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1話 放課後

 


 夕方に差し掛かる、放課後の化学室。

 校舎にはあまり人気がない。


 天井からぶら下がったモニターに大写しになっているのは、生命誕生の瞬間。


 人によって神秘的ともグロテスクとも評するであろう、女性の出産映像だ。


 教室内が出生したばかりの新生児の鳴き声の大音響に包まれる。


 (へそ)の緒を切った後、母親が新生児を抱き上げて(なだ)める。


 そこに母性の様式美を感じる。


「ああ、子供が欲しいなあ」


 周りに聞こえるように大げさに呟くと、少し離れた机に座っていた男、古淵景事(こぶちけいじ)が化学の問題集を睨みながら適当な返事をよこしてきた。


「欲しいなら作ればいいだろ」


 古淵が眺めているページは一時間前ぐらいから変わっていない。


 問題集の解説の質が悪いか、あるいは地頭の問題だろうから、そろそろ諦めた方がいいんじゃないかと思う。


「誰と?」


 当然の疑問だろう。僕は生まれてこのかた非モテの人生を歩んできているし、珍しく女子と接点がある時も大概ろくなことがない。


「誰でもいいだろ。子供を作れる相手なら」


 相手の意思を尊重しなくてもいいなら、確かに出産能力以外は問題にならない。


 残念ながら文明社会の中では、子作りには両性の合意が必要ということになっている。


「なかなかいなくない? そんな女子はさ」


「いないなら、諦めろ」


 古淵が事も無げに言う。


「うーん、それは嫌だなあ。誰だって、自分の遺伝子を子孫を、後世に残したいと思うものじゃないかい」


 人類皆兄弟、人間なら誰にでも衣食住に足る権利がある。


 そういう話はよく聞くけど、誰にでも繁殖の機会を保障すべきだ、というような話は聞いた(ためし)がない。


 生命維持と同じぐらい、繁殖は生き物に必要なことというか、本能そのものなはずだけど。


 そんなことを考えていると、「弱肉強食だな。遺伝子も淘汰される」などと辛辣で冷血な返事が飛んできたので、「僕のような非モテ弱者男性の遺伝子を淘汰するなんて、ひどい男だな」と、一応非難しておく。


「俺に言うな。女に言え」


 吐き捨てるように言ってから、古淵は机の上に広げてあるだけの問題集を閉じると、どこからともなく木刀を取り出した。


 いつものように集中力を上げるとかいう名目で、古淵が木刀で素振りを始める。言うまでもなく、化学室でやることでは全くない。


 本人いわく剣術は個人的な趣味らしい。別に実家が道場というわけでもないらしいので、結構な変人だと思う。


 上背のある自称剣術家の男(高校三年生)が、人を殺せそうな振り下ろしを無心に繰り出し続ける。


 これが始まるといつ終わるか分からないので、気を取り直して別の動画でも見ようと思い、再生機器が置いてある隣の部屋まで行き、取り出しボタンを押すと装置の中からガシャーと光る円盤が出てくる。


