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4話 変わったこと



 一瞬のことだった。

 自分の肉体、精神がドロドロに溶けて、他の何かと混ざり合うような感覚。

 そんな奇妙な幻覚に、幾何(いくばく)かの充足感を覚えて。


 僕は、黒部さんの柔らかい手の感覚を味わいながら、呟いた。


「思ったより、何も変わってないような?」


 目の前にいる彼女は疑問符を浮かべた顔で、首を傾げる。

 やっぱり、こういうオカルト的な儀式は、没入感が足りないと少し冷めてしまうところがあるのかもしれない。


 僕もまだまだ、瞑想的な修行が足りないなと反省する。

 僕が思案していると、黒部さんの握る手の力がぐっと強くなって、急に話しかけられた。


「もしかしたら、そうかなと思ってたんですが。一己さんって、ひょっとして」


彼女の目がこれまでより真剣な色を帯びていたので、少し驚く。


「魔法が使えたりします?」


「まほう?」


 質問の意図がわからなかったので、素っ頓狂な返事をしてしまった。


 魔法とは。ゲームに出てくる、念仏か何かを唱えると摩訶不思議な超常現象が起こせたりするアレのことだろうか。


「いや、全く心当たりはないけど」


「もしかすると、日常生活で意識せずに魔法を使っているのでは」


 黒部さんは大真面目な顔で言う。

 確かに、一昔前の心霊番組に投稿できそうなおかしな心霊体験はしょっちゅうしてるような気がしないでもない。


 十中八九気のせいだろうし、実は自分は魔法が使えるんだ、なんて本気にするのもきついものがある。


「まさか。本当に僕にそんなことができるなら、面白そうだけどね」


「再現できますよお。一己さんと私、さっき魂が結びついたので」


 ふふん、と自信ありげな黒部さんを眺めていても、いまいち彼女の真意が見えてこない。

 一体何をするつもりなんだろう。


「とにかく、やってみましょ。もう、手を離しても大丈夫ですから」


「あ」


 パッと手を離して、立ち上がった黒部さんはくるっと体の向きを変えて、カーテンをシャッと開けた。薄暗い部屋に光が差し込む。


「一己さん。そこから窓の外、グラウンドの方、見えます?」


「え、見えないけど」


「じゃあ、私の目で見えます?」


「? それって、どういう意味で―――」


 次の瞬間、僕は自分の視界、目に映っているものの変化に気付いた。

 視界の奥行きに、不自然に角度がついているように見える。


 不自然だけど、僕の脳は意外とすんなりその光景を受け容れていた。

 そして眼下には、まばらに人が散らばった芝生のグラウンド。

 これは、要するに。


「見えましたかあ?」


「ああ、確かに見えてるよ」


「問題ないみたいですねえ。一心同体になると、いろんなことができるんですよお」


 彼女がらんらんと目を輝かせる様子を見て、ふと思う。黒部さんと僕が見ている世界は、もしかしたらオカルト以上の、何か得体の知れないものなのかもしれない、と。


 まあ、どうあろうと僕のスタンスは大して変わらない。目の前にあるものが現実だろうとそうでなかろうと、どっちでもいいじゃないかと思う。


「魔法のことも、わかるんだっけ?」


 僕はとりあえず、黒部さんの話に合わせようと努める。


『もちろんですよお。一己さんの魔法のことも、簡単にわかります』


そんな風に話しながら、くるりとこちらに振り返った黒部さんの口は、動いてない。にもかかわらず、彼女の声が耳鳴りみたいに頭に響く。これは、つまり。


念話(テレパシー)みたいな感じ?」


『驚きましたかあ? 心の中で直接話すこともできますからねえ』


「これ、距離とかは関係ないってこと?」


『肉体の場所は関係ないですよお。一心同体ですから』


「一心同体、ね」


 口を閉じたまま得意げな顔をする彼女を眺めながら、僕は考える。


 正直に言えば、さっきから次々とおかしな体験をしても、一心同体という言葉にはあんまりピンと来ない。


 現に、こうやって黒部さんと話をしている分には、彼女が言外にどういう気持ちで喋ってるのかは、ぼんやりと伝わってくるぐらいだし。

 今まさに僕の考えてることが筒抜けになってるような感じもしない。


 やってることは、脳内で通話できるテレビ電話機能ぐらいのものじゃないかなと思う。それでも十分ありえない話だけど。


「そうそう。魔法を使うには、魔力が必要でして。一己さんの中に流れてる魔力、今、凄く強く感じてますよお」


 黒部さんが、じっとりした視線をこちらに向けてくる。すると、急に室温が上がったような気分になる。


 彼女の息遣いが少し早くなって、僕もなぜか体の熱が燃え上がりそうなほど増してきている。今までの人生で経験したことのない、奇妙な感覚共有。


「今、何かやってるの?」


 一応聞いてみると、その道の素人にはどうとも言えない感じの返答が返ってくる。


「体を少々お借りして、魔法の環境の再現をやってるとこですねえ」


「難しそうなこと言うね」


