってある。この二人はどうなんだろう。
コンビニに寄って、花凛の実家に戻ってきたのは夕方ごろだった。テーブルに乗せられたお菓子とお酒と俺。ソファに並んで座った二人は、缶ビールを開けて乾杯をする。こいつら、三日前もお酒飲んでなかった?
「まず謝るね。ひどいこと言ったこと」
「こっちこそごめん。花凛のこと、こそこそ調べようとしたり、勝手に人の家に入ったり。とんでもないことしてた。悪かった」
「クマさんから聞いたよ。郵便受けにクマさん突っ込んだんでしょ?」
「ああ。マジでいけると思わんかったわ」
あの恨み、俺は忘れないからな。
「順番に話すね。わたしの呪いのお話。長くなるけど」
「花凛、辛くない? もし辛いなら」
「平気。飲みまくるから」
言うと花凛は缶ビールを呷る。
「わたしが小学校五年生のとき、両親が死んだの。ひき逃げされて。犯人は今も見つかってない。あの日、土曜日で、両親の結婚記念日で。お姉ちゃんとわたしが、お父さんとお母さんに言ったの。たまには二人で外食でもしてきたらって。ちょうどテレビで映ってたレストランにお母さんが行ってみたいって言ってたから、お父さんにそのレストラン勧めて。そのときお姉ちゃんが中学三年生で、わたしたちなら二人でも大丈夫だからって。それで、その日、二人は帰ってこなかった。わたしは夜遅くなったから寝ちゃったけど、お姉ちゃんは待ってたみたいで、夜遅くなっても帰ってこないから心配になって電話したらしいんだけど出なくて。それで次の日の朝、警察から連絡があったの。二人が道路で倒れてるのが発見されたって。わたしとお姉ちゃんが二人で病院に行って、お父さんとお母さんを確認した。駅から家に帰る途中に車にひかれて、夜はそんなに人通りも多くないから目撃者もいなくて。監視カメラもない場所だったし。わたしもお姉ちゃんも後悔したよ。レストランなんて勧めなければよかった。いつもより、ちょっとだけ豪華な夜ご飯を家で食べてれば、あんなことにならなかったのにって」
「別に花凛のせいじゃねえだろ」
「そうかもね。お父さんとお母さんも、もう少し早く帰るか遅く帰るかでもいいから、ちょっとでも時間がずれてればって、違う道を通っていればって、何度も思ったよ。でも、あの日、お父さんとお母さんは帰ってこなかった。わたしとお姉ちゃんは、お母さんの従兄弟のおじさんに引き取られて引っ越したの。それが、この部屋」
俺は部屋を見回した。一人で暮らすには広いけれど、三人で暮らすには手狭だと思う。
「おじさんって、滅多に会うことなくって、わたしは顔も忘れてた。お葬式のときに会っても、誰か分かんなかった。ここに引っ越すことになったのは、おじさんとお姉ちゃんが話し合って決めたみたい。他に親戚もいなかったし、わたしとお姉ちゃんだけだと生活ができなかったんだと思う。そんなにお金持ちってわけでもなかったから」
両親を亡くして中学三年生と小学五年生の姉妹だけが残される。生活費を稼ぐ手段もない。ひき逃げの犯人が逮捕されないと慰謝料だってもらえない。児童養護施設に行くか、路頭に迷うか。頼れる親戚がいるのなら、頼るのは選択肢として当然のように思う。
「こっちに引っ越してきてから一ヶ月くらい経ったころかな。そのころはあっちの和室に布団を敷いて三人で寝てた。そんなに広いところじゃないから、そうするしかないよね。それで、ある日、夜中に目が覚めた」
花凛は缶ビールを飲み干すと続けた。
「お姉ちゃんの上にね、おじさんがのしかかってたの。二人とも裸で。お姉ちゃんは目を閉じて、唇をギュッと噛んでた。必死に耐えてるように見えた。わたしは、お姉ちゃんがいじめられてるって思って、助けなきゃって思って。でも、怖くて動けなくって。そのまま寝ちゃったんだと思う。次の日、記憶がはっきりしてきて、ああ、あれってそういうことかって思って。そんなころは、そういうのって好きな人同士でするもんだって思ってたから、あのときのお姉ちゃんの表情を思い出すと、どうしてなんだろうってよく分からなかった」
彼女は缶チューハイのプルタブを開ける。
