≪1-3≫ 外食
セトゥレウは水の国。
竜命錫で自然の力を御していても、水害が多い。
もっとも、だからこそ治水に力を入れており、水害によって致命的被害を受けないよう街の構造なども考慮されているのだ。
そして、この地に生きる人々もまた、逞しい。
街に押し寄せた濁流が市場を根こそぎ流してしまったわけだが、広場には既に新しいテントが並んでいた。
品揃えは少しばかり平時と異なる。クグトフルムの街が被害を受けたと聞いて、耳聡い商人たちが乗り込んできたのだ。
街の片付けに使うであろう物……スコップや手押し車。
流されたであろう家財の代替品……食器や家具や、生活用のマジックアイテムまで。
だが最も多い商品は保存食や、その場で調理された料理だ。
台所を流された者や避難中の者が、当座、腹を満たすために買い求めていた。
急ごしらえの露店と、そこを訪れる人々によって、市場は普段よりもゴミゴミとした雰囲気の猥雑な活気に満ちていた。
“黄金の兜”の面々とモニカは、遅めの昼食を取るため、その人混みに分け入っていった。
「“黄金の兜”の連中と……おお、あんたは!」
「おい見ろよ、英雄のお出ましだ」
ルシェラの姿を見るなり、居合わせた人々は沸き返った。
そしてルシェラは、やっぱり留守番をして何か買ってきてもらうべきだったかも知れないと、少し後悔した。
どっかの詩人が被災者の慰安とか言って、山でルシェラに助けられたことだの、此度の戦いの顛末だの、何もかもを八割増しくらいに誇張して詩語りして回っているらしい。
それは今、この街の誰もが聞きたい話だ。
ルシェラは今、クグトフルムの街で急速に知名度を高めていた。
「きゃーっ! 何この子可愛い!」
「ちょ、押すな押すな」
「あんたは恩人だ、握手してくれ!」
良い評判が広がっているのだから、別にそれは悪いことじゃないのだけれど、問題はどこへ行っても人が寄ってくるので行動に支障が出るという事。
こんなの、ルシェラの今までの人生には経験が無い出来事だ。相手が善意と賞賛でやってくるのだからかえって手に負えない。街中に顔を知られているウェインに人のあしらい方を学ぶべきかも知れない。
「オラ! どいたどいた! 俺たちゃメシ食いに来てるんだ、道空けてくれ!」
押し寄せる人垣をウェインが一喝し、押しとどめた。
そして彼は先頭に立ち、人の流れを掻き分けるように突き進んでいく。
「うちのメシならいくらでも奢るぞ? 持ってけ持ってけ!」
「うっせえ、貰っとけ。お前も生活あんだろ」
魔動竈を唸らせる、気前の良い親父に金を押しつけ、ようやく一行は昼飯を手に入れた。
* * *
料理の屋台や露店が並ぶ辺りには、食事をするための椅子やテーブルも置かれている。
昼飯時を過ぎて人でも減ったところで、幸いにも五人は椅子に座ることができた。
「あら、それじゃカファルさんはお引っ越しを?」
魔土器(※地の元素魔法で土を固めて作った、焼いていない土器。使い捨ての食器などに使われ、割れば土に還る)の丼とフォークを使い、洗練された手つきで麺を啜りつつ、ビオラが言った。
結構な勢いで食べているのに全く汁が飛ばないのは手品か曲芸か。
「はい。今後、クグセ山は物騒になりそうだし、わたしも街に出ることが多くなると思いますから。
街の人が受け容れてくれるなら、クグトフルムの近くに巣の場所を変えた方がいいんじゃないかなって」
ルシェラはスパイスが利いた魚肉団子のスープに、パンを浸して食べながら答えた。
今日はカファルが居ない。
分身体も引っ込めて、山の中で引っ越し先を見繕っているのだ。
カファルはもともと、クグセ山の南側八合目辺りに巣を作っていた。
だが、クグセ山の北側は、これからセトゥレウの軍勢によって防衛陣地化されていく。有事の際はもちろんそこが戦場になるのだから、ちょっとでも安全な場所に巣を移したいところだ。
戦いに手を貸すとしても、カファルなら翼を広げてひとっ飛びで山を越えられるので、わざわざ陣地近くに巣を作る必要は無い。
――戦争が始まるなら、結果的にちょうどいいってことになるかも知れない。
戦闘に巻き込まれないように、という意図での引っ越しだったが、これからセトゥレウが積極的に戦争に関わるつもりなら一石二鳥になりそうだ。
協力はするが、あまりアテにされるのも困る。便利な道具として使われるのは、お互いのためにならないだろう。
とは言え一般市民を徒に怖がらせるわけにもいかないから、街の近くには住めないだろうと考えていたのだが……
先日の戦いでは偶然にも、カファルがわかりやすく街を守る形になってしまった。
今、街の近くに移り住むなら、むしろ大歓迎されることだろう。
「問題は近すぎると問題起こりそうってことなんです。
ママの巣の近く、湧き水も温泉も無かったんですよ。『火の気が強すぎるから水が逃げちゃうんだ』ってママは言ってましたけど……
街の近くに引っ越して、温泉を止めちゃったら一大事なので、巣にしても問題無さそうな場所を調べてるんです」
「なーるほど。
でもカファルさんの協力が得られるなら街側だって今までより山の奥に採湯施設を作れるんじゃないですか?
