1. バレた
暇だ。
とにかく暇だ。できることが少なすぎる。
クッションの上に寝転がってテレビを眺めながら、今日一日を振り返る。今日したことといえば、テレビを見たことと、パソコンで動画サイトを見たことくらい。
昨日もそうだった。一昨日もそうだった。その前も、その前も、その前も。毎日テレビを見るかパソコンで動画サイトを見るくらいしかしていない。
とはいえ、できることが他にないから仕方がない。好きでだらだらしているわけではないと自分に言い聞かせる。
窓の外は暗くなり始めていた。そろそろだろう。テレビを消すと俺はベッドに登り、クッションをベッドと壁の隙間に押し込んでから、所定の位置に座った。
今日はこのまま座って過ごすことになる。座って物思いにふけっていると、だんだんとまどろんでくる。睡眠なんて、もう必要ないはずなのに。それでも眠くなるのは習性だろうか。それとも、本当は睡眠が必要なのだろうか。
真っ暗な中でキラキラ光るイメージが脳裏をよぎる。それが何なのか、どうしても思い出せない。星空だろうか。照明だろうか。夜景だろうか。もっと違う何かだろうか。
何か大切なことを忘れているのは間違いないけれど、それが何なのか、必死に記憶をたどっても、どうしても思い出せない。思い出さなければいけないはずなのに。
足音が響く。
ガチャリという鍵の回る音で、意識が現実に戻った。続いてドアの開く音。帰ってきたなと思う。けれど、いつもと違うのは、話し声が聞こえることだった。
この部屋に来客があるのは珍しい。前回来客があったのはいつだったか。一ヶ月以上前になる気がする。
話し声がだんだんと近づいてくる。よくある1Kの間取りの部屋なので、話し声は、声の主が玄関を入ってからキッチンを抜け、部屋にたどり着くまでに次第に大きく明瞭になってくる。
部屋に明かりが灯り、ぼやけた輪郭がその姿をはっきりとさせる。夜目が利くとでもいうのだろうか、明かりがなくても今の俺にはある程度見えるけれど、やっぱり明るい方がはっきり見える。
座ったまま視線だけを声のする方に送ると、見慣れた顔と、見覚えのある顔があった。
見慣れた顔はこの部屋の主。女子大生の花凛。歩くたびに、肩まで伸びているウエーブがかった明るい色の髪がふわりと揺れる。
手には包丁。……包丁? キッチンで取ってきたのだろうが、どうして包丁を持っているのか分からない。果物でも買ってきたのだろうか。それならキッチンで作業すればいいのに。
もう一人の見覚えのある顔は、長めの明るい髪を後ろで結んだ女性。前にこの部屋に来たときに花凛と親し気に話していたのを覚えている。おそらく友人だろうが、名前が思い出せない。一度しか見たことのない人なので、思い出せなくても仕方がないかもしれない。
「花凛、こいつ?」
「うん」
「へーえ……」
つぶやきながら友人の女性が俺の眼前に近付き、まじまじと見つめる。あまりに至近距離に来たので、思わず息を止める。何も悪いことはしていないはずなのに、冷や汗が出ているような気さえしてくる。
「え、伊織莉、どうするの?」
花凛の言葉で俺は思い出す。そうだ。この子の名前は伊織莉だった。活発というか粗野というかガサツというか、荒っぽい印象の人で、おっとりしている花凛とは正反対だと感じたことも合わせて思い出した。
「どうするって決まってるじゃん」
答えると伊織莉は、俺の身体に手を伸ばす。
「締め上げようぜ」
「え、ちょっと」
花凛の制止がその耳に届かなかったのか、届いたけれど無視をしたのか。次の瞬間。俺の身体は首元をつかまれ、持ち上げられていた。
両手両足をだらりと下げ、全身の力を弛緩させて、されるがままの姿勢をとってはいるけれど、実際は全身が緊張していた。
心臓が早鐘を打つような感覚に襲われる。怖い。どうしてこんな目に。助けを求めるように視線だけを花凛に送ると、彼女は包丁の刃先をこちらに向けていた。もっと怖い。
「正直に言え」
伊織莉が俺の目を見据えながら言う。
「おまえ、何者だ?」
そんなことを聞かれても、答えようがない。
「この部屋に隠しカメラ置いて映してたから、おまえが昼間に何やってるか分かってるんだぜ」
な……!? いつの間に……? 気付きもしなかった。完全に油断した。
「10秒以内に答えたら許してやる」
答えられなかったら、何をされるというのか。このまま首を絞められるのか。
「10、9……」
俺の疑問が届くことはなく、伊織莉はカウントダウンを始める。
「8、7……」
そのカウントダウンは死刑宣告のようで、死へのカウントダウンのようで。
「6、5……」
怖い。殺される。怖い。
「4、3……」
何て答えたら許してもらえるのか。本当に許してもらえるのか。
「お願い」
カウントダウンの途中で花凛が口を挟んだ。
「正直に答えて」
握られた包丁の刃先がキラリと光る。そこでようやく俺は、彼女が包丁を持っている理由を理解した。本当に警戒しなければならなかったのは、きっと、花凛の方だった。いくらなんでも刃物はまずい。今の俺には首を絞められるほうがマシだ。
「2、1……」
無理だ。これ以上は、もう無理だ。俺にできることは、一つしかない。
「……す……すみませんでした……」
生命の危機から逃れるために、ひとまず俺は謝った。
部屋の姿見には、左手を腰にあてて右手を伸ばす伊織莉と、彼女の右手に首をつかまれて震える、クマのぬいぐるみが映っていた。