無能転生。バカでザコで不細工で貧乏で何の才能も無く、極めつけには糞陰キャのコミュ症だけど生まれたからには上を目指す。
才能って何だと思います?
あなたにも分かるように一言で表すなら感受性です。
教わったことや学んだこと。見たものや聞いたこと。
小さな出来事からより多くの情報を取り込み、自らの糧にするだけでなく、力へと変える能力。
だからね、元の世界で無能だった人間に記憶を継続させて、新しい才能を加えるなんてことは無理なんですよ。
今まで10を聞いて1を知れたら良いくらいの感性しか無かった人が、何の経験も、学習も、閃きも、意識改革も無く1を聞いて10以上を知れる人間になってしまったら、最早、記憶を共有するだけの別人です。
その時、あなたが感じるのは全能感ではありません。
過去の自分に対する強烈な自己嫌悪と精神崩壊です。
だって、あなたはとんでもない無能なんですから。
恥と言うものを知る人なら自らの命を断ったとしても何ら不思議ではありません。
なまじ才気を持つが故に、自らの記憶を断ってしまうかも知れない。
無能が何の下地も無く、天賦の才を得るというのは自殺にしかならないのだから、才能を与えることは出来ません。
才能を得ても変わらないこと。それもまた才能なのですから。
あなたの言うチートやスキルも同じです。
だから記憶を残したまま転生などと望むのはお止しなさい。
記憶を保持したまま転生して成功できるのは、元から有能であったか、実力を発揮する機会を得られず不遇にも無能呼ばわりされていた有能な者だけです。
残念ですが、あなたは彼等とは違う。正真正銘の無能です。
才能を与えたら自己嫌悪で自我崩壊を起こし、スキルは使いこなせず、チートは短絡的に悪用して世界の敵になる。
あなたの努力は常人にとって当たり前のことで、あなたの閃きは常人にとって考えるまでもないこと。
それほどまでに無能なのです。あなたは。
だから記憶を保持したまま転生するなどと考えないことです。
あなたが望む剣と魔法の世界においても、前世と変わらず、苦難と苦渋に満ちた残酷な一生を送ることになる。
二度もいばらの道を歩むこともないでしょう。
救世主であるならば、煉獄の如き生を幾度も転生して繰り返すことにも意味はあるでしょう。
彼等は救世主であるが故に、たった一度の生では歩み切れぬほどの試練の向こう側に望みを叶えることができる。
ですが、あなたには才能だけではなく、運命も宿命もなく、生を繰り返すことに意味は無く、それだけ繰り返しても得られるものは常人が一生の内に得られるものにすら遠く及ばない。
そこまで言われても、あなたは記憶を保持したまま転生することに、次の生こそはと望みを捨てられないのでしょうね。
――無能であるがゆえに。
夢なのに夢も希望もない。
ただ淡々と罵倒される夢を見て、苛立ち混じりに夢から覚めると同時に怒りを覚えたのは4歳の話だ。
「クソッタレが……!」
ハルトは怒りの滲む声を喉の奥から絞り出す。
大声を張り上げなかったのは此処が転生先の家の大広間で、他の家人たちも寝ているからだ。
そして何より、前世から続く吉沢陽人の習い性でもある。
(転生しても名前は同じなのかよ。ジェフリーとか、ジェラールとか、ティオドロとか、ヨハンとか、もっと外人っぽい名前にしてくれりゃ良かったのに)
前世も今世も同じ名前なのは面白味がなくてしょうがないが、漢字のように一文字一文字に意味が込められている世界でないだけ、前世よりもマシと言えた。
名前は陽でも生き様は陰。ただでさえ侮られ、蔑みの的にされているにも関わらず、名前を知られた日には嘲笑と罵倒まで飛んでくるのだから堪ったものでは無い。
(記憶が流れ込んでくる。何もかもがクソッタレだ……)
新しい人生での名は前世と同じくハルト。但し、名字は無い。
強いて言えば、トハル平原のヨルク村と付けられた地名が、そのまま名字になる。
ハルトは4歳で、この家に住む八男坊だ。三男と四男、そして七男は冬を越せずに死んだ。
九男と十男は冬を越せたが先月餓死した。
祖父母は健在だが、孫のことは目に入れても痛くないというタイプでは無いらしく、その寵愛は後継者たる長男と、予備の次男にだけ向けられている。
それは両親も同じで、一番下の子が可愛いなんて現代人の感覚は一切通用せず、長男と次男には、それぞれに個室が与えられているが、五男と六男、そしてハルトには粗末な広間が与えられている。
以前は三男が広間の王として君臨し、カーストの最下層には奴隷の九男に奴隷見習いの十男といった具合だったが、今や五男が王で大臣の六男、奴隷のハルトに代替わりした。
ハルトとして覚醒した吉沢陽人に虐げられた覚えはないが、隷属の日々を過ごしたハルトの記憶は確かにある。
だからまずはこの状況を打開しなくてはならなかった。
六男は6歳で、五男は7歳。コミュ障で陰キャとは言え、元は成人男性だ。
(この年頃の子供の喧嘩なんて涙と鼻水をまき散らしてぐるぐるパンチが精々だろ。楽勝だな)
渋谷で半グレと喧嘩すると思ったら、鼻くそみたいなものだった。
半グレ以前に喧嘩をしたことすらないが。
