≪1-6≫ 悪意
見晴台から戻ってくると、ティムとウェインが出席した会議は既に終わっていたようで、彼らは街の入り口でルシェラたちを出迎えた。
「お疲れさん」
「そちらこそ。会議とやらはどうでした?」
「ま、俺らは話聞いてるだけだからなんともな。
街の現状とギルドへ協力を求めたい部分を冒険者代表として把握しておいて、冒険者の立場から意見や提案があればそれを言うってだけだ」
ティムやウェインは街のトップパーティーとして、あちこちに顔が利き、かつ影響力を持つが、他の冒険者を動かす権限などは持っていない。冒険者たちはそれぞれが独立している。
だから、あくまでも公的には『冒険者代表』として助言するくらいなのだ。とは言え、あらかじめ彼らに話を通しておくことで、他の冒険者たちを使うにも話がスムーズになるのは間違い無いわけで、そこは期待されているのだろうけれど。
「王様と公爵様が頑張ってるそうで、幸いにも物資は足りてる。
ただ衛兵隊もてんやわんやだから、防犯のため見回りに協力してくれって言われたのと、大規模な魔物の襲撃があったら冒険者に頼るだろうなって話だ」
「一番の問題はクグセ山から『変異体』が迷い出てきた場合だが、アンガス侯爵軍との戦いでほぼ使い切っちまったよな?」
「そう……ですね。大丈夫だとは思います」
「だから、まあ来ないとは思うんだ。
もし来たら俺らがどうにかできるたぁ思うが、これ以上『変異体』が減っちまうと、山の方が不安だよな」
「はい。ママも『変異体』が街の近くに来ないよう、対策してるみたいですし……
できればわたしが追い返したいです。
もちろん街の人の安全には替えられませんから、危なくなれば討伐ってことで……」
災害に見舞われた街は、普段よりも無防備だ。
幸いにもマルトガルズが次の攻撃を仕掛けてくるような兆しは見えないが、だとしても気を抜けない。人族の生活は常に魔物に脅かされているのだから。
だからこそ時に、公権力の持つ力だけでなく、冒険者という自由の剣が重要になってくるわけだ。
冒険者たちは街に対する義務だの責任だのを持たない。
だが、責任感は別だ。
力無き人々の事情を好き好んで背負うからこそ、“黄金の兜”は今日の信頼を得ているわけで。
義によって剣を取るのもいつものこと。彼らは殊更に身構えるでもなく、当然のように街のことを考えているのだ。
「そっちはなんか面白いことあったか?」
「はい。モニカさんが『色摘み』になりたいって」
「へー。色摘みねぇ」
控えめに話を聞いていたモニカが、ウェインの視線から逃れるようにさっとビオラの陰に隠れた。
ウェインは苦笑しただけだった。
「『色籠』はどこかで買えるだろうけど、色摘みをするなら記録を絵にする機械も必要だよな」
「確かに……覗き箱だけってのもなんだしな」
ティムもウェインも難しい顔をする。
色籠だの色摘みに関してはルシェラも特に詳しくないのだが、世間で色摘みを名乗る者らは、概ね、撮影したものを絵に変えて人に見せるのだと知っている。
だがそこが問題だった。
色籠による撮影……つまり絵の記憶は、ゴーレムの記憶中枢の応用で実現されているので、コストは別として比較的一般的な技術が使われている。
しかしそれを絵に変えるとなると、何をどうすればいいのか。色籠用の印刷機械があるらしいとは聞いているけれど、どこにいくら金を払えば手に入るのかも見当が付かない。
「新聞社にでも聞いてみるかあ?
