キンセンカ
僕たちは駅近くのサイゼリヤで夕食を食べた後、コンビニに寄って帰宅した。もちろん、彼女のマンションだ。
いつもと違う帰り道、隣には一目惚れした女の子。僕は全部夢なんじゃないかと思って頬をつねった。分かっていたことだがこれは現実らしい。
「なにしてんのもう」
赤くなった僕の頬を見て彼女は笑った。
615号室への入室はやはり慣れなかった。もじもじしていると彼女が早く入りなさいと言った感じで手招きする。
「お風呂、入ろっか」
「ひょへっ、、!」
どこから発せられたのか分からない音に彼女はニヤニヤと笑う。
いや、ちょ、何言ってんだこの子。お風呂入ろっかって、それって、まさかな、2人な訳ないよな。
「あ、もちろん2人だよ?」
僕の心の声が届いていたかのように彼女は言う。ニヤニヤと笑うその顔は動揺する僕を見て愉しむ小悪魔のようだった。
そうだ、これはからかいだ。男女で一つの部屋に泊まるともなれば絶対に意識すること。それを彼女はあえて口にすることで僕の緊張を解いてくれているんだ。
そうだ、気を遣われているんだ。ならこの彼女のからかいに僕は乗ってやって緊張してないですよアピールをしてやろう。
「あ、い、いいよ。」
「あ、へ、??」
明らかに緊張した声付きで僕は答えてしまったが、それ以上に緊張した様子で彼女はその音を発していた。
「いや、ちょ、冗談だよ、冗談!」
「あ、うん、そうだよね!もーごめん!私も冗談だから!あ、じゃあ私先に入るね!てきとーに座ってて」
「あ、うん!」
気まずい空気に押されるよう彼女は脱衣所へと入っていった。
あーなんて悪い冗談を言ってしまったんだ!彼女困ってたじゃないか!彼女の冗談は僕に気を遣ってのことで、僕がそれに乗ってしまったらただ女の子とお風呂に入りたい本物の変態じゃないか!
615号室のリビングで男が自責の念に駆られている中、脱衣所では普段より何十倍も速くなった鼓動を抑え顔を赤くした女が、これもまた後悔していた。
僕が風呂から上がると彼女は隅においてあった段ボールを机にしてつまみを広げ、コンビニで買った缶チューハイを飲んでいた。
「おいで、なにがいい?お酒強い方?」
「いえ、あまり、」
「ならこれね」
彼女からのほろ酔いを受け取ると僕も飲み始めた。
そこからはただひたすらお互いのことを話していた。彼女の学部のこと、友達のこと。僕の高校生時代のこと、地元のこと。話が弾むにつれ彼女はどんどん缶チューハイを開けていった。意外と強い。彼女は僕のどんな話も真剣に聞いて、時には笑ってくれた。
こんな一面もあるんだな。
あぁ、ずっとこのまま、夜が明けないでほしい。無理な願いだとは分かってる。それでも、これが一生の願いになってもいいほど僕は彼女と一緒にいたいと思った。
時計の針はもう深夜の1時半すぎを指していた。
「あのさ、本当にアメリカに行っちゃうの?」
「うん、行くよ。もう今日だね。」
彼女は時計を見て答えた。
その時、月明かりに照らされた彼女の頬で光る涙を僕は見た。彼女を泣かせるつもりはなかった。
「ごめん、もう寝よっか。」
僕は後悔した。彼女だってアメリカに行きたくないだろう。それでも行かなければならなくて、その事実はもう決まってて、変えようがないんだ。変えることのできない未来なんだ。
沈黙が部屋を覆い尽くす。布団はないから僕たちは背中合わせになるようにして床で雑魚寝した。
「秀一君は優しいね、、。」
彼女は初めて僕の名前を口にした。背中越しに彼女は続ける。
「私は秀一君が好き。秀一君が一目惚れしたって言ってくれた時ほんとに嬉しかった。両思いになれたんだって。でも離れなきゃいけないから。秀一君も分かってるから次の言葉は言わないんだよね。優しいねやっぱり。」
このまま付き合おうって一言言えば僕らはお互いが求める関係になるのだろう。しかしそれは言えない。
僕は彼女の方を向いた。彼女はいつの間にか僕の方を向いて泣いていた。
それから僕は彼女を強く抱きしめた。彼女の涙を見たくなかったということもあるが、それより今はこうしていたかった。一目惚れがこんなにも辛いなんて。お互い思い合うことがこんなにも苦しいなんて。恋をするということが、こんなにも切ないことなんて。
「花菜さん、ごめん、、。」
そのまま僕たちは抱き合って眠った。
最初で最後の夜はこうして明けた。
それから1年後、僕には彼女ができた。
僕が描きたいように書かせていただきました。書きながら悲しくなることもありましたが書き切ったので読んでくれた方は是非感想を聞かせてください。
最後までご拝読ありがとうございました。