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5話 急展開



「あ、猫ちゃんですねえ」


 開いたドアの向こうの通路に目を向けると、耳の曲がった白猫が優雅そうな態度で、こちらを見ていた。


「あの猫は……」


 ついさっき、校内の並木道で見た猫な気がする。

 そして、さっき目が合った時にそうしたように、白猫は妖しい微笑をこちらに向けてくる。

僕の不穏な予感はお構いなしに、黒部さんは猫に吸い寄せられるように近づいていく。


 すると突然、猫の目が宝石みたいに鈍く赤く光った。

 耳に入ってくるのはジジジと肉が焼けて変形するような音、それから毛の表面からもわもわと黒い煙が出てくる。


 目の前の愛玩動物の様子がおかしいことに、黒部さんもようやく気付いたようだった。


「え」


 驚いているうちに、猫の体のあちこちから黒っぽいぬるぬるした不気味な触手、あるいは手のようなものが生えてきて、一瞬で黒部さんに覆いかぶさるように絡みつこうとする。


 その間、コンマ数秒の出来事。展開の早さに、僕は全く反応できない。


 あわやという瞬間、触手は黒部さんの目と鼻の先でぴたりと止まった。動かなくなった黒い触手の表面に、白っぽい斑点が目に見えて増えていき、すぐに触手の束がボロボロと千切れ始めた。