軟球を投げ付けられて、何も言い返すことも出来ずに嘲笑われたり、唐突に胸倉を掴まれて震えているところをSNSにアップされて醜態を晒されても矢張り何も言い返せず、殴りかかることも出来なかったことを喧嘩と言い張るのなら話は別だが。
それでもテレビでアクション映画や格闘技の試合を観て、蛍光灯の紐でシャドーボクシングをしたり、特に何の根拠もなく強くなった気分になったり、同じく根拠も無しに戦いの何たるかを熟知したかのように振舞えるのが吉沢陽人という人間なのだ。
ハルトは前世で培った戦いの記憶を呼び覚まし、6歳児と7歳児の兄が目覚めるのを待った。
二人の暴君が目覚める時、決戦が始まり、一つの伝説が始まるのである。
結論から言えば、伝説が始まることは無かった。
当たり前と言えば、当たり前だ。決闘の相手は7歳と6歳のお子様だが、ハルトもまた4歳のお子様である。
特にこの年頃の一歳差は隔絶した壁とも言うべき格差が存在する。
前世ではサンドバックにされることはあっても、真っ当に喧嘩すらしたことの無いハルトに、2歳、3歳年上の兄を二人も相手取るのはあまりにも荷が重く、イメージ通りに身体を動かすことも出来ないまま、マウントポジションを取られて、文字通りボコボコにされ、6歳と7歳の子供相手に小便を漏らしながら命乞いをするという無様を晒す羽目になったのである。
寝込みを襲う。武器を使う。虚偽を用いて五男と六男の対立を煽ったり、両親に折檻させる等、やりようはいくらでもある。
両親や祖父母にとって大切なのは長男と次男だけなのだから、そちらに害が及ばなければ何も気兼ねしなくても良いのだ。
何なら、長男と次男に取り入って、その威を借りるのも良いだろう。
尤も、そこまで知恵が働くなら前世でイジメられること無く、日陰を歩み続けることもなかった筈だ。
そして、何より、ハルトの心は完全に折れ、6歳と7歳の子供に屈服し、顔色を窺い続ける日々を過ごすこととなった。
前世で大人であったハルトに、どうしようも無い屈辱を味わわせることとなったが、状況を打開するために何かをするということも無いまま十年の歳月が流れた。
兄たちの奴隷のまま、抵抗も無く、状況を変えようともせず、誰も同情しない。
ハルトが虐げられるのはヨルク村では何の変哲も無い、ありふれた日常的な光景と化しており、誰も何の疑問も抱かず、ハルト一人だけが恨みを募らせていた。
だが、ある時、彼等に転機が訪れた。
トハル平原を擁するウォルーク国と国境線を有するヴィアール国が軍事的な緊張状態に陥り、いつ開戦してもおかしくないという状況らしい。
とは言え、どれほどの規模の戦いになるかまでは予測が付かず、ウォルーク国としては正規兵の動員には二の足を踏む状況であった。
そこで農民から兵を募り、先遣隊として斬り込みと強攻偵察を任せる運びとなった。
何せ農村からは農作物同然に子供が次から次へと生まれてくる。
貧困と飢饉に耐え切れずすぐに死んでしまうのが玉に瑕だが、戦場で死ぬことになったとしても同じことだ。
どうせ死ぬなら有効活用してやれば良い。少なくとも農村での無駄な死とは違って、戦場という有意義な場所で邦の役に立って死ぬことが出来る。
無知無能の農民の子にとっては上出来すぎるほどの栄誉ある死だ。
そういう考えの下に徴兵が始まった。
子供一人につき、無税一年という大判振る舞いにトルク村の人々は大いに賑わった。
ウォルーク国からしてみれば、貧困世帯の税金1年分という破格の低コストでどんな命令でも下せる死兵を得られるのだから笑いの止まらない話だから、まあWin-Winの関係と言っても良いのだろう。
ハルトも五男、六男と共に徴兵に出されることとなり、両親はまんまと無税三年の権利を得たのである。
二人の兄の普段の傍若無人っぷりも鳴りを潜めてガタガタと震え出す始末だったが、ハルトにしてみれば遂にこの時がきたと類を見ない上機嫌ぶりだった。
この世界は剣と魔法の世界だ。徴兵された少年たちは皆、一様に健康診断を受けることとなり、身長と体重と同じように魔力値という項目がある。
(これだ。こういうのを待っていたんだよ! 異世界転生と言えば、やっぱりこれだよな!)
「ヨルク村のハルト、魔力値5」
「ゴミかよ」
「糞の役にも立たねぇ」
行きは相乗りの馬車。帰りは僅かな路銀を握らされて徒歩。
ここぞとばかりに二人の兄が罵倒ついでに路銀を奪いに来るに違いないと警戒していたが、あまりにも哀れ過ぎて目を合わせようとすらしなかった。
惨めだとは思わなかった。
「これって追放物? なんだ、そういうことか!」
寧ろ、導入シーンがやっと終わったのだと意気揚々と歩き出す。
しかし、その道中で野盗に襲われ、命辛々逃げ出したかと思えば、熊の巣に突っ込み食い殺された。
よくある話だ。
徴兵に紛れ込む水準以下の無能に僅かな路銀を持たせて徒歩で帰らせる。
するとはした金目当ての野盗が釣られてやってくる。それを捕えて、アジトや背後の関係を吐かせる。
無価値な命でも、その程度の役には立つ。ハルトが普通に生を真っ当するよりも、ずっと多くの人間が救われる。
本人の納得は別にしても、ある意味、彼にしては上出来の生涯だったと言えるだろう。
――あーあ、だから苦難と苦渋に満ちてるって言ったのに。