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8話 倒し方知ってますよ



 床に大量にドロドロと流れ落ちて堆積するそれは、赤黒いマグマのように見える。


 炭酸のように泡立ちながらグネグネと蠢いていて、芋虫、あるいは生き物の内臓らしきものが表面に成形しては消える、不気味な外観を曝していた。


 不定形の汚いマグマの洪水は、僕の足元まで流れてくる。

 しばらく眺めていると、その中から這いずるように、女が出てきた。

 女の姿は、長い白髪で大きな翼の生えた天使に変わっている。


 頭上に天使の輪、西洋人めいた青い目に、白のワンピース。


 これでもかってぐらいに天使感のある要素を詰め込んでいるので、コスプレに見えないこともない。


 その恰好は、僕の感覚だとつい先ほど、幻覚めいた別の現実の中で見たばかりの出で立ちだった。

 おそらくはこの姿こそが、目の前の女の正体が露見したもの、なんだと思われる。


 さっきと状況が違うのは、天使の腕や足、胸から腹、首から頭まで所々が、纏わりつく汚い色の物体に抉られて、あるいは存在を食われて、のたうち回っているところだろうか。


 着ている白のワンピースは、言うまでもなくところどころが裂けたり溶けたりグロテスクに変色している。


 白い服は汚れる運命なので、仕方ないと言えば仕方ない。


 パーカーの上から羽織っている自分の白衣を眺めると、肘の先から裂けていて人のことは言えない有様になっている。


 家に何枚か代わりはあるものの、白衣趣味の人間としてはあんまりいい気分はしないものだなあと思う。


「ちょっと何なのこれは。この、化け物っ」


 床に這いつくばって喚いている女を無視して、僕は足元にこぼれていた赤黒いドロドロの物体に、指先で触れる。


 すると、ドロドロの一部が僕の手の中にズルッと吸い込まれた。

 その瞬間、体の節々がギシギシ軋むような感じがする。


 魔法で作った謎の物体を取り込む感触は、意識が戻った時や、おかしくなった右腕や貫かれた胸部が元通りに直った時の感覚に似ている。


 天使の女に向けて僕が使った魔法は、混沌魔法と呼ばれていたもの。

 このいわくつきの魔法は、自分の体を治すのにも使えるし、他人を害する用途にも使える。

 そういうことなのかもしれない。


 魔法というものがどういう使い方ができるのかについては、僕はまだまだ分からないことが多い。


 その魔法によって何度も臨死体験をさせられている以上、分からないことを分からないままにしておくのは僕にとっては死活問題でもある。


 もう少し自分の魔法の使い勝手を把握しておかないといけない。

 再び、女の方に目を向ける。


 女は目を剥いて呻き声を上げる。


 ドロドロの流体から抜け出すのは容易ではないようで、這い出てきた上体がジタバタしている割にそこから前に進むことはできないらしい。


 同時に、女の頭から頬の辺りに灰色の電流がパチパチと走って、顔に貼り付いた流体が徐々に剥がれ落ちている様子も見て取れた。


 露出した頬の辺りは顎まで肉がごっそり削れていて、口内が見える穴がぽっかりと開いているものの、映像の逆再生みたいにどこからともなく出てきた脂肪がくっついて、すぐにそっくり元の顔に戻っていく。


