11. ぶつかる
伊織莉が、乾いた声で答える。
「花凛……どうして……」
「……それは、わたしの台詞だよね」
一歩ずつ、花凛が近づいてくる。
「ここで何してるの」
「……花凛」
「答えて」
伊織莉は言葉を探しているようだった。
この状況を説明しようとすると、花凛が自分のことを教えてくれないことに触れることになる。けれど、それはきっと触れられたくないからだということも分かっている。上手く説明することなんて、伊織莉にできるわけがない。
俺と伊織莉の目の前で立ち止まった花凛は、段ボールの中をのぞきこむ。段ボールの中に詰まったぬいぐるみ。そのぬいぐるみと俺とに交互に視線を送ると、小さくため息を吐いた。
「そっか。やっぱりそういうことか」
花凛は真っ直ぐに俺を見据えて続けた。
「戻ったんだよね、記憶」
何だ? 何を言ってるんだ?
「おじさんなんだよね?」
おじさん? 俺のこと?
「その中にお姉ちゃんもいるんだよね?」
どういうことなのかまったく分からない。困惑しているのは伊織莉も同じようだった。
「待ってくれ、花凛」
「いいよ、隠さなくて」
「違う、こいつの記憶なんて戻ってない」
「じゃ、どうして二人がここにいるの?」
「それは……」
伊織莉は立ち上がると、花凛を見据えた。
「夏休みにこっちに帰ってきたときに、花凛の両親が年明けに亡くなったって聞いたんだよ。で、花凛の持ってたぬいぐるみが記憶がなくて誰かの魂が乗り移ったっていうから、もしかしたらって思って」
「それで、勝手に人の家に入って物を漁るの? それに、そんな話、してくれたことなかったでしょ!」
「ああ。悪かったって思ってる。けど、聞いたら教えてくれたか? 家族のこととか、花凛が悩んでることとか、あたしが聞いて今まで教えてくれたことあるか!? 本気で悩んでることとか、困ってることとか、絶対はぐらかすだろ!」
「そんなの言いたくないからに決まってるじゃない!」
「言ってほしいんだよ! あたしは!」
「伊織莉に言ったって、どうにかなる話じゃないでしょ!」
「それでも言ってほしいんだよ! 聞くくらいしかできないけどさ、でも一人で抱え込んでほしくねえんだよ!」
「話したくもないし、聞いてほしくもないから言わないの!」
花凛の声が震える。感情を必死にこらえているのが分かる。
伊織莉は握りしめた拳を震わせながらも、声を荒げる。
「それでも、あたしは聞きたいんだよ! 花凛が話したくないってことは、話すことで傷ついたり辛い想い出がよみがえったりするんだろ? だから、聞かない方がいいのかもしれないけどさ、けど、苦しんでるのが分かってるのに見てるだけなんてできねえんだよ! 一人で抱え込んで欲しくねえんだよ!」
「その結果がこれ!? 記憶戻ったおじさんと勝手に部屋に入るの!? お姉ちゃんと何話してたの!?」
「だから、こいつの記憶戻ってないて言ってるだろ!」
いけない。二人とも感情的になりすぎてる。会話だって微妙にかみ合っていない。
「あの、二人とも、落ち着いて。ちょっとかみ合ってないから論点整理したいんだけど」
「うるせえよ、黙ってろ」
「そういう先生みたいなこと言うのやめて」
「あ……はい……。すみません……」
えぇぇ。俺が怒られるの? これ。
「……出てってよ」
「ああ。悪かったよ」
伊織莉はソファに置いたままになっていたリュックを拾い上げ、そのまま玄関から出ていく。
室内には俺と花凛が残された。正直、こういうときに取り残されるのって、ものすごく気まずいんだけど。でも、伊織莉に連れていかれても、絶対気まずかっただろうな。
花凛の様子を探ろうと、彼女に視線を送る。花凛はその場に呆然と立ち尽くしたままだった。彼女の頭からは、俺の存在は消えているかのようだった。
やがてへなへなと床に座り込み、膝を抱えて顔を伏せる。肩を小さく震わせながら、何かを必死に耐えているのが分かる。
少しして、嗚咽が漏れた。耐えきれなかったのだろう。喉の奥から漏れ出た、かすかな嗚咽。我慢しきれずに、こぼれた嗚咽。
この子は、何を抱えているんだろうと思う。何を我慢しているんだろうと思う。素直に泣くことすらできず、必死に泣くのを耐えようとしている。涙がこぼれるのを我慢しようとしている。
泣いている子を目の前にして、いつの間にか無意識に俺は動いていたようだった。ビクッと震えて顔を上げる花凛。その頭を、段ボールに登った俺が撫でていた。彼女と目が合う。いつ段ボールに登ったのか、どうして頭を撫でているのか、自分でもまったく分からなかった。
花凛は少しの間俺を見つめると、また顔を伏せた。その目には、言葉にならないものが詰まっていた。
相変わらず、声を押し殺して、涙がこぼれるのを我慢しようと耐え続ける花凛。静かな室内に、彼女の心からあふれた嗚咽だけが響き続けた。
俺はずっと、彼女の頭を撫で続けた。