 ディスクを外そうとしていると、窓をガラッと開ける音がした。見れば、古淵がいつの間にか木刀を下ろして、身を乗り出して窓の外を眺めている。


「あれを見ろ」


 古淵が何か言っているので、近くの窓を開けて外を覗き込むと、向かいの校舎の辺りに人だかりができている。何やら黄色い歓声が騒がしい。


 輪の中心で手を振るのは、気障な感じのする少年アイドル風の男子高校生。隣にいる切れ長の目をしたモデル風の背の高い男と手をつないでいる。


 どうやら男同士というのが、女子達の関心を引く要素のひとつらしい。アイドル系の背が低い方が、横合いからマイクを受け取ると何やら喋りだした。


「誰だっけ」


「生徒会長様だろ」


 そう言われて、しばらく考え込んでから、やっと思い出した。一度聞いても関心のないことはすぐ忘れるから困る。


「ああ、同性愛者を自称して寄ってくる女子をはべらせてる、インテリ気取りの現役アイドル生徒会長だっけ?」


 古淵は返事もせずに溜息をつく。


 件の生徒会長は、少数者への差別をなくそうとか、多様性を認めようとか、ありがちな演説を繰り広げて、聴衆を沸かせていた。


 生徒会のすることと言ったら今月の目標だとかの標語を作るぐらいだろうし、校内でマイクアピールする必要は特にないと思う。


 生徒会選挙は数か月前にやっていた気がするし、こういう政治活動もどきにも普通に許可が出る、この学校の"自由な校風"には割とうんざりさせられる。


 なんだかどうでも良くなってきたので、窓を閉めた。


「お前がインテリ気取りだ何だと言おうが、ああいう手合いに女が群がるのが現実だな」


 天を仰ぎながら同級生の強面(こわもて)男が、無感情な調子で呟く。どうやらやさぐれているらしい。


「そう? 別にいいじゃないか。群がる女子もいれば群がらない女子もいるよ多分」


 いなかったらどうしようか、とも思う。


「どうだろうな。女が星の数いても、星には手が届かない」


 古淵が名言風の台詞を吐き捨てるように言う。この男の性格や普段の言動からすると、少しロマンチストが過ぎる。


「女子は別に星じゃないじゃん」


「お前がそう思うなら、そうだろうな」


 割と真っ当な突っ込みを入れると、つれない返事が返ってきた。

 それで言いたいことは言い終えたとばかりに、古淵はまた無言に戻り、空を眺めている。


 こちらから話しかける気も失せたので、そろそろ帰ろうかと思っていると、急にガラガラと入口の戸が開いた。


 目を向けると、ここ最近は行方不明扱いになっていた見覚えのある顔が現れたので、少し驚く。


「やあ、久しぶりですね」


「鹿島か。生きてたのか」


 古淵が振り向きもせずに呟く。

 鹿島本義(かしまもとよし)。僕らと同じ高校三年生で、付き合いはそれなりに長い気がする。


 典型的なオタク趣味の持ち主で、少し前には毎週木曜のバーチャルアイドルの配信だけが生きがいとか言っていた。


 伊達眼鏡と黄色い派手な法被(はっぴ)がトレードマークの見るからに怪しい男が、手に持っていた紙袋を戸の近くの長机の上に置いてから、誰にともなく話し始める。


「この頃は充実した高校生活を送っていましたので、顔を出す暇がなかったのですよ」


「それは何よりだね」


「全くだな」


 僕や古淵が適当に相槌を打つと、眼鏡男はやれやれと不満げに額に手を当てる。


「……あのですね。何が充実しているのか? という風に質問して頂きたかったのですが」


「何が充実してたの?」


 話に付き合うと、鹿島は一息置いて、勿体ぶりながら言う。


「はい、恐縮ながら率直に申し上げますと、最近、自分にも彼女ができました」


「へえ、そうなんだ。おめでとう」


「悪いが俺からは、何も言うことはない」


 眼鏡男が誇らしげに宣言すると、白けた空気が漂う。


 僕からすれば、無関心と、無関心なりに祝福したい気持ちが半々ぐらい。


 古淵の方は我関せずといった様子で即座にノーコメントを表明していた。


「……予想通りの反応ですね」


 そう言いながらも若干残念そうな顔の鹿島に、ふと思いついたことを聞いてみることにした。


「子供は作らないの?」


 男と女が一緒にいてすることと言ったら、子作り以外に思いつかない。


 暇つぶしの話し相手になったりどこかに出かけたりすることもあるだろうけど、そんなのはついでだろうと思う。


 僕の疑問に対して、鹿島はさほど驚いた様子もなく、飄々と答える。


「子供ですか。特に考えていませんでしたが。火村君には、その予定が?」


