2話 運命的なやつ
「神出鬼没って言われてもね」
僕は、部室棟旧館の2階、食堂の椅子に腰を下ろした。そんなに人は多くなく、窓際の席からは放課後らしく運動部のかけ声が響くグラウンドやテニスコートが見える。
この辺りは普段授業を受ける教室のある棟からは、歩いて10分ぐらいの距離があり、裏山に面している。
部室棟は新館の建物の隣に旧館があり、旧館の方は見るからに老朽化していても取り壊されそうでなかなか取り壊されないので、別名呪いの館と呼ばれている。
元々使っていた部活動はほぼ新館に移ってしまったものの、食堂だけはなぜか移転せずそのまま残っている。
特に用事もなければ、この辺りに来ることはあまりない。
気の向くままにふらっと歩いていたら、思ったより離れた棟まで来た気がする。
僕は何をするわけでもなく、今は食堂に立ち寄って休憩している。ここの食堂のソフトクリームは評判が良かったので、なんとなく注文してみた。
旧館にまつわる都市伝説風な噂に便乗して幽霊ソフトなんて銘打ってるのは、正直どうかと思うけど。
冷たい白い山を削りながら、机の上に置いた紙袋を眺める。受け取り主の居場所が判然としない荷物が、妙なことに僕の手元にあった。
どんな子なんだろうか、気にはなる。普通に生きていたら、占い師の女子なんてものと知り合う機会はまずないし。
「やっぱり面倒だなあ」
好奇心より探す労力の方が上回るというか、このドーム数個分はある無駄に広い学校の敷地の中をあてもなく歩き回ってもとても見つけられる気がしない。
何かの縁があるなら、こっちが探し回らなくても向こうから会いに来るんじゃないかと思う。果報は寝て待てと言うし。
僕が金言を思い出してテーブルに突っ伏していると、食堂の端の方で受け取ったソフトクリームを大事そうに両手で包んで運ぶ、女子が遠巻きに目に入った。
手元しか見ていないからか、途中のテーブルにぶつかって転びそうになったり、危なっかしい。
彼女はフラフラと壁際に近づいていき、ガチャッとドアを開いた。ドアの向こうに薄暗い空間がちらりと覗いたように見えた。
その様子を見て僕は、あれ、と思う。
あんなところに食堂の出口、あったかな、と。棟の外側から眺めると、なかったような気がする。
ドアのすぐ横には大きな窓が並んでいて、窓からは何段か低いところにある芝生のグラウンドが見渡せる。
バルコニーがある作りではないので、窓やドアから建物の外に躍り出た場合、次の瞬間には地面に向かって垂直落下していてもおかしくない。
ガチャンと重そうなドアが閉まって女子の姿が見えなくなった。
僕は興味本位から近寄って、そのドアの前に立った。頑丈そうな鉛のドアは、食堂の内装には全く不釣り合いに見える。
しばらくその不自然極まりないドアを眺めた後、意を決してドアノブを掴む。その瞬間、右手にバチッと強烈な静電気が走って、とっさに僕は手を離した。
ただの静電気の割には、ドアノブの金属部分に派手に火花が散ったので、悪目立ちしたかと思って僕はキョロキョロと周りを見回す。
注目を浴びるかと思いきや、どうやら誰も関心がないようで、こっちを見てすらいない。ほっとするような薄気味悪いような、変な気分になる。
気を取り直して、ドアを開ける。やけに重いドアが、ギイと嫌な音を出しながら開く。
その向こう側に広がっていた光景は、僕には想像のつかないものだった。
部屋の左右と窓際が黒いカーテンで覆われている、横長の部屋。薄暗い空間の中にある照明は、丸テーブルの上で妖しげに光っている、燭台のロウソクの火だけ。
不意に、丸テーブルの奥側の椅子に座っている女子と、目が合った。
ミステリアスな雰囲気のくせ毛の黒髪ロングと、眠たそうな目の下に泣きボクロ。
