13話 天命
店を出て自称姉・火村祀が立ち去るのを見送って、僕らは歩き出した。
駅前通りを歩きながら、さっきの言葉を思い出す。
『キミ達の門出を祝福するよ。そして、キミ達の未来に希望があることを陰ながら願っておこう』
つい昨日襲ってきた相手にこんな風に結婚を祝福された場合、どんな顔をするのが正解だったんだろうか。
それは分からないけど、実際に一度殺されてることに対して怒る気力もなくなるほど、得体の知れない存在と関わり合いになってしまったのは確かだった。
僕ももう少し身の振り方を考えないといけないのかもしれない。
そんなことを思いながらしばらく歩いていると、黒部さんが立ち止まって、とつとつと話し始めた。
「ひとつ、お伝えしておかなければいけないことが」
「聞くよ」
僕は彼女の顔を見る。
「一己さんの、お姉さんのことなんですけど。あの方はおそらく、私が生まれ育った場所で聖女と呼ばれている人じゃないかと」
言葉を選ぶように、黒部さんはゆっくりと話す。
「聖女……」
普通に生きてたらそうそう使わなそうな言葉の響きに、僕は若干面食らう。
正体不明な自称姉の素性は、黒部さんが知っている宗教団体お抱えの聖女ってことらしい。
そういえば昨晩僕が見た、黒部さんの過去めいた夢の中でも、教団だの聖女だのが登場していたのでちょうど辻褄が合う。
格好や言動を見る限りは、聖女というよりはインチキ教祖と呼ぶ方が合っているんじゃ、という気がしないでもない。
「何を信じてる集まりなの?」
僕が質問すると、彼女は神妙な口調で、思い出すように話す。
「最初の聖女様が理想郷を目指すために教団を作った、って話は姉から聞いたことがあります」
ふんふん、と僕はわかったような顔で頷く。
ついさっき火村祀から同じ話を聞かされたし、何代続いてるのか知らないけど大昔から今日まで聖女の言うことは微塵もブレてなさそうに見える。
その辺は宗教団体だけあって一貫性があるなあと感心させられる。
黒部さんが詳しそうなので、聞けることは聞いておこうと思い、僕は色々と尋ねてみる。
「聖女が言ってた、玩具ってのは何なのか分かる?」
「教団を支える信徒の人達のことかと」
彼女は淀みなく、さらっと言う。
「信者を玩具呼ばわりする宗教もなかなか無さそうだけど」
「聖女様の言うことは絶対ですから。言われてる人達は、あんまり気にしてないんじゃないですかね」
黒部さん的には、特に違和感のない扱いらしかった。
聖女に玩具呼ばわりされていた天使女達は、教団の信徒という立ち位置で。
扱いが玩具な理由は、女達が聖女によって作られた存在だから。
何だか宗教としては規格外な要素が多くて、一般的な宗教団体ではなさそうに思える。
「変な上下関係だね。天使の類が信者って、聖女は現人神か何かってこと?」
頭に浮かんできて僕が口走った推測を、黒部さんは懐かしむような表情で肯定する。
「神様みたい、ですかね。今思うと、そういう雰囲気だった気もします。私の知ってる頃は、私のお母様が聖女様だったんですけど。お母様は雲の上の人って感じで、ほとんど会えませんでしたから」
目の前の女子はそんな風に納得している一方、全くの部外者である僕からすれば聖女という存在そのものに多少引っかかるところがある。
「要するに、聖女ってのは定期的に世代交代してるってことだよね」
「そうだと思いますよお」
「中身は同一人物ってことはない?」
「えっ。どういうことですかね」
黒部さんが口を開けてぽかんとしてしまったので、もう少し説明することにした。
「まず、昔と今で話し方が大して変わんないよね。玩具を昔作ったとか、その玩具が始祖様って呼んでるのも妙だし」
「え、ええと。ちょっと分からないんですけど」
矢継ぎ早に端折って話したせいか、彼女は困惑の表情を見せる。
理由を一個一個詳しく示さないと全く伝わらないんだなあと察して、僕は口頭で分かってもらうのを諦めた。
「ああ、分かりにくかった? これを見て」
僕は黒部さんに、脳裏で最近の自分の記憶を意識的に共有する。
昨晩見た夢の内容の一部、ついさっき聖女とした会話から天使女とのやりとりまで、記憶映像の切り抜き総集編を見せると、隣を歩く彼女は顔を真っ赤にする。
「昔の私、見ました?」
知らないうちに自分の過去の記憶が開示されれば、黒部さんでも恥ずかしいらしい。
「昨日、夢で見たよ。色々と大変な境遇だね」
「いえいえ。全然、そんなことないですって」
僕が彼女の身の上に同情すると、彼女は右手を顔の前で振って否定する。
「そうかな?」
「昔は悩んだこともありますけど、私には天命があるので」
自分に言い聞かせるように頷いて、彼女は微笑む。
「天命って、占いのこと?」
僕は質問してみた。
彼女は天命なんてご大層な言い回しをするものの、実態は個人的な夢とか目標の話なのはもちろん昨日の過去夢の内容から知っている。
黒部さんはうーんと少し考え込んでから、ゆっくりと語りだす。
「迷える人達の縁を結んで、誰もが愛し合える世界をつくる。そのために、私は一生を捧げたいなあと思ってますし。占いは、そのための方法ですねえ」
自分の思いを一生懸命話す彼女の言葉は決意に満ちている。
「こう言ったらなんだけど、夢物語じゃない?」