「ないよ。まず相手がいないし」


 ちなみにこの眼鏡男は、過去に付き合ってた彼女が普通にいるらしく、本質的にはリア充側の人間だったりする。


 中学時代に足の怪我をしてから運動部の先輩に彼女を寝取られたとかで、わかりやすくオタクに転向したらしい。


「それはご愁傷様ですね。ところで」


 僕の身の上には大して関心もないようでさらりと流して、鹿島が言葉を区切る。


「今日ここに来たのは、人探しを手伝ってもらえないか、ということなのです」


 澄ました表情を変えずに、そんなことを言い出した。


 人探し。またずいぶん唐突な話だなと思う。正直、興信所にでも頼めば? と言いたくなる。


「手伝うと、何かメリットはあるの?」


「メリットですか。特にありませんが。しかし火村君であれば、興味を持ってくれそうだと思いましてね」


「興味?」


 僕が首をかしげると、鹿島は関心があると判断したのか、矢継ぎ早に説明しだす。


「探しているのは、自分と交際相手の出会いを仲介してくださった、占い師の方です。彼女にこの菓子折りと、お礼の手紙をお願いしたいのです」


 占い師が、出会いを仲介。またもや怪しげな情報が出てくるも、いちいち疑問を挟む気にもならない。


「自分で渡したら?」


 普通に考えたら、僕が間に入る理由はどこにもない。


「残念ながら、なかなか居場所が掴めない方でしてね。神出鬼没と言いますか」


 鹿島は、芝居がかった様子で嘆いてみせる。


「なおさら、何の接点もない人間に丸投げする話じゃないよね」


「そうでしょうか? 以前、占い師の女性がタイプだと伺いましたが」


「よく覚えてるね」


 去年の夏頃、部室で暇を持て余しすぎてた時にそんな話をしたかもしれない。


 あの時は確か、鹿島が学校で人気のある女子をアニメとかゲームのキャラに例えて話し始めたから、流れで何系の女子が萌えるかだのの話になり、特に思いつかなかったから適当に占い師とか答えたような気がする。


 まあ僕の趣味がどうだろうと、僕がわざわざ鹿島の尋ね人を探して会いに行くのは変だし面倒でもある。


「何にせよ、筋違いな話だと思うけどね」


 そんな風に僕が常識的な返答に終始していると、急に横から飛んできた声が話に入ってきた。


阿曇(あずみ)は、気まぐれな子なのよ。私もなかなか捕まらなくて、困ってるの」


初芝(はつしば)さん」


 見れば、いつの間にいたのか、開きっぱなしの戸口の辺りに女子が立っていた。


 まるでよくここに出入りしてるかのような調子で、彼女はつかつかと歩いてくる。


「この人は?」


 僕が聞くと、鹿島は勿体ぶるように喋りながら、掌で仏頂面の女子を指し示す。


「ああ、紹介しますよ。先日婚約してお付き合いしている、狭山初芝(さやまはつしば)さんです」


「へえ」


 黒髪ストレートで切れ長の目の、冷たい印象を与えるこの美人が、鹿島の婚約者ということらしい。


「はあ。紹介しなくていいわ、本義さん」


 彼女は嘆息して、ピシャリとした口調で冷たく突き放す。


そんな態度の割には、鹿島の右腕に体を絡ませてぴったりとくっついているので、言行不一致感が著しいというか、見せつけられてるって奴だろうか。


 そんなことを考えて眺めていると、目の前の美人から急にギロリ、と睨みつけられた。


「阿曇に会ったら、言っておいてくれる? 占いごっこはもうやめなさい、ってね。他人の人生を玩具にしすぎなのよ、あの子は」


「はあ、そうなんだ」


 強い口調でまくし立てられたので、僕は適当に相槌を打つ。


 何か、揉めてるんだろうか。


 まあ、占い師って他人の人生を預かるようなところがあるらしいし、些細なことでトラブルになったりするのかもしれない。


 とはいえ、その阿曇って子と目の前の女子は口振りからすると友達みたいだし。


 友達に異性との出会いを仲介してもらうとか、その友達がやってる占いに苦言を呈するとか、いまいち想像がつかない世界だなと思う。


「ずいぶんな言いようですが、人選は初芝さんの希望に沿ったと聞きましたよ。まあ、自分が言うのもなんですが」


 鹿島が口を挟むと、狭山という女子は急に顔を真っ赤にする。


「うっ、そんなことは、どうでもいいでしょ。正直に話し過ぎよ、本義さんは」


 何かツンデレ的な反応をしているのを見る限り、どうやらこの二人、回りくどくイチャイチャしているだけのようで、無関係な周囲からすれば面倒な連中だな、と僕は溜息をつく。


