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11話 挨拶



「まだかな」


 昼過ぎの閑静(かんせい)な住宅街。僕は塀の高い邸宅の門の前で立ち往生していた。


 結婚するなら親御さんの許可を取らないといけないということで、急遽学校を休んで、黒部さんの家にお邪魔することになったという次第。


 普通に考えれば、学生の本分をほっぽり出して挨拶に来てどうする、という話になる気がしないでもない。


 昨日の夜に見た妙な夢の内容を思い出しながら待っていると、セキュリティが厳重そうな門扉(もんぴ)がガチャリと開いて、中から黒部さんが出てきた。


「ごめんなさい。少し、待ちましたかあ?」


 着ている私服は、カーキ色のジャケットに、半透明の布が重なっているような黒のスカート。


 ラフなのかお嬢様なのかわかりにくい恰好だけど、個人的には好みの部類ではある。


「いや、全然」


 今ちょうど来たような顔で笑うと、彼女もほっとした表情になる。


「どうぞ。みんな、もう居間に集まってますから」


「じゃあ、お邪魔します」


 黒部さんに連れられて、ご立派な邸宅にお邪魔する。


 玄関で並べてあったスリッパに履き替えて、すぐ左手の扉を開くと、そこが居間になっていた。


 奥行きのある空間に、ソファーやテレビ、大きなテーブルや椅子、それから吹き抜けになっている台所が同居している。


 部屋の中央にある、上等な木製のダイニングテーブルの手前側に、三十代から四十代くらいの少し所帯じみた綺麗な女性と、僕達とそれほど年は離れていなそうでハイソな感じのする女の子が座っていて、彼女達の目がこちらに向く。


 僕は、好奇の目を受け流してとりあえず挨拶する。


「こんにちは」


「こんにちは。そちらの椅子に掛けてね」


 椅子を勧められたので腰掛けると、すっと自然な動きで隣に黒部さんが座った。


「初めまして。私は、阿曇(あずみ)の母の、黒部(くろべ)(るな)です。この子は、妹の和泉(いずみ)ね」


「お姉ちゃんは本当の子供じゃないし。一緒にしないで」


 腰を下ろした瞬間に、妹さんである女の子の口から衝撃発言が飛び出した。


「和泉。なんてこと言うの」


 黒部さん母が(たしな)めても、女の子は全く意に介さない様子。

 席を立ってべーと舌と出すと、奥の方の部屋に引っ込んでしまった。


「ああ、ええと。まあ、そういうことなんですよお。私、養子なんですよねえ」


「そうなんだ」


 何やら複雑な家庭環境みたいで、突っ込んだことはこちらからは聞きづらい空気感が漂っている。


「紅茶を淹れましたので、どうぞ」


 一目で執事とわかる、風格を感じさせる白髪の老人が、姿を現す。


「彼は、(ひいらぎ)静磁(せいじ)さん。うちでずっと働いてくださっているの」


静爺(せいじい)は昔から勉強を見てくれたりするので、家庭教師みたいな感じですねえ」


 お母さんが説明してくれた後に、黒部さんが得意げに言う。


「阿曇。日頃から数えきれないほどお世話になってるでしょう。本当の父親のように、可愛がって貰っていたんですから」


「いえいえ。大したことはしておりません。ところで」


 物腰が温厚そうな老人は謙遜しながら、視線をこちらに向ける。


「今日は、どんなご用件かな? 火村一己君」


 執事のお爺さんから尋ねられるとは思わず、僕は少し返事が遅れる。


「ああ、はい。阿曇さんと結婚したいと思っています」


「結婚。いいじゃない。うちの阿曇の、どんなところが気に入ったの?」


 黒部さんのお母さんは興味津々で質問してくる。


「そうですね。価値観が近いというか、人間的に共通項が多いというか」


「お母さん。一己さんは占いが上手なので、いろんなことが相談できる人なんですよお」


 質問に答えると、すかさず横から黒部さんが合いの手で絶賛し、僕は苦笑する。


 ちなみに占いをやったことは人生で一度もないし、彼女と気軽に話せるのは魂がひとつにくっついてる状態になったからであって、僕の(特に女子に対する)対人コミュニケーション能力自体はお察しである。