 千切れた部分から蛆虫のようなものがあふれ出てくる様子を見ていると、こういうのが苦手な人だったら吐いてそうだなあと思う。


 ぼとり、ぼとりと地面に腐り落ちた触手は、奇妙な粘液を吐き出しながらドロドロに溶けていき、床を真っ黒にする。


 部屋の外の廊下に、白い蛆虫と謎の粘液が散乱する惨状があっという間にできあがってしまった。


「あら、私の腕がもげてしまうなんて。恐ろしいものね、魔女の呪いって」


 部屋から出て声がした方を見ると、白いコートを着た女が口元を押さえて、呆れたような目でこちらを眺めている。


 さっきまでそこにいた猫は消えて、猫に繋がって残っていた触手は地面に落ちて黒い水溜まりに姿を変えていた。


「何のご用でしょうかね。猫ちゃんに沢山腕が生えてくるなんて、悪趣味なものを見せられて気分が悪いんですが」


 黒部さんは憤慨した表情で、年上に見える女に言葉を返す。


「あれは神聖力を発現させただけよ。不完全な動物があるべき姿を取り戻したのが理解できるかしら」


 白コート女の方は事も無げに、やったことの説明をしてみせる。

 その様子を見た黒部さんは、少し落ち着いたのか抑制的な口調になる。


「魂の器を弄くり回しても、意味ないような。もしかして、欲求不満だったりしますかあ? 男性のお相手がいないということなら、相談に乗りますけどねえ」


 どうも抑えてるのは声色だけで、内容は煽りっぽい。

 それに対して女は嘲るように、言葉を返す。


「フフ、魔女に分かることなんて、何もないのよ? この体、あなたの二世代前の血縁者のものなのだけれどね」


「……皐月(さつき)お祖母様だとでも?」


 黒部さんの目の色に、困惑が滲んだように見えた。

 彼女が内心、動揺しているのが伝わってくる。


『お祖母様って?』


 僕が念話で尋ねると、黒部さんは釈然としない調子で答える。


『分からないです。皐月(さつき)お祖母様は、だいぶ昔に亡くなっているはずなんですけど』


 僕が聞いていてもどういう話かいまいち見えてこないけど、故人である彼女のお祖母さんが目の前の白コート女に似ているってことらしい。


 黒部さんの視線の先にいる女には年老いた印象はなく、若々しい成人女性に見える。


 容姿は言われてみれば、黒部さんに似ている雰囲気がないこともない。

 ただ、女の長い髪は真っ白な白髪で、どうにも不気味な感じがする。


「ああ、そんな名前だったかしら。不要な体を改造して再利用しているから、すっかり忘れてたわ」


「どうして、そんなことを」


 黒部さんの問いかけのような呟きに、女が笑う。


「実験用の玩具(おもちゃ)に過ぎないからよ」


 嘲笑の表情が徐々に濃くなり、女の目に激しい憎悪の色が走る。

 ギョロリと蠢く眼球は、人間のそれからは逸脱したものに見えた。


 まるで他人の体に寄生した未知の生命体か何かみたいに。


「ああ、愚かしいわ。嘆かわしい。出来損ないの魔女に何が出来ると言うの? 今すぐバラバラにして魂は地獄の火の中に放り込んであげる」


 女らしき生物が吐き出し続ける呪詛に、僕は首を傾げる。


「魔女……?」


 魔女というのは、文脈的にはどうも黒部さんのことを言ってるように見える。


 性格的にも外見にも、黒部さんに魔女っ子とか美魔女とかその手の魔女とつく言葉の印象がないので、いまいちピンと来ない。


 僕が違和感をぼそりと呟くと女の目に留まったようで、こちらに関心が向いた。


「あなた、さっきの男の子ね? 魔女みたいな魔力が染み出してるから何かと思ったけど、急に立ち去っちゃうからびっくりしたのよ?」


 優しげな、子供を諭す母親のような雰囲気で、女がにこりと笑う。その不気味なくらい穏やかな物腰がどうやら表面的に取り繕ったものに過ぎないのは、すぐにわかった。


「手間が省けてよかったわ。魔女もお人形も、まとめて消しましょうか」


 女が妖しく目を光らせながら言って、黒部さんが反応する。


「……聞き捨てならない言葉ですねえ。一己さんをお人形扱いとは」


 いつの間にか僕が分類されるカテゴリは、人間ではなく人形になっていたらしい。


 そうか。魔女と人形って部分は、黒部さんがよくわからない黒魔術のようなものを駆使して、僕を操り人形みたいに操作してるって意味なんだろうか。


 見方によっては、それもあながち間違ってないかもしれない。


 さっきからちょくちょく、黒部さんの意図する方向に勝手に思考を誘導されてるような気がしないでもないし。

 まあ、僕の考えと正反対なことを言われされない限りは、あんまり気にしてないけど。


 女子に対する共感力が上がってて助かるなあと前向きに考えることにする。


「何か違ったかしら?」


 にこやかな表情で、女は両手を絡み合わせる。すると指の周りで、灰色の電気がパチパチと弾けた。


「私達は、一心同体ですからねえ。むしろ、私の方が一己さんの操り人形に過ぎないのかもしれませんよお?」


 そう言うと黒部さんが急に振り向いて、僕の方にぱちっと目配せする。

 心の中で漫然と考えていたことをなぞるような彼女の言い方に、僕としては苦笑するしかない。


「一心同体なんてあり得ないわ。生物として肉体に囚われている限りはね」


 勝ち誇るように、女が鼻で笑う。


「他人の体で好き勝手してるあなたは、生き物ではないんですかあ?」


「当然でしょう? 私がただの人間だと思った?」


「いえいえ。変な魔獣(モンスター)かなあと」


「黙りなさい」


 女の威圧的な言葉と共に、ズドドドドと何かが次々と地面から飛び出してくる。


「今度はどうかしら? 十分すぎるほど腕の材質を硬くしたから簡単に崩れないと思うわ。硬い方が、貫通した時に気持ちいいでしょ?」


 黒っぽい謎の塊が勢いよく床から突き立って、女の周囲を埋め尽くす。塊の一本一本は、十字架のように左右と上に分かれた、さっきの触手じゃないかと思う。


 その量が尋常じゃない。廊下の空間の容積を軽くオーバーして、窓ガラスを突き破って外に触手の塊がはみ出している。


「別に肉片を散らかしてもいいのよ? 原形を留める必要はないわ」


「ひえ、なんだか猟奇的ですねえ。あなたの方が、よっぽど魔女らしいのでは?」


「興覚めすることを言うのね、全く」


 女は指を一本立ててこちらに示してから、唇に当てる。

 その時直感的に、自分が今立っている空間が触手で埋め尽くされる瞬間を幻視した。


『一己さん、こちらへ―――』


 視線を交わさないまま頭の中で黒部さんの声が響く。


 振り向くと、彼女の右手側の壁、何もなかった場所に突如として鉛色のドアが出現する。このぐらいのことでは、もう驚かなくなってきた。


 彼女がガチャリとドアを開けて体を滑り込ませるのに続いて間一髪、中に飛び込んでドアを強引に閉めた瞬間、外側で起きた激しい破壊によって、飛び込んだ先の部屋が大きく揺れた。


