≪1-10≫ お叱り
地べたに座り、身を起こしているモニカ。
捕らえられた男。
それを見てビオラはすぐに、成り行きを察したようだった。
「このおバカ!!」
ビオラは駆け寄り、跪き、覆い被さって包むようにモニカに抱きついた。
「なんでそうやって……独りで…………」
絞り出すような震える声。
モニカはまだ自分が何をされているのか理解していない様子で固まっていた。
ルシェラはそんなモニカの顔を、自分もかがんで、ビオラの背中越しに覗き込む。
「大丈夫…………っぽいですけど怪我は無いですか、モニカさん」
「え、えっと、口の中……あとは頭をちょっと打った……かな」
「≪治癒≫」
ビオラは略式の印を切り、回復魔法を使った。
温かな光が彼女の手から放たれ、モニカに照射される。
「……別に、魔法なんて使うまでもない怪我よ」
「バカバカバカバカ本っ当にバカ!
あなたが怪我したら掠り傷でも治すわよ! それで私が干からびたっていい!」
ちょっと拗ねたかのように口を尖らせるモニカの肩を掴み、ビオラは正面から言葉を浴びせた。
剣でも向けられたようにモニカの喉が、ヒッと鳴る。
もうモニカは逃げられない。
思い知るより、他に無し。
そしてビオラは立ち上がる。
眼鏡を掛け直して彼女が見下ろすのは……騎士二人がかりで取り押さえられ、銀色の鎖で幾重にも縛り上げられた男。
ルシェラは男の気配を読んだ。
気配とはつまり、魂の脈動や、漏れ出す生体魔力の響きだ。気配の質には力量が反映され、故に達人は他者の気配のみで実力の程を量れる。
竜気に満ちたクグセ山では他者の気配を読みがたく、ルシェラは山暮らし中に気配を読む訓練などしていなかったはずなのだが、魔法に熟達するにつれて自然と感覚が培われていたらしく、今では気配だけで相手の強さが概ね分かる。
それによれば、目の前の男は信じられないくらいお粗末だった。腕っ節が強そうなのは外見で分かるがそれだけで、まともな訓練も受けていないだろうし、死線をくぐった経験も無いだろう。
一山いくらで使われるような底辺の暴力代行業だ。
「こいつが……犯人か」
「ええ。トカゲの尻尾でしょうけど」
いきなり飛ばしてきたルシェラもビオラも、モニカとの会話も全くいきさつが分からない様子で、男は唖然としていた。
拘束されている男に、ルシェラは視線を射かける。
湿っぽかった裏通りは途端、乾ききった。
太陽が近づいたかのように辺りは熱気が満ちて、周囲の壁から乾いてめくれ上がった古い塗装が剥がれ落ちていく。
鍔迫り合いで飛ぶ火花みたいに、石畳の上にはチリチリと、炎が駆けた。
「雇い主に伝えろ。
『公爵家と喧嘩がしたいなら勝手にやってればいい。だが無辜の者を巻き込むならドラゴンの怒りを買うだろう』と。
次があれば容赦しない。城一つ、更地になると思え」
「…………えひっ」
ルシェラの啖呵を最後まで聞けたかどうか。
男の目はぐるんと回って白くなり、シメられた魚みたいにびくりと震えると泡を吹き、失禁しながら気絶した。
「彼が誰かに言葉を伝える機会は二度と無いでしょう。
言伝は私が引き受けました、小さなドラゴンよ」
気絶した男に代わって神妙な様子で応えたのは、私服の騎士だった。
二人の騎士は折り目正しく礼をすると、男を引っ立てていく。
「汚ぇなオイ」
「引きずってけ」
二人の騎士は鎖の先を肩に引っかけて担ぎ持ち、ぐるぐる巻きの男を引きずっていく。
男を縛る鎖が石に擦れる音は、遠ざかり、やがて街の音に紛れていった。
「あいつはどうなります?」
「……死刑でしょうね。
今回はモニカではなく公爵家への攻撃という意図があったのでどんな無理矢理な理屈を引っ張り出してでも『暗殺未遂』という扱いで処刑するでしょう。諸侯とその血族を狙った暗殺は一般的に未遂でも死刑です。
おそらく実行犯と依頼者の繋がりの証拠は消してあるので仮に依頼者を突き止めてもそちらへ累が及ぶことは無い……
彼を処刑することがせめてもの見せしめというわけです」
ビオラの説明は理路整然として、ただ数式の答えを述べるかのように無感情だった。
「そのために、こんな時だけ家族扱いするのか……」
「まあ理屈は何でも良いのでやることやって貰いましょう。
……帰ろう。モニカ」
「…………うん」
手を引かれてモニカは立ち上がり、そのまま立ち止まった。
ビオラの引く手が、宙にピンと張った。
「あの……」
「なぁに? まだどこか痛い?」
「あの、じゃなくて……」
俯くモニカが、言葉を絞り出すまで、しばし。
「ご……なさい」
その言葉は最初、掠れていた。
モニカは深呼吸してから、言い直す。
「ごめんなさい、私……
自分を捨てることがこんなに……悪いなんて思ってなかった」
ルシェラとビオラは、顔を見合わせる。
それからビオラはふっと、肩の力を抜いた笑みを浮かべ、もう一度モニカを抱きしめた。
「やっぱりモニカは賢いね。すぐにそれが分かったんだもの」
離さないようにしっかりと、それでもその手と声は優しく。
モニカは頼ることを知らないがため、自ら短絡的な解決に乗り出した。
自分の知らないうちに誰かが解決してくれるとか、誰かが守ってくれるとか、自分に万一の事があれば誰かが悲しむのだとか……そういう感覚はモニカにとって、最初から頭に無かったのだ。
ならば学ぶべきなのだろう。誰かに大切にされるということを。
そして彼女はやっぱり賢かった。
抱きしめる手の感覚が、くすぐったくてたまらないらしく、彼女はそわそわと身じろぎしていた。
「でも……でも、どうしてそんなに私のことを?
いくら半分血が繋がってるって言っても……会ったばかりなのに、私たち……」
「会ったのは最近でも私はモニカのことをよく知ってるのよ。
お母様や公爵のお話も世間の口さがない噂も……あの『屋敷牢』の元使用人の話すら聞いて回ってたんだもの。実はね」
ビオラは眼鏡を光らせて、けけけと笑った。
「まあ元から知ってたかどうかなんて割とどうでも良い事よ。
こんな可愛い生き物が妹なんだって思う度に私は幸せになるんだから。
これからもっと好きになっていく分だけ今から大事にしたっていいはずでしょ?」
これで恋人に向けた言葉だったなら、歯が浮くほどに甘い愛の囁きだ。
モニカは俯いて赤面することしかできなかった。