13. 壊れた
「……うん……」
そのリアクションで、彼女がお姉さんの死を受け止め切れていないことが分かる。そして、お姉さんの死を伊織莉に隠し続けていることも。
「話すの、辛い?」
「……まだ、ちょっと」
彼女は視線を逸らし、手元で小さく拳を握りしめた。
「その話って、誰かにしたことある?」
彼女は静かに首を振る。
「ないよ」
やっぱり話したくないんだろうなと思う。親戚のおじさんとお姉さんについては花凛が自分で口走ったことだから、亡くなっているということだけは教えてくれた。表面的なところまでは話すけれど、それ以上の深入りは許さない。そんな線引きが見て取れる。
俺の記憶に関係するかもしれないから、できれば聞きたい。けれど、本人に話す気はなさそうだし、聞かれるのも嫌なんだろうと思う。
誰かに話をすることで気持ちが整理できたり、受け入れられたりすることはあるけれど、強要されることでもない。相手がどうでもいい人なら、なんとか騙して口を割らせる方法を考えたかもしれないけれど、これだけお世話になってる人に対して、そんなこと考えたくもない。
いや、俺のことはいい。後回しだ。問題は。
「伊織莉さんは、どうするの?」
「どうしようね」
花凛は力なく笑う。
「嫌われちゃったな」
「多分、向こうも同じこと思ってると思うよ」
「そうかな」
「そうだね」
「わたしが伊織莉を嫌いにいなることなんてないけど」
「向こうも同じこと思ってるね」
「そうかな」
「そうだね」
花凛は畳の上に寝転がった。普段なら絶対やらない、初めて見る、彼女のだらけた姿だった。
「……わたしがずっと、伊織莉のこと羨ましいって思ってたって知ったら、妬んでたって知ったら、わたしのこと嫌いになるかな」
「え、伊織莉さんを?」
「そう」
意外だった。
「伊織莉さんを嫉妬する要素なんてある?」
「失礼すぎない?」
俺のことを投げ飛ばしたり、郵便受けとか段ボールの穴とかに突っ込んでくる女だぞ。ロクでもないだろ。
「クマさんは、伊織莉の家族のこと知らないから、そんなこと言えるんだよ」
「昨日、伊織莉さんの実家に泊まったけど、にぎやかで楽し気な家族だなって思った。顔は見てないから声だけだけど」
伊織莉の家族。昨日の夜を思い出す。愛されて育ったんだろうなって感じる温かい家族。
「そっか。泊まったんだ」
「うん」
「……わたしね、この部屋で暮らしてたの」
「うん」
「この部屋で、勉強して、お布団、敷いて……」
「うん」
「いつも……一人で……」
「……うん」
「……ずっと……一人で……」
消え入りそうな声だった。
家族のことを話したがらない花凛。それがコンプレックスになっているんだろうか。だとしたら、特に伊織莉には話したくないのかもしれない。
「……わたしね、小学五年生のときに、ここに引っ越してきたの」
「うん」
「両親が死んだの。ひき逃げされて」
やっぱり。亡くなってる。予想どおりだ。さっき俺に信用してないのかって迫ったのは何だったんだ。けど、問題はそこじゃない。
「花凛さん、ちょっと待って」
「何?」
「その話、俺が先に聞いていいの?」
「……どういうこと?」
「俺だって自分に関係あるかもしれないから当然聞きたいけど、でも、花凛さんの話を一番聞きたいのは、間違いなく俺じゃない」
俺の指摘に、彼女は口を尖らせた。
「……分かってるよ、そんなの」
「伊織莉さんって単純馬鹿で乱暴者だけど、俺を雑に扱うロクでもない人だけど、花凛さんを大切に思ってることだけは間違いない。花凛さんが何かを抱えてて、でも自分が力になれなくて、花凛さんを傷付けずに話を聞きだすこともできなくて、でも、目の前で苦しんでるのに放っておくこともできなくて、すごく悩んでた。昨日も、自分が花凛さんのこと何にも知らないってすごくへこんでた。勝手に花凛さんの家族のこと調べたのも、この部屋に入ったのも、やり方は間違ってると思う。けど、あの子の気持ちだけは本物だと思うから」
少しの沈黙。そして。
「分かってるよ、分かってる」
彼女はつぶやく。
「怖い? 伊織莉さんに嫌われるの」
「嫌われるのが好きな人間なんていないよ」
「伊織莉さんが花凛さんを嫌いになることなんてないと思うけど」
「どうかな。立派な人間じゃないよ、わたしは」
立派な人間じゃないという言葉。隙あらば刃物を持ち出してくる謎の行動。まさか。
「あの……自首したほうが……」
「なんでよ」
「人を刺したとか」
「牢屋に入れられるようなことはしてないよ」
違うのかよ。
「伊織莉は多分、わたしを嫌ったり突き放したりしないと思う。けど、それに甘えてちゃダメなの」
「なんで?」
「自分がちゃんとしてないと、強い人間になれないよ。誰かを助けたりできる人間になれないよ」
「自分で自分のことを立派な人間じゃないって言ったくせに、甘えたくないっておかしくない? 立派な人間じゃないなら、強くなくたってよくない?」
「立派な人間じゃないから、だよ。だから、立派な人間になりたいの」
何だろう、この違和感。彼女の言葉が空虚に響く。
「花凛さんの言う立派な人間って何?」
「そんなの……人の役に立つような人間」
言葉の借り物感が強い。本当に、彼女自身の言葉なのか。
「立派な人間になるって、誰が決めたの?」
「わたし、だよ」
「最初にそう思ったのっていつ?」
俺の問いかけに、彼女は黙り込む。答えられないのか、答えたくないのか。俺は言葉を続ける。
「誰に言われたの?」
彼女の息をのむ音が聞こえた気がした。畳から上半身だけを起こすと、彼女は俺を睨みつけた。その瞳からは俺を非難する意思が見て取れる。それでも、俺は続ける。
「花凛さんの言葉が、自分で話してるように聞こえなかった。誰かに言われたことを守ってるように聞こえた。言っちゃ悪いけど、立派な人間って言葉に呪われてるみたいに聞こえた」
「……呪い……か……」
つぶやくと、彼女は再び畳の上に寝転がった。黙ったまま天井を見つめる。ややあって。
「……くっ……ははっ…………あははは!」」
彼女は吹き出した。
「あははははは! 呪いだよ、ホント。笑っちゃう! あははははっ!」
ええぇぇ。花凛が壊れた。
「あはははは!」
笑いながら彼女は俺の身体に手を伸ばす。俺の腕をつかむ。そして。俺の身体をぐるぐると空中で回し始めた。
「ちょっ! 花凛さんっ!」
「呪いだよ! こんなのっ! あははははっ!」
「やめて! 酔う! やめて!」
「呪われちゃったよ! あははははっ!」
「やめて! ごめんなさい! 酔うから! やめて!」
俺の言葉なんて聞きもせず、彼女は寝転がって、笑いながら俺を回し続けた。