食事に関する私的見解
食事に関する私的見解
幼児期から高校一年生まで、私は肥満児だった。原因といえばやはり一人っ子だったこともあり、親からふんだんにおやつや食事を与えられていたことであろう。
高校二年生になって思春期になったこともあり、真剣に己のみっともない身体を痩せるべくダイエットを考え二十キロ程度減量した。
それから世の中の景色は一変した。二十キロの重しを取っ払った身体はとても軽く、体育の授業での持久走やサッカー等が苦にならなくなった。ダサい大きなサイズの洋服を着ず、シュッとした標準体型の洋服を選べるようになった。女の子たちとも気軽におしゃべりできる積極性が出てきた。
これまで好き放題カロリーの高い食事やおやつを食べてきた快楽に倍する喜びを感じることができた。
青年期は体型を維持することができたものの、中年期にリバウンドを二回経験した。だが、そこは「昔取った杵柄」である。ダイエットをして現在は標準体型を維持している。
人間年を取ると代謝が悪くなるということだろう。
現在は飽食の時代と言われる。その半面で世界的には食糧危機がさけばれ、フードロス等食べ物を無駄にしない取り組みも行われている。タイムリーな話題とすればロシアのウクライナ侵攻を端に発する世界的原料高で日本でも食料の値段があらゆる面で高騰している。そうなると食事のコストも見直していこうとの動きも出てくるというわけだ。
(私の食事への取り組み)
個人的な嗜好でジーパンを愛好している私は、数多くのジャパンデニム(日本のデニムメーカーが生産しているヴィンテージデニムのレプリカ)を所有しており、この特性として生地にストレッチ素材が混ざっていないこともあって、太ってしまえばジーパンが履けなくなってしまう。
そんなわけで、日常的な食事への節制を欠かすことがなくなり、朝食と昼食はお腹の五分くらいの食事にとどめ、夕食は家族三人でゆっくりニュースなどを観ながらやいやいおしゃべりしながら食べたりしてるので、八分くらいに留めている。
要するに食事への執着を棄てたということだ。
元来太りやすい体質で、リバウンド時などは血液の数値が肝臓を中心に上昇、睡眠時無呼吸症候群も併発し、日中の倦怠感に悩まされていた。
食事を減らし痩せることでこれらがことごとく通常数値に戻ったのだから、いかに「肥満は万病のもと」と言われているかが身をもって理解できた。
また重度のアルコール・アレルギーなのでお酒は一滴も飲めないうえ、タバコも嗜まない、加えておやつやら食事量を減らすということは、家計にも大いなる節約となる。家庭的単位で必要な食料品をその都度買っているのでフードロスにも貢献していると心理的にも満足感がある。
自己嫌悪と背徳感を覚えながらお腹いっぱいお菓子や食事をしているのとは天地ほどの差がある(個人差があります)。
食事を美味しいとか満腹とか感じているのは実は人間の脳であり、少量の食事でも三十~四十回噛んでいると満腹中枢が刺激され、感覚としては満腹には至らないものの「そこそこ満足」くらいには至り、水分の補給を一時間に一回(主にペットボトルのお茶である)行っていればイライラしなくなる……というのはあくまで個人的な試みであって、誰にでもあてはまるというものではない。
逆に言えばたらふく食べてやろうという人は、食事をほとんど噛まずに短時間で掻き込むといい。満腹中枢が刺激される前に食べ物を胃の中に放り込んでやるのである。
とはいえ、これは医学的に推奨されていない食べ方で、大いに太りやすいので通常は禁忌とされている食べ方だ。
何でも体重一キロを痩せようと思えば約七千キロカロリーを消費せねばならず、肥満が万病の基であることを鑑みれば相当の運動・
食事節制が必要になる。
一時の快楽のためにこういう食べ方をするのは非合理的に感じるが、人類がマンモスを追いかけていた何億年前から脳が身体に糖分を溜め込む本能をインプットしていたという説もある。ゆえに食事を節制するのは不可能なのだよ、という学者先生もいるが、私は好きなジーパンを履き続けるためにこれからもこういう食事の節制を続けてゆこうと思っている。
(食事のSNS映えという概念)
最近はおいしそうな食事をSNSにアップして「こんなおいしいもの食べました」自慢が大流行である。
インスタグラムなどに見映えのいいデザートやらコース料理なんかを掲載して、お腹ばかりではなく自尊心までをも満たそうというわけだ。かくいう私も娘のお誕生日ケーキをSNSに掲載したことがあるので同じ穴の狢であろう。