「やっぱり再生してるってことかな?」


 僕の体が勝手に治っているように、目の前の女の方にも魔法による自動回復機能のようなものが備わっているように見える。


 全身にヒルみたいにへばりついて、天使女の体、存在そのものを削り取って侵食していたドロドロ物体の量が、次第に減ってきていた。


「私を呪ったのね魔女め魔女め魔女め魔女め」


 鬼の形相で呪詛のように魔女連呼する様子は、ホラー映画さながらの不気味さを放っている。


 おそらくは僕の魔力による侵食よりも、天使女の自己修復プログラム的な力が上回っているということになる。


 僕は、魔力の出力を上げてみることにした。


 一度念じるのにつき一回魔法が起動するなら、何回も念じればその分だけ魔法を多重起動できるはず。


 女に近づいて、手を掴む。

 白髪の天使と、一瞬目が合った気がした。

 気にせずに、混沌魔法、混沌魔法、混沌魔法と三回念じてみる。


 手を取って魔力を直接注ぎ込んだせいか、女の体への影響も大きかった。


 皮膚から黄色い膿が大量に漏れ出してきたかと思うと、突然手足とその付け根の辺りが夏場のアイスみたいにドロリと崩れる。


 あっという間に、普通の生き物だったらほぼ死んだと判断される外観になってしまった。


 膿んで作りかけの卵焼きみたいにグチャグチャになった女の顔を眺める。

 露出した目玉がギョロリと動く。


 気味が悪いなあと、僕が顔をしかめたちょうどその時だった。


「一己さん! 大丈夫ですかあ?」


 突然声が飛んできたので振り向くと、黒部さんが廊下の突き当たりの扉から出てきていた。


 向こうが手を振っているので小さく振り返していると、どうにも嫌な気配を感じる。


 視線を戻すと、女の口元がニイッと笑った気がした。

 そして、女の体から魔力のような何かが分離する。


 直後、体が全て崩れてその場所には膿溜まりだけが残った。


「ちょっと待っ―――」


 僕は叫ぼうとして、すぐにやめた。

 彼女が人差し指を唇に当てて、制してきたからだ。


「ふう。やっぱり入ってきましたねえ」


 黒部さんが息をついて、胸に手を当てた後に掌を上に向ける。

 人魂のような白い炎が掌に迸る。


「それって、これ?」


「だと思いますよお」


 僕が黄色い膿溜まりを指さして尋ねると、黒部さんは頷く。


「……ひょっとして計画通り、的な感じ?」


「ええ。魂を直接上書きしようとしたんじゃないですかね」


 要するに、僕が魔法を直接流し込んだ結果ダメージを受けた白髪天使は、ちょうど姿を現した黒部さんの魂を上書きして乗っ取ろうとした。


 黒部さん的には想定済みで、乗り込んできた魂を取り出して掌の上で弄んでいる。


「上書き……そんな真似が簡単にできるって怖いね」


「侵入経路をわざと残しておいたので」


 あっけらかんと言う様子を見ていると、一連の流れが予定調和に思えてくる。


「さて、どうしましょ?」


 黒部さんが尋ねてきて、僕は反応に困る。


「何ができるの?」


 質問で返すと、彼女は少し考え込んでから言う。


「魂を分割してみます?」


「分割するとどうなるの?」


「使える魔力が減るんじゃないかなあと」


 魔法を使うには魔力が必要で、魔力が減れば魔法が使えなくなる。

 彼女が言っているのは、そういう話なんだろう。


 僕は自分で何回か魔法を使ってみても、魔力に不自由する感覚がないので、いまいち魔力を消費している実感に乏しい。


 本当に魔法が使えなくなるなら、嫌がらせとしては効果的かもしれない。


「いいんじゃない」


「じゃあ、やってみますよお」


 僕が同意すると、黒部さんは掌の上の人魂を左手で鷲掴みにする。

 今度は右手で端を掴んで、そのまま左右にグイッと引っ張った。


 ブチブチ、と嫌な音がして、人魂が真っ二つに千切れた。


 霊魂の類がえらく物理的な方法で雑に加工処理される様子を目の当たりにして驚く間もなく、次の瞬間には千切れた二つの人魂がそれぞれ暴れ始める。


 黒部さんの手から抜け出した人魂は、左右に分かれて二つの人影を生み出した。


「これは……」


 僕は息を呑む。

 白ワンピースを着た白髪の天使が、目の前に再び出現した。


 ただし、一人ではなく二人。

 生き写しの同じ表情、同じ恰好の天使が二人、すぐそこに立っている。


 魂だけで実体がない希薄な存在だからか、うっすらと体が透過して背景がチラチラと覗いている。


「何をするつもり?」


「魂を引き裂いたところで、私はすぐに元に戻れるのよ?」


 交互に話す二人のそっくりな天使が、微笑みながら鏡みたいに両手を合わせる。

 その瞬間、片方の天使に異変が起こった。


 皮膚に黒い体毛が増え始め、目が吊り上がって赤く光り出す。

 天使はあっという間に巨大な黒熊に変貌した。


「ついでに魔獣化してみましたけど、どうですかあ?」


 様子を見守る黒部さんが軽い調子で言う。


「衝撃的だね」


 僕と黒部さんが話している間にも、グオオオオと咆哮しながら黒熊はもう一方の天使にのしかかる。


 何をしようとしているのか。

 おそらく、ひとつになりたいのだろう。


「止めなさい、私が、なぜこんなことを」


「元に戻りたいからじゃないかな」


 黒熊に襲われている女は、絶叫して暴れながらやっとのことでこちらに顔を向ける。


「覚えてらっしゃい、次は必ず殺すわ」


 そして捨て台詞を吐き捨てるなり、シュンと瞬間移動か何かで黒熊ごと姿を消した。


 成り行きを見届けてから、黒部さんが呟く。


「次はないんじゃないですかねえ」


「そうなの?」


「魂の分身を特殊な魔獣化して番にしましたから、魔力抵抗が増えて魔法がほとんど使えなくなってると思います。自力で元の姿に戻るのも難しいんじゃないかと」


 彼女の一生懸命な説明を、うんうんと頷きながら聞く。


 半分ぐらい何を言ってるかわからないものの、僕は理解できる範囲で黒部さんと話そうと思った。


「でもワープして消えたよね」


 天使女は取り乱して発狂していたものの、さっさと逃げる余力はあったように見える。


 さっきまで女達が立っていた廊下の床を僕が見つめていると、黒部さんがちょうどその辺りにしゃがみ込んで、指先で地面の埃をなぞり始めた。


 よくよく見れば埃の色は円形に青く変色している箇所がある。

 それから、円の内側にも模様のような青い線が走っている。


「転移の魔法陣がところどころ怪しい気がします」


「どういうこと?」


 僕が首を傾げると、彼女は顎に手を当てて推理する。


「遠距離の転移は安全性低いですし、全然違うところに飛んでるかもしれないですねえ。閉鎖空間とか」


「何それ怖い」


 閉鎖空間とやらは多分、一度入ったら出てこれない場所みたいな意味なんだろう。


 自分はそんなところに迷い込みたくないなあと思いつつ、僕は厄介事が一難去ったことにとりあえず安堵した。


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