≪1-11≫ 『ありがとう』
浸水から復旧した『岩トカゲ館』の台所でビオラが夕食を拵えた。
まだ食料を含む物資の流通には不安があり、必要以上に買い占めるわけにもいかないので、メニューは定番の魚肉団子スープと、新鮮な魚肉を使った刺身サラダだ。
食堂は使える状態になっていないので、食事の場は二階の空き部屋だ。本当は今日のうちに避難者を受け容れるはずだったのだが、あんな事件があったので遅らせていた。
「私もちょっと反省しました。私たちが何やってるか碌に説明もしないでモニカをとりあえず遠ざけたのは良くなかった」
湯気立つスープにパンを浸しながら、ビオラは言う。
「そうよ、反省しなさい」
「お前が言うのかよ……」
「むっ」
苦笑まじりのウェインの言葉に、モニカはちょっと、鼻白んだ。
しかし特に反論はしなかった。
「……ねえ、このパーティーって、どういう繋がりなの?」
未だにモニカはティムとウェインに対して、態度が硬い。
だがそれも当然か。彼女にとってティムやウェインは、まだよく分からない相手なのだから。
だが自分から一歩踏み出して、事情を知ろうとしている。
「って言うか、よく考えたらわたしもそれ聞いてない」
「あー、ルシェラにも言ってなかったか……」
「ルシェラが仲間になって以来、ずーっと忙しくてゆっくり話すどころじゃなかったもんな」
「ええ、そりゃあ……ビオラさんの事もギリギリで聞きましたし」
「すまん、本当にすまん。根に持たないでくれ」
ティムは誤魔化すように、硬いパンを豪快に囓ったが、思ったより口の中がパサパサになったようですぐにそれを牛乳で流し込んだ。
ふう、と深呼吸の代わりのように、彼は小さな溜息をつく。
「俺ぁもともと王都の生まれで、最初は向こうで冒険者やってたんだ。
“小夜啼き時雨”ってパーティーに居たんだけどな。その頃いくつか目立った活躍をして、陛下の目に留まった。それでビオラを預かってくれないかって相談を受けたのさ。
最初は……そりゃ何の冗談かと思ったぜ」
「だよなあ、普通に考えたらそんな話」
「でもちゃんと理由あっての人選だったんですよ。
地元の生まれで身元がしっかりしてて実力あって人柄が信頼できて……一番重要だったのは貴族と縁戚関係が無いこと」
「それだ。ビオラの扱いは色々と危ういバランスの上に成り立ってたから、地位ある者を護衛に付けにくかったんだ。それで俺に白羽の矢だ」
なるほど、とルシェラは思う。
ルシェラもこの街で“七ツ目賽”のマネージャーとして仕事をしていたわけで、街のトップパーティーのリーダーであるティムの経歴は人並みに知っている。
彼は“黄金の兜”を結成してクグトフルムに移る前から、王都で有名な冒険者だったらしい。冒険者は無法者として蔑まれることの方が多いが、名声を極めた冒険者は王侯貴族からも信頼されるものだ。実力も、人柄も。
と、なれば王様からお声が掛かることも有り得る。
「あり得ない話だと思ったが、考えりゃ考えるほど渡りに船でな。
“小夜啼き時雨”の方じゃ、ちっとな、俺は歩調が合わなくなってた」
「と言うと?」
「俺だけ才能がありすぎたんだ」
ティムは、嘆息する。
これまたよく聞く話だけに、ルシェラは相槌も呑み込んだ。
冒険者のパーティーは、駆け出しや志望者同士がギルドを通して知り合い、結成されることが多い。
だが才能の有無は、やがて成長速度の差として如実に表れる。駆け出しのうちは目立たなかった差が、時間を経る毎に、残酷なまでに開いていく。
そうして足手まといになった者が身を引いたり、追い出されるようにパーティーを出て行くのは本当によくある話なのだが……逆も然りだ。
冒険者はパーティーで仕事をするもの。
抜きん出た才を持つ冒険者であっても、仲間がそれについて来れなければ、超一流の仕事はこなせない。
もしパーティーを維持するのであれば……仲間の歩調に合わせた、格下の仕事をするしかない。
「俺は、よかったんだよ。別にな。あいつらみんな冒険者になって最初の仕事からずっと付き合ってる仲間だったし。
でもなあ……依頼人が俺しか見てねえんだよ。他全員、俺のオマケ扱いだ。それじゃあダメだろ。
あいつらはまだ伸びると思ったし実際そうだった。なのに誰も……」
ティムは、言葉を切った。
誰も悪くない。
しかし、悪人が居なければ丸く収まるとは限らないのだ。
「それで俺は話し合って、“小夜啼き時雨”を抜けた。
ビオラの護衛は俺にできる仕事としちゃ最上のもんだろうと思ったし、な」
ティムはそう言って話を締めくくった。
確かにそれは単独でもできる仕事で、しかも一流の実力と信頼が無ければ任せられない。
もっとも、少女と言っていい年だった頃のビオラを一人の男に預けるというのは、普通なら別種の問題を危惧するべきだと思うが……
やはり一流冒険者には社会的な地位(衆人による監視の目とも言う)があるし、この朴訥男に限って心配は無いだろう。
あるいは、フォスター公爵は『それでもいい』と思っているのかも知れないが、その辺りの政治的事情を考えても気分が悪くなるだけなのでルシェラは思考を放棄した。
「じゃ、ウェインさんは?」
「ビオラの初仕事で、当時駆け出しだったウェインも一緒になったんだ。
なんか妙に噛み合うみたいでな、仕事ひとつ終わる頃にはどつき合うようになってた」
「お前そんなさらっと……あのなあ、ビオラの正体知った時の俺の気持ちとか考えてみろよ。
三日は寝込んだしヤベエほど腹下したぞ!
