12. 冷たい視線
「恥ずかしいところ見せちゃったね」
ハンカチで目元を抑えたまま、花凛が口を開く。
「いや、もう、本当に、こっちこそ、何て言ったらいいか」
花凛を慰めた方がいいのか、伊織莉のフォローをしたほうがいいのか。伊織莉に関しては俺も同罪だから謝るしかない気もするけど。
「はじめてだよ、伊織莉とあんなに喧嘩しちゃったの」
「今まで喧嘩したことなかったの?」
「些細なことならあったけど、あんなに言い合ったの初めて」
花凛は大きく伸びをすると、畳の上で姿勢を崩した。
「記憶戻ってないんだよね?」
「うん。さっぱり」
「わたしもクマさんっておじさんじゃないなって思った」
「おじさんって?」
「わたしの親戚のおじさん。クマさんに誰かの魂が乗り移ってるって聞いてから、おじさんじゃないかなってずっと思ってた。違うんだよね?」
「正直、分かんない。今はまだ何も思い出せないから。もしかしたら、そのおじさんかもしれないし」
「それもそっか」
親戚のおじさんという言葉。ぬいぐるみの中にお姉ちゃんがいるという言葉。知りたいことはたくさんあるけれど、聞く勇気がない。さっき、それで喧嘩してたのに。でも、俺の正体に関わることだから、聞かないわけにもいかない。
「あの、花凛さん」
俺は言葉を選びながら続ける。
「話したくないのは重々承知なのですが、それでも俺に関係することなので、できれば教えていただけるとありがたいので質問させていただきたいのですが」
「何?」
「親戚のおじさんというのは、一体」
「その前に」
「はい」
「わたしに言うことあるんじゃないの?」
どれだろう。心当たりがありすぎる。花凛に何の相談もせずに、こそこそと家族のことを調べようとしたこと。勝手に部屋に入ったこと。全部まとめて謝った方がいい気がする。それで何とかなるだろ。
「本当にごめんなさい」
俺は頭を下げた。
「それは、何に対して?」
「いろいろと」
「いろいろって?」
具体的に要求してきやがった。
「まさか、全部まとめて謝っておけば何とかなるだろとか思ってない?」
こいつ、エスパーかよ。
「わたしがどうして怒ってるか分かってる?」
めんどくさいカノジョみたいなこと言い出した。その台詞は男が言われて困る台詞のトップスリーに間違いなく入ってると思う。
この子は何をどこまで把握しているんだろう。今日、大学に行っているはずなのに、ここにいるということは、いろいろとバレている気がする。一個ずつ順番に謝った方がいいかもしれない。
「まずは、昨日、花凛さんの跡をつけたことについて」
「嘘!? わたし、尾行されてたの?」
うわ。気付いてなかった。黙っていればよかった。
「伊織莉と一緒にってことだよね?」
「……はい」
「どっちが言い出したの?」
そんなの……あ、俺だった。
「俺です……」
「へえ」
花凛の目が冷たく光る。この場に刃物があったら、絶対突きつけられてる。
「で? どうして尾行しようと思ったの?」
花凛が先をうながす。
「一昨日の夜に、俺が花凛さんのお父さまのふりをした後に、スマホで時刻検索してたんで、多分実家に帰るんじゃないかなって思って」
「それで、どうして尾行しようってなるの?」
「その前の日に伊織莉さんと話してたんですけど、伊織莉さんが夏休みに帰省したら、友だちから花凛さんのご両親が亡くなったという話を聞いたらしくて、もしかしたら俺の正体が花凛さんのお父さまじゃないかという話になりまして」
「で?」
「ただ、伊織莉さんが言うには、花凛さんはご家族のことは一切教えてくれないとのことで、何か悩みを抱えてるんだろうけれど、教えてもらえなくて力になれないのを伊織莉さんも嘆いておりまして。それで、二人でなんとかできることをやろうという話になりまして」
「それで、わたしが実家に帰ると予想して跡をつけたんだ」
「はい」
「わたしの実家に来てどうしようと思ったの?」
「お父さまが本当にご存命なのか確かめようと思ったんです。ご存命なら俺の正体は別の人ということになりますので」
「わたし、お父さん生きてるって言ったよね?」
「はい」
「わたしって信用されてなかったんだね」
「いや、あの、そういうわけでは」
「信用してるんなら、ここまで来ないよね」
「えっと……伊織莉さんがお友だちに聞いた話だと、亡くなったのはご両親ではなくてお姉さんだとか、ご両親はもっと前に亡くなってるはずだとか、みんなバラバラだったらしくて、でも、花凛さんに聞いてもはぐらかされてしまうので、直接見に行こうみたいな話になったような気がします」
「クマさんは伊織莉のせいにするんだ」
できるならそうしたい。
「わたしを尾行しようって言いだしたのクマさんなのに伊織莉のせいにするんだ」
「……ごめんなさい、俺のせいです……」
うう……。言い返せない。
「それで、この部屋にはどうやって入ったの?」
「伊織莉さんが俺の身体を郵便受けから押し込みました」
「え? よくあんなとこ通れたね」
「破れそうでした」
「破れればよかったのに」
ちょっともう怖いんですけど。
「段ボールの中って見たんでじょ? そのぬいぐるみの中に、クマさんと同じように魂が乗り移ってるのいた?」
「声はかけてみたんですけど反応がないので、多分いないと思います」
「そっか。残念だね」
「はい」
「じゃ、昨日プラネタリウムは行ってないの?」
「行ってないです」
「なんだ。プラネタリウムに行って記憶が戻ったから今日ここに来てるのかと思った」
さっき俺に向けられた言葉を思い出す。戻ったんだよね、記憶。おじさんなんだよね? あれは、そういうことか。伊織莉からの帰省してるってメッセージをそう解釈したのか。
「二人が何してたのか、だいたい分かったよ」
ひとまず理解してもらえたみたいで安心する。
「許すかどうかは別だけど」
相変わらず視線が冷たい。
「クマさんは、わたしのおじさんについて知りたいんだよね?」
「はい」
「親戚のおじさんがいるんだけど、年明けに亡くなったんの。それで、タイミングから考えて、もしかしたらクマさんかもって思ったの」
「その親戚のおじさんってのは、花凛さんと仲良かったの?」
「仲良かったというか……。話すとちょっと長くなるんだけど……うーん……」
花凛は口ごもると、うつむいて沈黙した。掘り下げるのは難しそうだ。違う角度から聞いてみることにする。
「さっき花凛さん、ぬいぐるみの中にお姉さんがいるんじゃないかって言ってたけど、お姉さんって亡くなってるの?」
彼女の身体がビクッと震える。顔を上げる。息をのむ音が聞こえた気がした。