「何度もあったの、そういうことが。その度に、わたしは見ないふりしてた。気付かないふりしてた。それで、しばらく経ってからだったと思うんだけど、おじさんがお姉ちゃんにのしかかってて、お姉ちゃんが、やっぱり目を閉じて、唇を噛んでて、それが、突然。お姉ちゃんが、目を開けて、こっちを向いたの。わたしと目が合ったの。お姉ちゃんがハッとした顔をして。わたしも見ちゃいけないものを見た気がして。お姉ちゃんは、また目を閉じた。わたしも、それで、目を閉じた。それから、お姉ちゃんが変わったの」
花凛は和室を指さした。
「あっちの和室がわたし一人の部屋になったの。お姉ちゃんはおじさんと仲良くするから、わたしはあっちで一人でいろって。その言葉どおり、お姉ちゃんとおじさんはベタベタし始めた。二人はこの部屋で生活して、わたしは和室で生活するようになった。ご飯も別々。テレビも別々。寝るのも別々。この家で、わたしは一人になったの」
俺は、花凛の言葉を思い出した。いつも、一人で。ずっと、一人で。
「お姉ちゃんはわたしに勉強しろって口うるさく言うようになった。成績いい方だったのに勉強しろって。ご飯もわたしが作らされた。三人分。食べるのは別々なのに。それでも、お姉ちゃんに料理教えてもらえる時間はうれしかったな。栄養バランスについて、しつこく言われたけど」
普段の花凛の食事。栄養バランスのよさそうな手料理。その理由が分かった気がする。
「お姉ちゃんね、中学校卒業してから就職したの。びっくりしたよ。成績すごいよかったんだよ? それなのに高校行かないなんて思ってもみなかった。理由聞いても、勉強なんて好きじゃないとしか言ってくれなかった。それなのに、わたしには勉強させようとするの。意味分かんないよね。で、中学校卒業するまでそんな生活が続いたの。学校行って、家に帰ってご飯作らされて、勉強させられてっていう毎日。部活やるなとか友だちと遊ぶなとか、そういうのはなかったけど。でも、この家にいるのは正直苦痛だった。帰りたくないなってよく思ってた。だって、家に帰っても一人なんだもん。だから、学校の図書室で残って勉強したり、図書館寄って勉強したりとかするようになった。お姉ちゃんはいつもおじさんの隣にいた。わたしと話すこともほとんどなくなってた。おじさんとずっとベタベタしてて、おじさんが鼻の下を伸ばしてた。それが、高校に入って突然終わったの」
「花凛の通ってた高校って……」
「うん。覚えてる? 全寮制の女子高。お姉ちゃんが決めたの。お姉ちゃんがおじさんとベタベタしたいから、家から出てけって。帰省もするなって。今でもはっきり覚えてるよ。お姉ちゃんに、わたしの存在なんて呪いだって言われたこと。わたし、追い出されるんだって思った。高校卒業して、就職して、一人で生きてかなきゃいけないんだって思った。それなのに、高校入るときも、三者面談でお姉ちゃんが学校に来たときも、大学には絶対行けって言うの。それも、少しでも偏差値の高い大学に。しかも、おじさんとベタベタしたいから実家から通える大学にするなって。一人暮らししないと通えない大学にしろって。意味分かる? お姉ちゃんはわたしに偏差値の高い大学に行って、いい企業に就職して、稼いだお金で自分たちを養えって言ってた。それがわたしっていう呪いを解く方法だって。だから、わたしも割り切ることに決めた。自分のためだけに勉強して就職して生活しようって。そのためにお姉ちゃんたちを利用しようって」
「それで花凛さんは、今の大学を選んだの?」
「そう。わたしが受かりそうな大学で一番偏差値の高いところ。だからね、今の大学で勉強したいことがあったとか、校風に魅力を感じてとか、そんな理由何にもないよ」
「でも、花凛さんの大学って名門でしょ? ちゃんと勉強しないと合格できないと思うけど」
いや、待て。よく考えたら、どうして伊織莉が花凛と同じ大学に通ってるんだ。こいつの頭がいいようには見えないぞ。裏口なのか? いくら払ったんだ? 学長の弱みでも握ったのか?
「おい、クマ。おまえ、今、すげえ失礼なこと考えてただろ」
なぜ分かる。