≪1-4≫ 真夜中の内緒話
『岩トカゲ館』は廃業した温泉旅館。部屋だけは沢山あるので、普段、“黄金の兜”の面々は一人一部屋を使っている。
しかし、浸水被害に遭った人々を収容するため、今は部屋を空ける必要があった。
そこで私物の少ないティムがウェインの部屋に一時的に引っ越し、同じく着替えくらいしか部屋に置いていなかったルシェラはビオラの部屋でご厄介になることになった。
台所の掃除と修復に夜までかかり、ようやくルシェラは荷物をまとめ、ビオラの部屋の扉をノックする。
「誰です?」
「わたしです」
「あらルシェラちゃん。入っていいですよー」
ルシェラが扉を開けると、ぬるい夜風が吹き抜ける。
ビオラは足を組んで座っていた。
一般的に言って『だらしない座り方』なのだが、身体の軸がしっかりして背筋が伸びているので、これでも育ちの良さと気品が感じられる。
体つきは女性らしい丸みを感じさせつつも、幾度も熱して打ち鍛えた鋼の剣のように、栄養の摂取と消費を激しく繰り返した密度が見て取れる。よく見ると腹筋が割れているようにも思えた。
しかして無骨とも言い難い。剥き出しの太ももは柔らかな弾力を感じさせる。うなじから肩、そして腕から指先までのラインは一分の隙も無い繊細なシルエット。うっすらと浮かんだ汗が肌を艶めかしく輝かせていた。
身につけているのは冒険者らしい質実剛健な衣類……いや、防具と呼ぶべきか。純白の短いスパッツみたいな下着は、一見シンプルだがその実、防御力もお値段も油断ならない逸品。一流冒険者の急所を守る下着が尋常の品であるはずもないのだ。
胸部を覆う白布も同じく。なお、そこに丸みはあれど、膨らみとまで表現できるかは疑問だ。
要するにビオラは下着姿だった。
「…………失礼しました!!」
硬直していたルシェラは我に返るなり、踵を返して扉を閉めた。
「はっ、ははは、入っていいって言ったじゃないですか!」
「言いましたけど?」
「あ、ちょっ」
閉めたはずの扉がビオラによって開かれ、抵抗の暇も無くルシェラは室内に引っ張り込まれる。
見間違いではない。確かにビオラは下着姿だ。ちなみに何故か眼鏡は掛けていた。
「なんで下着……」
「だーって館内冷却が壊れちゃったんですもん。
まともに服着てたら朝までに蒸し焼きになりますよ」
ビオラが言う通りで、浸水の影響で『岩トカゲ館』の館内空調は壊れてしまっていた。修理できる技術者は、より優先度が高いインフラ設備の復旧に忙殺されており、まだこんなところまで手が回らない。
セトゥレウの夏は蒸し暑い。日が沈んでもまだ暑い。
部屋の隅にはタライがあって、ビオラが魔法で作り出したらしい氷の塊が置いてあった。これだけでも暑さは若干マシになるが、しかしそれでも暑い。
ルシェラは熱や炎に強いから、炎天下でも『ちょっと不快』程度で済むのだが、いかに超人的身体能力を持つ一流冒険者であろうと普通の人間は暑さで消耗するのだ。
そう、だから、薄着になって暑さをしのぐというのは分かる。
問題は別の部分だった。
「……しかもモニカさんまで」
部屋にはビオラと一緒にモニカも居て、そして当然のように下着姿だった。
モニカは言ってしまえば幼児体型で、薄着になると年齢以上に幼く見える。
腕も足もほっそりして、ビオラと並んだ姿を見比べると貧弱で儚い印象だ。おそらくそれは、彼女のこれまでの生活の結果だろう。まともに生きる気になれず、まともに運動をしたりまともに物を食うことが碌に無かったそうだから。
それでも人の悪意を見通す理知の眼光は鋭く、薄っぺらな胸を張って己を主張している。
ビオラは冒険の邪魔にならないよう、美しい金髪を短く整えているが、モニカの長い金髪はまるで後光のように輝かしかった。
モニカが着ているのは肩周りを大きく露出して肩紐で吊り下げている、スリップというワンピース状の下着だ。薄手のそれは、夜明けの空のようにうっすらと紫色で、星を撒いたように輝いていた。
……下にも何か履いているはずだがギリギリ見えないせいで、意図せずいかがわしさを漂わせていた。
「意外?
