≪9≫ 異常成長
昼も近くなった頃、ようやく起き出したゲメルがギルド支部に顔を出すと、丁度受付を担当していた女性職員はぎょっとした。
すぐにいつもの営業スマイルを取り繕ったが、その仕草はゲメルを苛立たせるに充分だった。
「よーう」
「お、おはようございます、ゲメルさん」
「指名依頼は?」
ゲメルは最近、二日から三日に一度はギルド支部を訪れ、同じ質問をしていた。
「来ておりません……」
「…………はーあ。
やる気あんのかよテメ、隠してんじゃねえだろうな」
威嚇するニワトリみたいな挙動でゲメルが顔を近づけると、若い女性職員は俯いてびくりと震える。
「前は指名依頼がどんどん来たんだぞ。
お前ら、さてはウチへの依頼を止めてやがるな?」
特定の冒険者を指定して発注される依頼は、冒険者の等級に応じた固定報酬の割合が大きくなるのだ。
中堅から頭一つ抜け出したくらいのランクである“七ツ目賽”にとって、指名依頼はかなり美味しい。ハズレがあるかも知れない一般の討伐依頼などやっていられないから指名依頼を待つ、という方針にゲメルは切り替えたのだ。
ゲメルは、仕事があるのが当然というつもりでここへ来ている。
ところが、その依頼が待てど暮らせど来なかった。これまでは気に食わない依頼を断れるほど指名依頼があったのに。
これはギルド側の先日の腹いせではないか、とゲメルが短絡的に考えたのは当然の運びだった。
「あの、それは……指名依頼の獲得にギルドは関知しておりません。
おそらく以前はマネージャーさんが依頼人の方と個別に交渉し、ギルドを介して依頼するようお願いしていたものかと……」
「んだと?」
受付嬢は震えながら抗弁する。
また、思い出したくもない奴の存在を持ち出して。
――またあいつかよ、くそ、気分悪ぃ……
ゲメルは『もったいないことをした』とか『悪い事をした』とは一欠片も考えなかった。
ただ、見下しきっていた無能者の■■■■■が自分の存在を支えていたという事実は、自分の身体の一部が無能な寄生虫野郎でできているかのように思われて大変不愉快だった。
「あの、依頼は」
「もういい!」
びちゃっ、とゲメルは水っぽい舌打ちをして、足音も荒くギルド支部を出て行った。
* * *
「ゲメル、戻ったか!」
「あ? どうした?」
憂さ晴らし用の酒を適当に買い込んでパーティー拠点の貸家に戻って来るなり、三人のパーティーメンバーが揃って玄関前まで飛び出して出迎えた。
全員が、腕利きの冒険者としてありえざることに、新米冒険者が初めて魔物と戦うときのような切羽詰まった顔をしていた。
「ちょ……見ろよこれ」
家の中に引きずり込まれたゲメルは、テーブルの上にぽつんと置かれた銀色のプレートを示される。
「あの野郎の冒険者証?」
首をかしげながらそれを持ち上げたゲメルは、すぐに他のメンバーと同じような顔をすることになった。
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名前 ■■■■■
Lv3
HP 621/621
MP 1090/1090
ST 559/559
膂力 17
魔力 43
敏捷 15
器用 12
体力 39
抵抗 78
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「なん…………だ、こりゃあ」
名前部分が塗りつぶされた不気味な冒険者証に、絶対にあり得ないはずの数字の羅列を見て、ゲメルは血の気が引いた。
「あいつの荷物、始末しようと思って漁ってたらこんなことになってたんだ」
「ゲメル、お前今ステータスいくつだ?」
問われてゲメルは自分の冒険者証を見る。
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名前 ゲメル
Lv22
HP 139/139
MP 5/5
ST 112/112
膂力 24
魔力 3
敏捷 14
器用 14
体力 19
抵抗 16
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10が普通。ただし魔力は除く。
20が一流、あるいは一芸。
30が超人、あるいは英雄傑物。
人は、その成長速度に才能の差こそあれど、訓練を積み戦うほどに鍛えられていく。
そしてやがては肉体の限界を超えるのだ。
能力値的には30でさえ肉体の物理的限界を超えているという話だった。それはもはや生体という魔法。
だが、冒険者証に表示された■■■■■の能力値はそれさえ軽く越えた。
HPやMPはもっと極端だ。国に数人というレベルの英雄でさえ200やそこら。300すら普通あり得ない。
ゲメルも最近は立て続けに良い仕事をこなせていたので、肉体は良い具合に仕上がっている。ハッキリ言って、これは自慢できる数字だ。ステータスの見方を分かっている依頼人ならこれだけで感服し、ゲメルの力を信頼する。
だが、確かに部分的には勝っていると言えど、■■■■■に比べればゲメルのステータスのなんと卑小なことか。
「おかしいだろ、こいつの魔力とMP……」
「一流の術師が何人分だ?」
「体力系もおかしい」
「ドラゴンに踏まれてもケロッとしてそう」
「つーかなんなんだよ抵抗78って」
「どんなステータスでもあり得ない数字だろ。魔王に呪われても死なないぞ、こんなの」
冒険者証という見知った物体に、あり得ない数字が羅列されているという気味の悪さ。
皆、縫いとめられたように銀色のプレートを見ていた。
「や、やっぱり壊れたんだろ、これ。
人がここまで強くなれるわけねえ。ましてあの寄生虫野郎じゃあな」
「ゲメル、お前が『冒険者証は壊れない』って言ったんだぞ」
「絶対はねえだろ!? 普通は壊れないって話だよ!」
ゲメルは自分の声が引き攣っているのが分かった。
「なあ、もう捨てようぜ、これ……」
やがて、誰からともなくそう言った。
「どうやって?
見つかったらやべーぞ。これ、簡単にゃ割れねえんだから」
ゲメルは冷静に、努めて冷静に、慎重に判断した。
本音を言うならゲメルもこんな不気味な物体を手元に残しておきたくない。しかし、厄介な物は捨て方をちゃんと考えないとかえって余計な厄介事を招くのだ。
「放っておけばいいだろ。適当にしまって、な」
「ああ、バレやしねえよ」
皆、頷く。
しかし誰の顔にも自信や余裕は見て取れなかった。
「もしこれが壊れてなかったら……?」
誰かが言った。言ったのはゲメルだったかも知れない。
それはあり得ない事の筈なのに、まるで見えない重石に喉を潰されているかのように、誰も否定の言葉を吐けなかった。