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閑話 武能の呟き

 誰もいない深夜の事務所。

 室内の電気を点け、デスクに腰を降ろした。


「…静かだな」


 4年前の活気が嘘のようだ。

 あの頃は親父とお袋、5人のスタッフ、そして真ん中のデスクには美愛が居た…


「今更か」


 コンビニで買ってきた缶チューハイを机に並べ、パソコンの電源を入れる。

 先ずは受信メールのチェック。


 得意先からのメールは一通も無い。

 今日も新しい仕事にありつけなかったか。


「続きをやるか」


 1本目の缶チューハイを開け、表計算ソフトのファイルをクリックする。


 知り合いの税理士事務所からの決算書類代行依頼。

 こんな下請けみたいな仕事しか、今の事務所に回って来ない。

 ここだって、昔は俺の事務所の下請けだったのに。


 今は俺が1人で事務所を回している。

 スタッフもみんな辞め、1人っきり。

 仕事が無いのだから、人手は必要ない。


 親父は2年前に税理士を辞めた。


 いや、税理士資格を取り消されて辞めるしかなかった。

 仕事が減って焦った親父は、新規に契約した怪しい会社の脱税を手助けしてしまった。

 脱税幇助ってやつだ。


 杜撰な架空計上は、直ぐに税務調査でバレてしまい、親父は税理士法違反となってしまった。


 俺はその事を全く知らなかったが、事務所の評判は地に堕ち、僅かに残っていた顧客の全てを失ってしまった。


 失意の親父は痴呆症を発症し、今は特養ホームにお袋と暮らしている。


「アイツが悪いんだ…」


 全てはアイツ、美愛のせいだ。

 それまでは全部が上手くいっていたのに、たかが浮気したくらいで離婚だなんて。


 だいたい2000万なんて慰謝料は法外じゃないか?

 そりゃ給料を殆ど払って無かったが、アイツが仕事をしていたのは、たった5年弱なのに。


「クソが…」


 浮気相手に慰謝料を請求したせいで、女には捨てられるし、なにより家族の悪評を業界にバラ撒くなんて卑怯じゃないか。


 そのせいで、昔の繋がりを全部失ってしまった。

 じいさんが築いて来た、この会計事務所の信用までも。


 会計士だったじいさんは、人望も厚く業界でも一目置かれる人間だった。

 でも親父と俺は会計士の試験に何度も挑戦したが、とうとう無理だった。


 じいさんが亡くなり、事務所に陰りが出てきたので、会計士の資格を持つ人間を妻にと、美愛に目をつけた。


 見た目も悪くなかった美愛だが、仕事ばかりしていたせいか、男慣れしておらず、少しばかりおだてるとアッサリ堕ちた。


 俺の事務所に引き入れるのに、少し手間取ってしまったが、なんとか説得し入所して貰ったのだが、美愛の能力は想像以上だった。


 普通にしたら3日は掛かる仕事も、1日で終わらせてしまう。

 その上、新しい顧客も開拓するし、まさに救世主だった。


『子供が欲しいのです』

 美愛の言葉を俺は受け入れられなかった。

 仕方ない、やっと事務所の経営が軌道に乗って来て、そこで止まる訳にはいかなかった。


『お願いします、こなせない仕事は私が以前に居た事務所で頼めますから…』

 何度も頼むので、少しばかり仕事を回すと、確かに格安でやってくれ、益々美愛を休ませる訳にいかなくなった。


『お願いです、私もそろそろ限界で…』


『もう少しだけ頼む、それから子供を作ろうな、安心して仲良く暮らしたいんだ』

 その言葉だけで美愛は働いてくれた。

 本当にチョロかった。


 過労から窶れ、みすぼらしくなる美愛に魅力を感じなくなってしまい、セックスレスに、だから愛人を作った。


 夫婦生活が無くなったから、美愛の身体への負担も減ったはずだから、俺は全く悪くない。


 親父も昔からの夢だった外車を、お袋も長年の夢だった海外旅行を事務所の旅行で叶えたから、親孝行だろ?

 美愛は仕事で行けなかったがな。


 遂に美愛は倒れてしまった。

 それでも身体を治せば元に戻ると思っていたが、両親との会話を全部聞かれていたのは計算外だった。


 証拠と共に離婚を突きつけられ、もう逃げ道はなかった。

 慰謝料の支払いで貯金は減り、生活は一気に厳しくなった。


 外車も維持出来なくなり売り払った。

 お袋の溜め込んでいたブランド品も全部処分した。

 その金は特養の入居費用に消えてしまった。


 もう貯金は僅かしかない。

 俺の老後を過ごす蓄えも足りない。

 新しい仕事を見つけようにも、50を過ぎて今更他業種で働いていける自信もない。

 これも全部アイツのせいだ…


「わかってるさ…」


 本当に悪かったのは、俺達家族だったって事ぐらい。


 俺は無能な人間。


 だから美愛のような人間に憧れていたのだ。

 捨てられてやっと気づいた、本当にバカな男だよ。


 美愛の実家に親父とお袋を連れて、復縁を頼みに行ったが、散々に罵倒されて追い出された。


 その後、美愛が居た事務所の所長から、次に澤井家へ迷惑を掛けるなら業界に居られなくしてやると脅された。


「何を間違ってしまっんだ?」


 ソフトのファイルを閉じる。

 今日も全く作業が進まなかった、納期はヤバいが進まない物はどうしようもない。


 インターネットの検索画面を開き、文字を入力する。


[澤井会計事務所]


 出てきた検索結果の1つをクリックする。

 それは美愛が経営する会計事務所、1年前に偶然見つけた。


「綺麗だ…」


 事務所のブログに映る美愛は2匹の犬を連れ、弾けるように笑っている。

 そうだよ、コイツはこんな顔で笑うんだ。 


 誰がこの写真を撮ったんだ?

 こんなに美愛を幸せな笑顔にさせる人が近くに居るのか。


「俺には無理だ…」


 離婚の調停後、美愛に会った時、俺が近づくだけで過呼吸を起こしていたっけ…


「止めだ止め!!」


 5本目の缶チューハイを開ける。

 空きっ腹に沁みるアルコールは身体に悪いと分かっている、でも止められない。


 数年前から健康診断に行ってないが、おそらく肝臓の数値は悪いだろう、最近顔が黄色くなった気がする。


「畜生…美愛…」


 そのまま眠りに落ちた。

バカの呟きでした。

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― 新着の感想 ―
2000万で士業5年も雇えるなら格安じゃね?
屑は屑なんですけど、振り返って自覚ができる屑だったんですね。 今回の最上位屑との対比が面白いです。 まぁ自覚できたところで一切の救いなんてないのですが。
膿家並にクズな一家やな
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