 部屋の中は物置みたいに狭く、薄暗い。


「あれは何?」


 尋ねると、黒部さんは少し考え込んでから答える。


「私を処刑するためにやってきた人でしょうねえ。今になってどうして急に現れたのか、わかりませんが」


 処刑なんて言葉が出てくるとは思わなかったので、どう反応していいか微妙な気分になる。


「ずいぶん物騒だけど、心当たりあるの?」


「悪いことはしてないつもりですけど」


 話している間も、ドーンと爆弾が爆発しているかのような振動が部屋を揺らし続ける。


「揺れてるね」


「この空間を維持するのも、そろそろ、厳しいかもしれません」


 黒部さんが深刻な表情で、淡々と呟く。


「違う場所に繋がらないの?」


 僕が一応聞いてみると、彼女はどこか他人事のように遠くを見る目で言う。


「今繋がるのは食堂ぐらいですけど、あそこには沢山人がいますからねえ。あの人達は、目撃者がいれば全員消すつもりでしょうから」


 そう言って一呼吸置いてから、黒部さんは意を決したように、次の言葉を告げた。


「申し訳ないですけど……心中して頂いても、大丈夫ですかね」


「どうしたの、急に」


 僕が彼女を見ると、彼女は努めて明るく振る舞うように微笑む。


「痛みも苦しみもなく、眠るように一瞬で意識を失う方法なら、ありますよお」


 一方的な彼女の言葉には、こちらからすれば、急に何を言ってるんだと言いたくなる。

でも決して、冗談で言ってるのではなさそうだった。


 黒部さんが本気なのは十分に伝わった。


「いや、その必要はないよ」


 僕は空気を読まずに、日常会話のトーンで言葉を返す。


「ちょっと話して、説得してくるよ。宗教の勧誘は結構だってね」


 僕の適当な言動に、黒部さんは何か言おうとしているようだった。

 彼女が言葉を発する前に目の前の重い鉛のドアをよいしょっと開けて、後ろ手に閉める。


 ドアから出た場所は、廊下の突き当たり。

 濛々と舞う砂煙が徐々に収まって、視界がクリアになる。


 数メートル先の壁や天井は崩れていて、廊下は夕暮れの空にむき出しになっている。


 これだけ派手にやれば崩れた建物の瓦礫が下に散乱してるはずで、大騒ぎになっていなければおかしい。


 悠長に下の景色を眺める間もなく、破壊の中心にいた女の姿が目に入った。


「あら、どうしたの。男の子の方が出てくるなんて」


「僕が出てきたら、おかしいかな?」


 白髪をかき上げる仕草をする女に、話しかけてみる。


「いいわ。戯れに、お話しましょうか?」


 女がそう言うので、遠慮せずに質問する。


「じゃあ、聞きたいんだけどさ。魔女って、何なの?」


「この世に在るべからざる存在。浄化が必要な、邪悪な魂。他に、説明は要るかしら?」


 両手を広げる女から、独特の言い回しで魔女への非難が繰り返される。


「そうなんだ。そんな大げさなものかな」


何だかワクワクしつつも、僕は表面上は冷静に振る舞う。


「魔女という忌むべき存在は、そういうものなのよ。人心を操り、世界を混乱させ、災厄をもたらす。存在そのものが許されざる魂というものが、この世にもあるの」


「何それ。最高じゃん」


 僕は思わず呟いていた。

 平穏を望んで止まない僕のキャラが、思いもよらない中二病的単語の羅列により崩れそうになる。


 本当は、何を馬鹿なことを、って言いたかったのに沸き立つ感情が抑え切れなかった。

 世界を混乱させ、災厄をもたらす存在?


 何がどうなってそうなるのか全然想像がつかないけど、超常的な力で建物を半壊させた化け物みたいな女が言ってることだから、多分本当なんだろう。


 今ではすっかり小市民志向な僕にも、かつては負の方向に社会的な影響力の大きい人物に憧れを抱いていた時期があった。


 黒部さんがもし、そういう存在なら。


「僕としては応援するしかないね」


 僕の堂々たる宣言に、女はこちらを憐れむような目を向けてくる。


「かわいそうなお人形ね。なるべく苦しまないように浄化してあげるわ」


 女がそう呟いた次の瞬間、僕は体が脱力して倒れ込む。

 何が起こってるのか。


「神経系の毒が回ってきたでしょう? 筋肉がろくに動かないでしょうから、返事はいらないわ」


 親切なことに、女が何をしているのか説明してくれる。

 全身がまともに動かせず、息ができなくて苦しい。


 苦しまないように、とかついさっき聞いたのは完全に嘘だったらしい。


 目も開けていられなくなって、意識も薄れてくる。死が目前にあるのを、僕はぼんやりと理解した。


『申し訳ないですけど。心中して頂いても、大丈夫ですかね』


 狭い部屋でほぼ密着しながら、黒部さんに告げられた言葉を思い出す。


 実際、彼女は心中したいと言っていたわけだから、素直に一緒にこの世から旅立った方が良かったのでは? と、思わないでもない。


 説得するとか、適当なことを言ったものだと思う。


 話の通じる相手じゃないし、その辺の一般人が間に入っても訳の分からない力で殺されるだけだって、なんとなくはわかっていた。


 わかっていたけど、実は自分は特別な人間で、本当に死にそうになったら秘められた特殊能力が覚醒したりしないものかななんてちょっと期待していたかもしれない。


『一己さんって、ひょっとして、魔法が使えたりします?』


 そうだ。魔法。

 僕は魔法が使えるとか、黒部さんが言っていた。


 使い方なんか何も知らない。考えたこともない。

 願わくば誰か、僕に魔法の使い方を教えてほしい。


 こんなことを死ぬ間際に考えても、何の意味もないとは思う。

 ただ僕の頭はもう、意味がないことをただ念じるぐらいしかできない。


 魔法、魔法、魔法―――そう念じているうちに、意識が途切れた。


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