世の中のほとんどの人族はお前より繊細なんだよ!」
当事者以外にとっては喜劇だ。
ウェイン渾身の抗議に、ティムは頭を掻くばかりだった。
「……でも、ちゃんとパーティー組んだのは俺が『四』に上がってからだな。
それまで俺は二人に関わることもあったけど、単独と『渡り鳥』やってたんだ。
俺は街の問題を身軽に調べて回って、できるもんなら解決するってのが指針だったから」
「俺とビオラ二人だけの時から、一応は“黄金の兜”って枠で活動してたんだけどな」
ソロ以外の冒険者は、ギルド内で基本的にパーティー単位で管理されるので、武者修行の名目で冒険者活動をするビオラと、その護衛たるティムの二人組でも、形としてはパーティーを組んで活動することになる。
つまり、“黄金の兜”は元はそれだけの枠だったということだ。
「ウェインを引っ張り込んで、まともにパーティーとして“黄金の兜”を組もうと思ったのは、俺の思ってた以上にビオラが伸びたからだ。これは嬉しい誤算だったよ」
「誤算かよ。お貴族様は基本的に才能ある同士で結婚してんだから、言ってみりゃ俺らみたいな『突然変異』とは違う、血統書付きの改良品種じゃねえの?」
「才能があっても勝手に伸びるわけじゃない……努力と根性の賜物だろう」
「要はお前、ビオラがどっかでヘタレると思ってたわけか。ははー、そりゃ傑作だ」
からかう調子でウェインは言う。
やり込められたティムは曖昧に苦笑してパンを囓るだけだ。
「私も強くなれるの?」
「モニカ……」
じっと話を聞いていたモニカが、思いも寄らぬところに反応した。
これには一同、面食らう。ビオラは少しだけ心配そうだった。
「……そりゃ、鍛えりゃ確実に今よりはマシになるだろうが」
「なら、やるわ。もうあんな目には遭いたくないもの」
「だが先に言わせてくれ。
自分ではどうにもならんことまで一人で全部解決しようとすると、かえって悲惨なことになる。
強くなった奴はなんでもやれるような気分になって、逆に失敗しちまう事が多いんだ。
強くなるのはいいことだが、誰かに頼ることを忘れちまったらダメだ。それは覚えておいてほしい」
ティムは真剣だった。
冒険者なんかしていると、見知った顔が死ぬこともあるわけで。ベテランである彼は、重ねたキャリアの分だけ後悔も背負っているのだろう。
モニカは、ただ俯く。
「でも……誰かを頼るなんて、考えもしなかったし、できなかったもの。ずっと」
「今は違うんじゃないか?」
良くも悪くも歯に衣着せぬティムの言葉に、モニカの頬はさっと赤くなる。
「あんた偉そうよ」
「モニカ!」
叩き返す一言を咎められても、モニカはつんとそっぽを向く。
だがふと、思い立ったように、隣に座るルシェラに囁いた。
「ねえ、ルシェラ」
「何です?」
「次があったら……本当に城を更地にするの?」
それは、モニカを襲った男に伝えた脅しの言葉だ。
「必要があれば」
ルシェラは端的に答えた。
あの場では怒りのままに言っただけだったけれど、後からちゃんと考えた。
……可能であるかどうか。
その結果、ルシェラは、『できる』と思った。
「そうならない事を祈ってます。色んな意味で」
それは最悪の想像だ。
報復が必要な状況になること自体を避けたいし、それはもはやルシェラにとって人族世界との決別になるかも知れない。
必要ならできてしまうし、きっと、実行する。夢物語でも空威張りでもないからこそ、ルシェラは慎重に言った。
「そう」
どう思ったか知らないが、モニカは小さく呟いた。
そして、スープに入っていたニンジンを掬い上げ、ルシェラの皿に放り込んだ。
「ニンジンあげるわ」
「もしかしてニンジン嫌いです?」
「大っ嫌い」
仕方なくルシェラは、魚の出汁を吸った、ちょっとだけ苦いニンジンを食べた。