僕が立ち止まると、黒部さんは振り返って小首を傾げる。
「そうですかね?」
目の前の女子の表情を眺めながら、前言撤回して彼女の言葉を全肯定したい心情と、逆張りし続けて困らせたい感情が拮抗する。
最終的に僕の中では後者がわずかに上回った。
「そりゃ、素晴らしいよ? 誰もが愛し合えるなら。でも多分、世間的には理解も賛同もあんまり得られないんじゃないかな」
「どうしてそう思うんです?」
黒部さんは、純粋に不思議そうな顔をして尋ねてくる。
「口先では綺麗事を言っても、みんなハーレムが好きだからね」
世間一般の人達は、ハーレムが好き。
こういう言い方をすれば、誰も認めたがらないと思う。
でも、女性に人気者と恋愛したいかと尋ねれば、大概の人はイエスと言うだろう。
男性に多数の女性と体の関係を持ちたいかと尋ねれば、大概の人間はイエスと言う。
それが生物としての飽くなき欲求を追求した結果の一側面。
単純にランダムに相手を一人見繕ってやるから繁殖していいぞというのでは、彼らを満足させることはできない。
恋愛の延長にある結婚も同じことだ。
この国の法律上は、結婚といえば一夫一婦の制度ということになる。
一夫多妻を否定しているから、重婚は不可能である。
でもその実態に目を向ければ、人気者の男性が離婚と結婚を繰り返して多数の女性と子供を儲ける構図になっているというのだから、業が深いものだと思う。
やってることは本妻をローテーションしてるだけで、一夫多妻と大して変わらないように見える。
「人類の男女比率がだいたい1対1でも、産む性の女性は男性を選別するし。種を蒔く性の男性は、より沢山の女性に産ませたがる」
そうやっていつの世の中も、一握りの男性に多数の女性が群がるハーレムが形成され、ハーレムからあぶれた男性は遺伝子を残す資格がない者として淘汰される。
「愛が平等であることを、世の中の男女が望んでないんだよ」
どれだけ文明が発展しようと、むき出しの生殖競争に歯止めがかかる日は来ない。
競争を美化したり、口先で無性別に擬態して上手く立ち回る人間だったらいくらでもいる。
どんな先進国でも強者達が種を選別し、選別済みの種を撒き散らす自由が何より大事にされる。
それこそが、自由恋愛というものの本質。
弱者の遺伝子保護なんて誰も望んでいない。
地球の裏側の絶滅危惧種の珍生物を愛してやまない人達も、隣人が遺伝子を次世代に繋げずに淘汰されるのには何の関心も持たないのだ。
僕のような非モテ弱者男性の、生物として当然抱く繁殖したいという本能は、弱肉強食に圧し潰されて、最初から無かったことにされる。
一般世間からは生きづらさを認識されることのない、価値のない無色透明な存在。
僕という人間はずっと、そういうものだと思っていた。
「私は、違うと思いますよお」
黒部さんが、相手が誰であろうと絶対に譲らないという勢いで、力説する。
「だって、大きな括りで見たら、世の中ってみんなひとつの大家族ですから。誰かの家族がいなかったら、その人の家族を作ってあげたいんです」
僕が目を瞬くと、彼女は息をついて微笑む。
「それ、本気で言ってる?」
一般的に家族というのは、血縁者の集まりか、そこに血縁者風の設定で養子を迎え入れた集団のことであり、普通の感覚だと血縁ありきの集団ということになる。
太古の昔まで遡れば学校の隣の席の人とも血の繋がりはあるのかもしれないけど、さすがに僕にはクラスメイトは家族に見えない。
「もちろん、本気ですけど」
自信に満ちた口調で、彼女は即答する。
彼女は、血縁のない他人を普通に家族だと思っている。
「家族同士で恋愛するなら、遺伝子の選別は要らないってこと?」
「そういうことだと思います」
黒部さんが頷きながら言う。
疑問を向けても一切揺るがない彼女の態度に、僕も納得するしかない。
「なるほどね」
よくよく考えてみると、一見バグってるように見える彼女の他人に対する距離感は、意外と僕が採用しても正解に思えてくる。
その辺の他人を血縁者だと思い込む。
自分の脳を騙すことで、価値観を共有しない絶対的他者としか言いようのない世間一般の他人とも、毒づかずに素直に会話できる気がしてくる。
コミュニケーションは相手への信頼感が大事だと言うし。
相手を身内だと思えば、相手の思考や行動に干渉することにも、何かしらの理由が生まれる。
僕には理由が必要だった。
黒部さんがそれを用意してくれたのだから、きっと彼女に感謝すべきなんだろう。
前向きすぎる思考の切り替えが済むと、頭の中がすっきりする。
黒部さんが現れて、何かが変わった。
何もかもが、変わったのだろうか。
彼女の言葉は、僕の心の深い部分、魂に響く。
つい昨日黒部さんと魂が繋がり、今日今さっき僕らは夫婦になった。
ということは、やろうと思えば今すぐにでも僕らは自分達の子供を作れるし、同時にそれは社会的にも認められて歓迎される行為なのである。
自分の遺伝子が、魂が、肯定され救済されたのだという実感が、沸々と湧き上がってくる。
純粋に嬉しかった。人生において今まで欠けていたものが満ち足りた気がする。
「分かった。僕は黒部さんを応援するよ」
そう伝えて彼女と、至近距離で見つめ合う。
「は、はい。ありがとうございます」
黒部さんは頬を染めて、目を細めた。