 お母さんの方はと言えば、意外と好意的に解釈してくれたようだった。


「阿曇を支えてくれているのね」


「ええ、まあ、そうですね。支えになっていれば嬉しいですが」


 僕の言葉に対してお母さんはにこにこと笑って、執事のお爺さんに視線を向ける。


「静磁さんは、どう思われます?」


 見解を求められた執事の静磁さんは、穏和な笑みを浮かべる。


「私から申し上げるならば、そうですね」


 老紳士は言葉を区切って、静かに問いかける。


「二人で生活はしていけるのかな?」


 静磁さんの質問を受けて、隣の黒部さんは僕の方を見る。

 僕はなるべく淀みなく簡潔に、自分の経済状況を説明する。


「住む家や資産がある程度ありますから、ご迷惑をおかけすることは無さそうです」


「ほう。それは良いことだ」


 老紳士は感心したように頷く。

 黒部さんのお母さんも、笑顔で話を聞いてくれている。


 僕は大人達の様子を眺めて、内心でほっと胸を撫で下ろす。


 まあ資産と言っても、元々の原資は数年前に完全に決裂した父親の財力なので、何の自慢にもならない。


 僕としては一応IT関係の仕事だったら多少は経験があるからやれないこともないし、あくまで先立つものの用意はあるというぐらいの話である。


 上手く話せたなと僕が密かに達成感を覚えていると、お母さんの方も納得の表情で話しかけてくる。


「私達は応援してるわ。二人が幸せになってくれたら、親としてはそれ以上望むことはないもの」


「ありがとうございます」


 黒部さんも、うんうんと頷いて笑っている。


 和やかな空気の中で話はトントン拍子に進んだものの、僕はさっきの妹さんの態度が若干モヤモヤしていた。


「ひとつ、お聞きしてもいいですか?」


「何かしら」


 僕が尋ねると、黒部さんの養母、黒部月さんは目を細める。


「さっきいた妹さんは、いつもあんな感じなんですか?」


 月さんの娘である和泉ちゃんは、義理の姉を妙に嫌っているような雰囲気だ。


 今後は僕も義理の関係に加わる訳だから、どうにか仲良くする糸口を見つけたいものではある。


「ごめんなさいね。あの子は、昔からああいうところがあって。まだまだ甘えたい年頃なのよ」


 話しながら、月さんはにこにこと笑う。


「なるほど」


 つまり、口が悪いのは気を引こうとしているだけで、大して悪気はないってことだろうか。


 気軽に距離を詰めても問題ないなら、手なずける難易度も意外と高くないかもしれない。


 そうだったら楽でいいなと思いながら、ふとこの場にいない一家の重要人物のことに考えが及んだ。


「そういえば、お父さんにもご挨拶したいんですが」


 尋ねた瞬間、月さんの表情が笑顔のままピタリと固まったように見えた。


 僕としては、黒部さんの養父であり、月さんの夫、それから和泉ちゃんの実父である、黒部家の主人の存在を無視する訳にはいかない。


 平日の昼間に訪問しても一家の主人が留守なのは当たり前のこととはいえ、結婚を考えている僕の立場ではご本人に娘さんを下さい的な許可を取るのがベタな定番だし、無用なトラブルを避けるには定番のやりとりを踏襲しておくべきだと思う。


 後日挨拶する約束を取り付けようと思って一家の主人の話題に触れると、なぜか月さんは笑顔を貼り付けたまま急に無言になった。


 僕は、はて、と思う。


 月さんはちらりと執事の静磁さんの方を見てから、また話し始めた。


「和泉の父親は、和泉が生まれた時からいなくなったの。ですから、お気になさらないで」


「そうですか」


 子供が生まれてくるタイミングで失踪。

 確かにそういうこともあるのかもしれない。


 どちらかと言えば触れるのが地雷源な話題に踏み込んでいたようで、僕は息を吐く。


 気を回したつもりでも実際は逆効果なことが、世の中少なくない。


「今日は話せてよかったわ。また来ていただける?」


 月さんは急に話を切り上げる空気を醸し出してくる。


 さっきの会話内容とは関係なく忙しいのかもしれない、と僕は前向きに考えておくことにした。


「もちろんです」


 僕が返事すると、月さんは立ち上がって近くの戸棚から一枚の紙を取り出して、テーブルの上に広げる。


 そして、さらさらと記入欄に何かを書き込む。

 横長の紙の端の方に、婚姻届の三文字が並んでいるのが目に入った。


「渡しておくわ」


「はい」


 月さんが卒業証書みたいに紙を差し出し、それを両手で受け取った黒部さんは意気揚々としている。


「じゃあ早速、市役所に届を出しに行きましょ」


「今から?」


 僕が尋ねると、黒部さんはもちろんという顔で笑う。

 ずいぶん強引に、役所に行く流れになった。


 まあ、いいか。と思いつつ僕は挨拶を済ませて玄関のドアを開け、慌ててついてきた黒部さんと一緒に外に出た。





 二人が出て行ったのを見届けて、黒部月は振り返り、主の本来の名を呼んだ。


「これで、よろしかったですか? 戒人(かいと)様」


「その名で呼ぶのは止しなさい。私はただの使用人だよ」


 穏やかに目を細める老紳士は、窓の外の風景を眺めたまま、言葉を返す。


「……そうでしたわ。申し訳ありません」


 (あるじ)の意に反する発言をしてしまったことを、月は謝罪する。


 老紳士は、静かにしばらく思考を巡らせながら、やがて独り言のように呟いた。


「私は本来は人では無いのだ。しかし、子供達も同様に人で無いかどうかは、分かりかねる」


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