 僕が釈然としない顔をしているのを見て、黒部さんは一生懸命説明してくれる。


「最終的には魔法を使う時は頭の中で、魔力をどう処理するかの設計図が作られるので。それを見れば、一己さんがどんな魔法を使っているのか、一目瞭然にわかりますよお」


 魔法とか魔力とか、出てくる言葉がゲームみたいでどうにも頭に入ってこないな、と思いながら、僕はふと頭に浮かんだことを尋ねてみた。


「そうなんだ。ということは、僕の脳味噌の中身も全部読み取られちゃうってことかな」


「全部は無理ですよお。量が多すぎるので。ちょこちょこ見えちゃうのはあるかもしれないですけど」


 一部は見えるらしい。女子に自分の記憶とか妄想の類を覗かれるのは、色々問題があるような気がしないでもない。


「とても人前では開示できないようなものが見えるかもしれないけど。いいの?」


 男性なら誰でも女性を凝視していたらアダルトな想像力が働くものだけど、露骨なのを見ても平気なんだろうか。

 僕の懸念に対して、黒部さんは嬉々として答える。


「もちろんですよお。きれいな一己さんも汚い一己さんも、全部一己さんですから。むしろ、汚い部分ほど愛し合いましょ」


 皮膚の上で虫が這うような声色で、彼女が言う。


「何なら私の記憶、見たいのを見ていいですよお。一己さんには私の全てを、見てほしいですし」


 変態的な告白を受けている気がする。

 普通に考えたら、誘惑されているとしか思えない。女子から。


「なんか積極的だね」


僕がそう言うと、彼女の目が瞬く。


「あ。ひょっとして、引いてます?」


「いやいや、そんなことはないよ。すごくいいと思う」


「えええ。冷静に言われると、なんか恥ずかしくなりますねえ」


そんなやりとりで黒部さんは頬を赤らめながら、じっと自分の左手を眺めて何か思案している。

しばらくした後、彼女は深呼吸してから人差し指を立てて、こちらに向かって示してきた。


「一己さんの魂の形は、少し複雑なとこがあります。その原因はおそらく、この魔法ですねえ」


 呟きながら黒部さんのピンと立てた指先が、キラッと光る。

 次の瞬間、めまいのような浮遊感、見上げた天井がくるくる回りながら暗闇に引きずり込まれるような感覚があった。


 一瞬だけ意識が遠ざかり、すぐに視界に光が戻る。

幻覚の類には慣れているせいか、僕は妙に冷静な気分だった。


 向かいの椅子に座っている黒部さんはというと、焦点の合わなくなった目で虚空を見つめながら、頭がふらふらと左右に揺れている。


「おーい、大丈夫?」


 目の前で手を振ったり肩を揺さぶっても反応が薄いので、どうするか思案していると、黒部さんは急に目をパチパチさせて、直後にテーブルの上に突っ伏した。


「う゛っ、すいません、気持ち悪くて、吐くかも」


「そんなに?」


 黒部さんは返事の代わりに、手をひらひらと力なく動かす。

 僕からすると、オーバーリアクションにしか見えない。


 ただ、死んだ魚みたいな顔で時々ピクピクと体を揺らしている彼女の様子を眺めていると、多少は心配になる。

 しばらく見守っていると、黒部さんが、呻くようにぼそぼそと呟く。


「魂がぐるぐる回転しすぎて、頭がおかしくなるかと思いましたよお」


 既におかしいんじゃない、と言いたくなったけど、僕も人のことはとやかく言えない。

 黒部さんの変なところって、どうも僕と親和的な感じがするというか。

 こんなおかしな女子が身近なところにいるものなんだな、としみじみ思う。いい意味で。


「横になった方がいいんじゃない?」


「げえ、はあ。ふう、やっぱりなんとか大丈夫です」


 体を横にして休むのを勧めると、黒部さんは突然むくりと体を起こして復活する。


「それで、何かわかったの?」


 尋ねてみると、黒部さんはうーん、と考え込む。


「ええと、どう言えばいいんでしょうねえ。一己さんは、時間が巻き戻ったようなことってあります?」


「……時間が巻き戻る?」


 正直な感想を言えば、SFみたいなことを言うなあ、と思う。

 黒部さんは至って真剣な様子で話す。


「ええ。何回も同じ場面を繰り返してると思ったことって、ないですかね」


「あるよ。というか、同じようで微妙に違うことが多いね」


 たとえば、学食でAセットは飽きたなあと思いながら食べてたらBセットを注文する幻覚を見るとか。


 家の前まで帰ってきてから、そういえば途中の本屋で新刊をチェックしときたかったなあとか思ってると、突然本屋の中にいる白昼夢を見たりとか。


 幻覚があまりに多いので、僕も何か頭の方の病気なのかもしれないと薄々思いながら、この年齢(とし)まで騙し騙し付き合ってきた感がある。


「ああ、やっぱり。つまり、そういうことなんですよお」


「そういうこと?」


 黒部さんが納得の表情を見せる。僕にはどの辺が合点行ったのか、全くわからないのだけど。


「細かい仕組みはよくわかりませんけど、一己さんは魂の一部がしょっちゅう転生を繰り返しているように見えます。その結果として、同じ時間を繰り返しているのではないかと」