念のためを考える上でも準備しておくのは悪くないと思いますよ」
「あ……そっか、確かにそうだ」
言われてみれば、だ。
昔、クグトフルムの街では、もっと山の奥にも採湯施設を作って温泉を引いていた。
それができなくなって、街の近くで湧いている湯を大事に使っているのは、山にカファルが住み着いて『変異体』も増えてしまったからだ。
だが街を取り巻く状況は前提から変化している。『変異体』は(今後また増える予定だが)減っているし、カファルもセトゥレウ側に協力的な姿勢を見せている。
となれば街側としても、より効果的な資源利用を考える。
「どうする? なんだったら俺から宿組合へ話通すぞ」
「そう……ですね、お願いします」
「よっしゃ、任せとけ」
ルシェラはウェインの提案に甘えることにした。
いずれにせよ、街の近くへ引っ越すなら、関係者と話し合う必要はあるだろう。
カファルが軽率に人前へ出て気軽く交渉に応じれば、威厳を損なうかも知れない。ならば、そこで人との間を取り持つのはルシェラの役目だ。
「したら善は急げだ。食い終わったら行ってくるわ」
「そうですね……視線の数がやばいですし、早く食べちゃいましょう」
未だに周囲には不自然な人溜まりができていた。
その辺の店で焼き菓子だのドリンクを買って、お喋りだのしながらたむろする人々が、不自然に多い。
視線と囁き声が、くすぐったい。見せ物小屋に捕まった魔物はこんな気分なのかも知れない。
「ルシェラちゃん。宿で待っててもよかったのについて来てくれたのはモニカのためですよね?」
ビオラがこそっと囁いた。
モニカは焼き魚のほぐし身を甘辛ダレに和えて米に乗せたものを食べていた。やや仏頂面で、黙々と……もしかしたら、夢中で。
「事情まで知ってる人はそんなに居ませんけどルシェラちゃんが居なきゃ『私の妹』の方が注目されちゃったでしょうね」
「まあ、そこまで考えてたわけじゃないですけど、何かあるかもと思ったし……」
モニカは眼鏡を誂えていた。ビオラの掛けているビン底眼鏡みたいには分厚くない、金色フレームの飴細工めいた美しい眼鏡を。
デザインは違うがビオラのものと同じ『群衆の眼鏡』だろう。見る者の認識を惑わし、別人の顔に見えるという効果があるマジックアイテムだ。
ルシェラは魔法への抵抗力が異常に高いためか、全く効果を感じないが、一般市民には気付かれないだろう。
ビオラが元第一王女フランチェスカだと知っている者は、この街にもそう多くないらしい。
とは言え、山の北側での大騒ぎに姉妹揃って関わった直後だ。噂が増えれば何かに勘付く者も出る。
モニカから目を離すのはなんとなく危ないような気がした。モニカが人目を集めるほどに、何者かの悪意が降りかかる危険性も高まるだろうから。
まあ自分が一緒ならば大丈夫だろうとルシェラは思っていた。実際それで、自分が人目を集めてモニカが目立たなくなるようなら、結果オーライだ。
「お礼にニンジンあげます」
「…………もしかしてニンジン嫌いです?」
「はい」
魚介出汁のスープで煮込まれたニンジンが、ルシェラの皿に投下された。