制服の上に深緑のカーディガンを羽織っている。
人が入ってくるとは思っていなかったようで、舐めかけのソフトクリームを持っていた右手を慌ててテーブルの下に隠すのが見えた。
「あれえ、どうして、そんなとこから?」
僕も知りたいところではある。何がどうなってこの部屋に入ったのか。
この部屋の構造は外から見たらどうなっているんだろうか。
そうは言っても、僕が興味本位で女子のいる部屋に侵入していることもだいぶ問題なので、まずは素直に謝罪することにした。
「あ、ごめんね。ここ、入ったらまずかった?」
僕が尋ねると、彼女はゆるゆると首を横に振る。
「いえいえ。ちょうどいいですから、お茶でもどうですかあ?」
「いいの? ありがとう」
突然の来客をあっさりと受け入れる彼女の態度に、僕は少し拍子抜けする。
「そこの椅子に掛けてくださいねえ」
僕は部屋の奥まで歩いて、丸テーブルの手前側の椅子に腰を下ろした。
彼女は背中を見せない横歩きで足早にガスコンロのある部屋の隅に移動する。
それから、体を壁側に向けてお茶の用意を始めたようだった。時々、急いで冷たいものを喉に押し込んだせいか、ケホケホとむせている。
「あの、ひょっとして。黒部さん?」
僕がふと思い出した名前を口にすると、くるっとこっちに振り向いた彼女は驚いた顔でぱちぱちと目を瞬かせた。
「え、私のこと、ご存知でしたかあ?」
反応を見ると、どうやら彼女が黒部さんで間違いないようだった。
見るからに部屋の中が怪しい雰囲気とはいえ、当てずっぽうで名前を出したら本当に目の前の女子が尋ね人当人だったことに、内心驚き半分、安堵半分の気分になる。
「うん、まあ。知り合いが、黒部さんに女の子を紹介してもらったって言ってたよ」
黒部さんはきょとんとした顔で首をひねる。
「ええと、うーん。どなたでしょ。全く心当たりがないのですが」
手応えの薄い反応に、何を話したらいいか、少し悩む。
「鹿島って男、知ってる?」
鹿島の名前を出すと、黒部さんはようやく腑に落ちたのかポンと手を叩いた。
「あっ、本義君のことですかあ。実は彼は、逆なんですよお」
「逆?」
言葉の意図を測りかねていると、彼女は人差し指を立てながら楽しげに説明する。
「私の友達が、婚約してもらえる殿方を探していたので。結果的に本義君に白羽の矢が立ったという経緯ですねえ」
そういえば、ちらりとそんなことを言っていたような気がしないでもない。あの二人って、関係性がいまいちわかりにくい変な感じがしたけど。
「へえ、そうだったんだ。黒部さんに、この菓子折りを渡してって頼まれてさ」
僕が紙袋から包装紙に包まれた箱を取り出して、彼女の近くまで行って手渡しすると、黒部さんは目を輝かせて包装を破り始めた。
「なるほど、彼らしいですねえ。おお、これは季節の羊羹じゃないですかあ。ちょっと待っててくださいねえ」
そう言われたので戻ってしばらく待っていると、お盆を抱えた黒部さんがパタパタと出てきて、羊羹の載った小皿と緑茶の入った小さい湯呑みが運ばれてきた。
僕は出してもらった緑茶をすすって、息をつく。
黒部さんはといえば、自分の小皿の上のあずき色の寒天をもうぺろりと平らげてしまい、別の小皿に載っている長方形の塊に手を出そうとしている。
さっきソフトクリームを食べてたのに、よく甘味が口に入るなあと思う。
「あ、そういえば、まだお名前を伺ってませんでしたねえ」
思い出したように黒部さんが聞いてきたので、僕は答える。
「ん? ああ、火村一己。火村でも一己でも、どっちでもいいよ」
最近は苗字で呼ばれることがもっぱらなので、下の名前で呼ばれるのも新鮮でいいかな、と思い、僕はそんな風に言ってみた。
まあ、ちょっと馴れ馴れしいかもしれない。
「……ほうほう。そうなんですかあ」