あの『屋敷牢』の中、裸で歩き回ってたこともあるのよ私。すぐ飽きたけど。
だーれも注意できないんだから笑えたわ。
お行儀とか礼儀作法なんて、立場のある人が勝手にやってればいいの。私には要らないものだわ」
「いや、あの、そういう問題じゃなくて」
憎まれ口めいたモニカの説明も、ルシェラにしてみれば的を外している。
「わたしの前でそんな格好してていいんですか、っていう」
「いいじゃないですか女の子同士なんだし」
「わたしが元々なんなのか知ってますよね!?」
その叫びは、ほとんど悲鳴だった。
数奇な成り行きで美少女をやっているが、元はと言えばルシェラは成人男性。
そして、ルシェラが知る常識によれば、女性が裸やそれに近い格好を男性に見られるのは恥じらうべき事だったはずだ。
まさか忘れているのではないかと思ってルシェラは指摘したが、ビオラはあっけらかんとした様子だった。
「今は女の子じゃないですか」
「う、うぐぐ……」
ビオラの言葉は別に間違っていないのに、反論として何かが致命的にズレている気がした。
「そこなのよね。元が大人の、しかも男だって聞いてびっくりしたわ。
全然そんな雰囲気無かったから」
「そうそう。ルシェラちゃんの雰囲気は性別すら感じさせない『子ども』なんですよ。
これ推測で言いますけどルシェラちゃんは元からそうだったんじゃないです? ただ外見的に大人で男だったから誤魔化せてただけで」
よりによってモニカまで、事情を知った上で平然としていたらしい。
ルシェラは流石にちょっと人としての尊厳を傷付けられたような気がした。
「カファルさんの『娘』になるって決めたんでしょ? そしたら女の子に慣れなきゃ」
「うー……」
「と言うわけで仲間におなりー。見てるだけで暑苦しい」
「あわわわわ」
夏服なりにしっかり着込んでいたルシェラは、瞬く間に服を剥ぎ取られた。
ちなみにルシェラはタンクトップにドロワーズという姿だった。自分の着ているものの事ながら、野暮ったいダサ可愛さが謎の危険性を感じさせた。
ビオラはベッドに投げ出していた腰ベルト用のポーチを手に取ると、手品のようにその中から、冷えた飲み物の瓶を三本ほど取り出した。キンキンに冷えた様子で、瓶にはすぐさま結露の水滴が付いた。
収納魔法で亜空間に入れた物品は、大抵の場合、状態が保たれる。
スープは熱いまま運べるし、氷は溶けぬまま運べる。
こんな風に飲み物を保冷することだって可能だ。だいぶ贅沢な使い道だが。
ビオラはそれをミスリル銀のコップ(言うまでもなく検毒食器だ)に自ら注いで、二人に渡す。
「カンパーイ」
コップを鳴らして、ルシェラは中身を飲み干した。
いかにルシェラが暑さに強い身体とは言え、蒸し暑く不快な夜に、冷たいドリンクは天の恵みだ。スッキリと甘い、知らない果物の味がした。
「そう言えば……モニカさんはここに住むって事で大丈夫なんですか?」
「そうそう。言おうと思ってたのに話しそびれてましたね。
……クグトフルムの街領主であるキーリング男爵は『客人として遇する』と提案してくださったんですがお断りしました」
「信用できない、ってことですか」
「ええ。男爵は詰まるところ公爵の家臣ですから何か言われたら逆らえません。
そして私はモニカのことでは家を信用してません」
ビオラの言葉は静かで、激しくはないけれど、ドラゴンの怪力でも動かないだろうと思えるほどに重かった。
モニカの悲惨な人生は、母方であるフォスター公爵家から見捨てられたためでもある。家名に泥を塗ってくれた不義の子なんぞどうなっても構わない……と彼らが考えるのは分かるが、もちろんモニカ自身に罪は無い。
ビオラは公爵家との関係を比較的良好な状態に保っている様子だが、それはそれと考えているようだ。
「この件に関してはワガママを通しますよ。国を救った報酬としては安いもんでしょう」
アンガス侯爵軍を退けた戦いの件は、既に国中に知られている。そこで『フランチェスカ』が何をしたのかという事も。そんなだから、もし今、フォスター公爵家と『フランチェスカ』が対立すれば内容が何であれ世間は『フランチェスカ』の側について公爵家を非難する。
きっとビオラはそこまで計算しているのだろう。余裕の笑みを浮かべていた。
「……りがと…………」
モニカが呟いた感謝の言葉は、まだ幸せの重さに慣れていないかのように、潰れていた。
「てなわけで! ささやかながら今夜はモニカの歓迎会です。
真夜中までお菓子を摘まみながらゲームでもやりましょう。私はお酒も飲んじゃうぞ」
宿泊客のためにゲームを置く宿は多い。
この『岩トカゲ館』にも、かつて営業していた頃の遺産が存在し、浸水の難を逃れた箱たちは今、ビオラの部屋の隅に積み上げられていた。
ビオラはそれを適当に持ってきてベッドの上に並べる。
「どれからやりたい?」
「なんでもいいわ。全部はじめてだから」
「じゃあルシェラちゃんに決めてもらいましょうか」
「えっと……だったら『金貨の街』とか」
ひとまずルシェラは自分が知っているゲームを選ぶ。
四角いマップをぐるぐる回り、不動産王を目指す双六ゲームだ。
ビオラは眼鏡を光らせた。
「よろしい。二人とも素寒貧にひん剥いて差し上げますから覚悟なさい」
「既に裸の一歩手前なんですけどね」
「じゃあ負けたら罰ゲームとして最後の一歩を踏み出すってことで」
「それは力尽くでも止めますからね!?」
この後の出来事を端的に述べるのであれば、ダイスにことごとく嫌われたビオラは最下位となり、酒の勢いで勝手に脱いだ。眼鏡だけはそのままだった。