「まあとにかく、そういう訳です。ちなみに、黒部阿曇(くろべあずみ)さん、という方ですので」


 念を押すように、鹿島が補足する。


 僕が一言も引き受けるとは言ってない話が、さっきから決定事項のように語られている気がするけど、気のせいだろうか。


「なんか僕が探す流れになってるけど、おかしいよね?」


「頑張れ。俺は帰る」


 僕が話しているうちに面倒事の匂いを感じ取ったのか、古淵は巻き込まれる前にさっさと荷物をまとめて姿を消した。全く、こういう時は行動が早い。


「菓子折りの方、よろしくお願いしますね。いえ、急ぎという訳ではなく、黒部さんを見つけた際に、忘れずに渡して頂ければ結構ですので。我々の用件は以上ですので。それでは」


 一方的にそう言い切るなり鹿島とその彼女も連れ立ってさっさと出て行ってしまったので、僕は机の上の紙袋と一緒に、化学室に取り残された。





「まあ、気になるといえば気になるけど」


 僕は化学室を出て、校舎の中を歩きながら呟く。手に提げている紙袋は、重くはないけどかさばる。


 一切届け先の説明をせずに他人に物を預けるってのも、ずいぶんな話だと思う。


 そのまま放置するかあるいは教室のゴミ箱に押し込んでこようかとも思ったけど、実際そうしていないわけだから、どうしたものか。


 滅多に姿を見せない、占い師の、女子。オカルトは守備範囲だから、話は合うかもしれない。


というかそもそも、その女子の存在自体が都市伝説みたいに思えてくる。


 僕は溜息をつく。あてもなく人探しなんかできないし、少し校内でぶらっと時間を潰してから、帰ろうかなと思った。


 教室棟を出ると、空はまだ昼間のように明るかった。


 春といっても四月の下旬になってくると、涼しいというよりは暑い日が増えてきている。


 さっきの演説で騒がしかった向かいの校舎の辺りは、既に解散したのかまばらに女子が残って雑談に花を咲かせているぐらいになっている。


 桜はとうに散ってしまっていて、見所のない葉桜並木の中を歩いていく。


 しばらく行ったところで、急に、ニャーと鳴き声がした。


 見れば、木の下に白い毛の動物がいる。鳴いたのは、その白猫のようだった。


 僕は犬派か猫派かで言えば断然犬派だし、その辺の野良でも女子達からかわいいかわいいと絶賛されるのを見るとなんとなく存在自体が受け付けないので、猫がいたら一切の関心を持たずにスルーして通り過ぎるように常日頃心がけている。


 そう、まさにどうでもいい存在。僕の中での猫という動物はそういうものに過ぎない。


 にもかかわらず、横を通過する直前、接近した瞬間。


 なぜか、その猫がこちらを見て、不気味ににやりと笑ったような錯覚を覚えた。


 猛烈な違和感を感じて、僕が猫の方を振り返るとその瞬間、めまいのような感覚に襲われる。


 視界がおぼろげになった後、そこに、猫は、いない。


 代わりに視界に入ったのは、黒いボタンが目立つ、白いコートを着た、真っ白な白髪の女性。


 多分年上、社会人に見える。白髪だけど、だいぶ若い印象を受ける。


 装いは落ち着いているのに禍々しいというか、得体の知れない感じがする。


 心なしか、周りの空気もどす黒く淀んで歪んでいるように見えてくる。


「あら、どうかしたのかしら」


 運悪く目が合ってしまったので、僕はわざとらしく目線を逸らさざるを得ない。


 女性は、口元を押さえながら笑っている。


 直感的に、関わらない方がいい、という言葉が脳裏に浮かぶ。


 僕は背を向けて足早にその場を立ち去った。

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