言い換えれば食事を提供する飲食店の側も「SNS映えしますよ!」と公然とうたっており、またケーキなどはおいしいだけでなく綺麗に作られている。飲食店側の発信だけでなく、お客様たちがSNSで料理を拡散してくれれば宣伝効果は抜群である。
そんなこんなでここ数年はちょっと洒落たカフェなんかでは若い女の子(なかには男やおばさまたちもいる)が注文したパフェ等を食べる前にスマホでパシャパシャ撮影にいそしんでいる。個人的にはそのようなことはしていないが、この飲食業界不況の世の中、おおいに宣伝してあげればよいと思う。
食事を作る側も食べる側もお互いのモチベーションが上がり、ウインウインの関係であろう。ただし頑固なお年寄りの大将が経営している蕎麦屋等では「写真撮っていいですか」の一言くらいの気遣いは必要なのかもしれない。
では、食事とSNSの親和性におけるデメリットはあるのか。それが今大いに問題になっている。ツイッターやユーチューブ等の動画でお店の食べ物に迷惑行為をしている様をアップする事例が頻発しているのだ。
コンビニのおでんを一口食べてもとのところに戻したり、回転寿司の通過する他人が注文したお寿司に唾をつけたりと新旧を問わずこういった犯罪行為は留まるところを知らない。
また、すごく大食いの人が信じられないくらいの大量の食事を食べる動画も多い。これは悪事にはならないとはいえ、「食べ物を粗末にしている」「飢餓に苦しんでいる世界の子どもたちもいるのに不謹慎」等、倫理性が問われている。
個人的にはこれらの動画は悪趣味だと感じるが、「いけないもの見たさ」で多くの視聴者が閲覧するので投稿者も炎上覚悟で投稿しているのだろう。
誰しも動画視聴によるお金稼ぎや、人に注目してもらいたいという自尊心を満足させたい気持ちはもっている。しかし、そのベクトルをなりふりかまわずふりかざすのは下品で、醜悪だ。
食事は切っては切れない日常行為なので、リアルで家族や親しい間柄の人たちと楽しんでほしいと願う。
(食事における多様性への適応)
食事は突き詰めるところ体内に栄養を摂取する行動なので、カロリーメイトとかウイダーインゼリーみたいな栄養食品だけ食べても生きてゆける。それこそ今ヨーロッパの戦場では兵士たちがそのような食事をしているかもしれない。
けれども通常は野菜やお肉、果物などを調理してゆっくりコーヒーでも飲みながら家族や親しい人たちと食べている光景を想像する人も多いだろう。
もちろん誰もがそのような形態の食事を行っているわけではなく、一人暮らしで時間がない、あるいは料理が得意ではない人たちのためにコンビニやお弁当屋さんの惣菜、ウーバーイーツのような外食店の配達サービスも充実している。
マクドナルドのようなファストフード、インスタント・冷凍食品、糖尿病などの人のための専用弁当の配達などその多様性に言及すれば枚挙にいとまがない。
先述したSNS映えするスイーツなどはある意味嗜好品なので、氷山の一角でしかない。
つまり私たちはそれぞれの生活環境やその場その時の状況に応じて、ほぼ自動的に食事をカスタマイズさせて適応している。
私たち一人一人がなかば無意識に食事をカスタムし、自己を構成していると考えると、毎日の食事も違った感覚で見えてくる。
アスリートの食生活などプロテイン等欠かせない栄養素だったり、将棋の棋士など頭脳労働をしている人は脳の栄養分たる糖分やブドウ糖を摂取している。
肉体労働に従事している人たちはカロリーの高い大盛弁当を食べているだろうし、デスクワーク中心のOLさんたちならばダイエットも兼ねてサンドイッチと無糖コーヒーなど食事量の違いもあるだろう。
先述した通り頸椎ヘルニアで激しい運動ができない私は、朝食はバナナ一本で昼食はナチュラルローソンのパン一個だ。満腹になればパニック障害の症状で倦怠感が出てきてしまうためでもある。
夕ごはんは家族で食べるため、妻が作る食事を食べている。これは家族のコミュニケーションの意味を含むためとくに節制はしていない(とはいえ妻も娘の小食のため食べ過ぎることはないのだが)。
きっとどこの誰でも三食自分の決まった食事を心地よいように設定し(あるいはおやつやコーヒー・お酒なども挟みつつ)毎日を過ごしているのだろう。
日常で食事に関する話題は三食・間食・飲酒等において欠かすことがない。「衣食住」の三本柱に数えられるのは伊達ではないということだ。
つらつらと食事の解釈を書きつつ、改めて食事というものの懐の深さ、そして業の深さに感じ入った。
終