あいつら色籠使ってるはずだし、新聞に写真を載せてるってことは絵を印刷する機械も持ってるんだよな」
「その機械って個人で買えるようなものなのか?」
「知らん。値段的にはまあ、新聞社だの冒険者ギルドが買えるんなら俺らに買えねーってこたねぇだろうけど……」
相談しながら歩いていると、ウェインが、ふと、足を止めた。
「……おい、なんか臭くねえか?」
「言われてみれば、何か違うニオイが……」
泥水に沈んだクグトフルムの街は、泥のニオイと微かな腐臭が、未だ街中に燻っていた。
だが、それ以上の何かがある。
鼻をぶん殴るようなえげつない異臭の予感が感じられた。
周囲の一般市民が倒れたりしてはいないので、毒ガスが発生したわけではなかろう。
だが皆、異臭には気が付いた様子で、顔をしかめて鼻を摘まんだり、辺りの様子を伺ったりしている。
冒険者としての盗賊の技術の中には、五感を研ぎ澄ませて危険を探るものがある。
ウェインはニオイの流れてくる方向を即座に嗅ぎ分けたようで、すぐに大股で足早に歩き出した。
異臭は徐々に強まっていく。
行く先は、ルシェラたちが最初から向かっていた方向と同じだった。
パーティーが拠点とする元温泉旅館・『岩トカゲ館』へと。
「向こう、人だかりが」
「ウソだろ……何があった?」
がやがやと、不穏に、不安に騒ぐ人々の姿が、『岩トカゲ館』の周りにはあった。宿の玄関がまるっきり見えないほどだ。
鼻を押さえたり、口を覆ったりしながら、彼らは何かを観察していた。
「おい、通してくれ! 何が…………あぁ!?」
人垣を掻き分けて最前列に出たウェインが、驚きと困惑の声を上げた。
年経て艶めく木材でできた、両開きの大きな玄関扉。
そこには、ワインの樽で何杯分かというほどに大量の、泥みたいに水っぽい糞がぶちまけられていた。
* * *
被害は玄関のみならず、『岩トカゲ館』の建物の五箇所。
うち一箇所は窓を割って建物内に投げ込まれていた。浸水して掃除中の一階客室だったので、家財がダメになったわけではないのが不幸中の幸いだった。
やがて衛兵隊が到着し、既に概ね好奇心を満足させた野次馬どもの人垣も、まばらで遠いものとなる。
衛兵たちが現場検証をする中、ウェインは溜息をつく。
「ばあちゃんの変死体が見つかったわけじゃなくて良かったぜ」
彼のジョークは黒いだけでなく、少し苦かった。
「でも、これは一体……」
「偶然じゃねえよな」
「まさか。空からクソが降ってきて戸口にぶちまけられる偶然があってたまるか」
ティムもウェインも、大量の汚物を睨んでいた。
そう、偶然ではない。何者かの意図。おそらくは悪しき作為。
ぶちまけられたものは汚くて臭いだけだが、それを実行した何者かの悪意を思えば、苦い顔にもなるというものだ。
「そ、それでっ! 何やってるんですかビオラさんっ!」
「魔法の痕跡の鑑定です」
なお、ビオラは現場を調べる衛兵隊に混じって、汚物を採取してはフラスコに突っ込んでいた。
「こんなん、わざわざ用意しなきゃ手に入らんだろ。セトゥレウはほとんどの都市で下水が完備されてるから」
「ええ! そしてこれを普通の容器などで持ってくるとは考えられません。
絶対になんらかの魔法を使っています。それを割り出せれば!」
「よくこんなのいじれますね……」
「素手で触るわけじゃありませんし。
魔物の生態を調べるためにフンをいじることもありますから慣れっこですよ」
「なんてたくましい王女様」
ほぼ全属性の魔法に一流の適性を持つビオラは≪消臭≫の魔法くらい使えるはずだが、手掛かりを損なわぬためか、彼女はニオイの発生源をそのままにして調べていた。
その状況で、まるで動じること無くビオラは作業をする。一流冒険者たる彼女は、戦闘力以外でも間違い無く傑物だった。
ビオラがフラスコの中に少しずつ『サンプル』を入れていくと、うち一本の中に入っていた透明な液体が、赤黒く色を変えた。
「71番試薬に反応……
家畜用飼料の成長促進剤として使われる魔法薬の成分が入っています」
「するとこりゃ堆肥用の、家畜のフンか。
ま、クソを調達したいならそれが一番手軽だろうな」
「もっと色んな試薬に突っ込んでみましょう。使われている魔法薬に地域性が見えれば調達元が割れるかも知れません」
「……こうまでしてクソを調べるとは、ぶちまけた奴も考えてねえだろうな」
ウェインは呆れるやら感心するやらだった。
ルシェラも同じ気持ちだ。
「それから……試薬を使うまでもなかったですね。運搬手段が分かりました」
ビオラがピンセットで何かを拾い上げた。
汚物に塗れていたが、それは硬質で透き通った、何かの破片だった。
「割れた薬玉か?」
薬玉とは、中にポーションを詰めて投げつけることができる爆弾のようなものだ。
何かにぶつかると割れて、中身が飛散する。本来詰めるべきポーション類なら、煙立つように霧散する。
毒薬を敵中に投じたり、味方をサポートしたり、用途は色々だ。
粘性があっても、だいたい液状のものならば、薬玉に詰め込んで運び、爆発させることくらいできるだろう。
「クソ爆弾の欠片か」
「おそらくそうですね」
手口は分かった。
しかし、より重要な突き止めるべき問題は『誰が』『何のために』という事だった。