 魂が、転生。すんなり飲み込むのは難しそうな言葉が並ぶので、僕は考えるのをやめた。


「そうなんだ。転生って言われてもあんまり実感ないけど」


「うーん。なんか説明難しいですねえ」


 僕の反応が悪いと感じたのか、黒部さんは頭をかきながら言う。


「簡単に言うと、一己さんは、普通の人が見えない現実が見えるのかもしれません」


 その辺は間違ってはいない気がする。実際、普通の人が見えてない変なものが見えすぎてるし。


「それは、ある意味当たってるかも」


「でしょお?」


 途端に、彼女はパッと笑顔になる。そして。


「もしよかったら。私と一緒に、占いやりませんかあ?」


 息をするように自然な流れで、黒部さんはそんなことを言った。

 占いを、一緒にやる。そういえば、占いって何だろう。


 僕が知ってる占いってものは、水晶とかカードとか道具を使ってやるイメージだったけど。

 彼女は、そんな道具はなくとも次々と怪奇現象を起こしてくれるので、一般的なのとは全然別物なのかもしれない。


「占いの知識ほぼゼロの全くの素人でも良ければ、いいよ。ところで」


「ありがとうございます、って、何でしょ?」


 きょとんとした表情の黒部さんをじっと見つめてみる。


 魔法とか魂とか転生とか、彼女の言うことは普通じゃないし、何を言ってるのかわからないことも多い。

 わからないからこそ、わかる気がする。


 理解できないことをそのまま話して、共有できる相手なんてなかなかいないし。


「僕らってもう実質、夫婦みたいなものってことでいいの?」


 一歩踏み込んで聞いてみると、返事はあっさりと返ってきた。


「あ、それはもちろん」


「じゃあ、早速子供を作らない?」


 彼女の言葉を聞いてすぐに、僕は当然の提案をする。


「……一己さん」


 黒部さんは頬を染めて、満更でもない表情をする。


「わかりました。いいですよお」


 そう言うと黒部さんは、羽織っていたカーディガンを脱ぎ始めた。制服のシャツのボタンを外していくと、下着と、割とサイズのある胸の谷間が覗く。


 僕も正直、すこぶる欲求が高ぶって、今すぐ彼女の体にむしゃぶりつきたい気分になってきた。


 女子から、子作り許可が下りる。数時間前まで、僕自身の人生にはとても想像できなかったことが、現実になってしまっているけど、いいんだろうか?

 黒部さん、ありがとう。


 僕は、黒部さんの体に触れようと、手を伸ばす。

 しかしそんな時、水を差すかのように外でニャーニャーと、獣が猛り狂うような騒音が耳に入ってきた。


「なんか、猫がうるさいね。発情期かな?」


 春の暖かい時期になると、その辺にいる野良猫が元気になるのか、昼夜問わず繁殖モードになって奇怪な鳴き声を発したりする。

 全く迷惑なものだ。


「こんなところに、珍しいですねえ」


 いつの間にやら上着を着直していた黒部さんは、丸い缶からクッキーの余りを取り出して小皿に載せている。

 もしかしたら、餌付けする気なのかもしれない。


「ちょっと待って。野良猫に餌をやるのはマナー違反だと思う」


 あと、猫にクッキーを与えると危険だとかどこかに書いてあった気がする。まあ猫はどうなってもいいけど。


「え、ちょっとぐらいなら、いいと思いますよお」


「些細なことから、餌やりトラブルに発展する事例が後を絶たないんだよ」


 僕がそう言うと、黒部さんは一瞬納得のいかない顔をしたものの、すぐ元の調子に戻った。


「ああ……でも、なんとなく。一己さんの気持ちも、わかる気がしてきましたよお」


「でしょ?」


 わかってもらえたなら何より。やっぱり心が通じ合っている相手同士だと話が早くて助かるなあ。少し感動した。


「確かに、猫って気ままで、羨ましいような感じもありますよねえ」


「そうそう。羨ましいし、やっぱり猫みたいな生き方がしたいよね。って、あれ?」


 話しながら急に、自分の言動に看過できない違和感を覚える。

 さすがに、その発想はなかった。思わず苦笑いしてしまう。


 何か露骨に思考が誘導された感があったので、僕は自説を死守せざるを得ない気分になった。


「いや、やっぱり野良猫はダメだよ。絶対に許せない」


「そこまで言わなくても、いいじゃないですかあ」


「いいや、これだけは譲れないね」


 そんな言い合いをしていると、急にガチャガチャと入口のドアが揺れ始めた。

 何事かと思う間もなく、心霊現象みたいに勝手に内鍵が外れて、ドアが勢いよくバーンと開く。


「うわっ、びっくりした」


 僕が驚いていると、黒部さんは既に別の物に目を奪われていた。


「あ、猫ちゃんですねえ」


 開いたドアの向こうの通路に目を向けると、耳の曲がった白猫が優雅そうな態度で、こちらを見ていた。


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