≪1-2≫ 戦の気配
クグセ山北での戦いから三日。
ルシェラは街の片付けの手伝いで謀殺されていた。もちろんティムやウェインもだ。片付けを依頼されたわけでもないし、何かの義務があるわけでもないのだけれど、彼らはもちろんじっとしていられない。
クグトフルムの街は濁流に浸かった。
流された建物はほぼ無かったが、浸水被害を受けた建物の一階部分はメチャクチャになった。二階で生活できるならまだいいのだが、寝る場所さえ失った者もそれなりの数、存在する。
そこで街の宿組合は、無事な部屋を避難先として提供し、被災者を一時的に泊めることとした。
“黄金の兜”が拠点としている元温泉旅館『岩トカゲ館』は既に廃業しているが、もちろんこれに協力。浸水被害を免れた二階の客室を避難所として提供した。
そのために受け入れの準備をしている時だった。
モニカを連れて街を離れていたビオラが帰ってきたのは。
装飾を排し、家紋も掲げていない高級馬車が宿の玄関前に乗り付けたかと思うと、モニカとビオラを吐き出して風のように去って行ったのだ。逆にワケアリ感をかもしているが、目立たないよう精一杯気を遣った結果らしい。
「やあどうもー。三日ぶりですね」
乾いた泥がこびりついた一階廊下で。
いつもの野暮ったくて実用的なローブを着て、ビオラはルシェラにいつもの調子で手を振って会釈した。
そんなビオラの腰に手を回して、モニカはがっちり抱きついていた。
「……あのー、これどういう状況です?」
「これ私のだから」
「離れてくれないんです」
ビオラと対照的にモニカは、お上品で高級な、しかし目立ちすぎず街に溶け込む服装だった。
暗赤色のワンピースは一見シンプルながら、よく見れば仕立てが良い……すこぶる良い。値段を考えたくない程度には良い。
その格好でモニカはビオラにしがみついていた。しっかりと、離さないように。
「おう、お帰りー」
「遅かったな」
「まあいろいろありまして」
簡易ベッドを一度に二つずつ運んでいたティムとウェインもやってきてビオラを出迎えた。
ビオラにしがみつくモニカの手に、少し力がこもる。人見知りなのかも知れない。
ビオラは、ぴしっと二本の指を立てた。
「お土産話は二つ。私らのことと国のこと。
……まあ緊急度が高い方から話しましょうか。
セトゥレウはマルトガルズに宣戦布告することになるでしょうね」
ビオラの物言いは単刀直入。
さしもの一流冒険者と言えど、これには息を呑んだ。
「まだ内々の話なんですが……クグセ山北側でアンガス侯爵軍を破ったその日のうちにグファーレ連合から連絡があったそうなんです。
『共にマルトガルズと戦おう。これを打ち破った暁には現アンガス侯爵領をセトゥレウに割譲する』と」
「それは……」
三者三様に絶句する。
ルシェラは頭に世界地図を思い浮かべていた。
マルトガルズは巨大だ。クグセ山を挟んでセトゥレウと隣接しているアンガス侯爵領だけでも、セトゥレウと大して変わらない大きさで、人口などむしろ向こうの方が多いほどだと言う。
「なんて手が早い。そして形振り構わない」
「マジかよ、したら国土が倍近くに広がるぞ」
「セトゥレウにしてみれば破格の条件だ。
物と人の流れを握ってる命綱代と考えても、得るものが大きすぎる」
「状況が整っちゃいましたからマルトガルズから領土を切り取る未来が現実的に見えてるんです。
しかも『慧眼の渦嵐』の出力を考えれば自前で治められなくもないんですよ。もちろん地脈回路の再構築は必要ですが」
それはまさに天の配剤と言うべきなのか、あるいは悪魔の悪戯か。
マルトガルズは長引く戦いに嫌気が差し、決着を焦って最悪の手を打ったが、戦いを早く終わらせたいのはグファーレ連合も一緒だ。
今はその好機だった。そのためなら、少しばかり高い餌代を払ってもいいと思ったのかも知れない。
『えげつない』というのがルシェラの正直な感想だった。
「お偉いさん方が一番張り切るのは領土を奪れる戦争なんですよねえ。しかも開戦事由もバッチリですし今なら国民の支持も得られます。つまり……」
「始まるよなあ」
「もちろんルシェラちゃんも無関係じゃないですよ」
「…………ですよねー」
「グファーレがここまで早く動いたのは『クグセ山のドラゴン』を利用するためでしょう。
今やカファルさんとルシェラちゃんを味方に付けて不落の城塞となったクグセ山からセトゥレウが圧力を掛けるなら戦局の天秤はグファーレに傾きます。
釣り合った天秤は羽一枚載せるだけで傾いちゃいますからね」
ルシェラは、煤煙が胸に籠もっているような気分だった。
まず短期的に言うなら、もはやマルトガルズがクグセ山を攻めることは不可能だろう。そもそもジュリアンの作戦はセトゥレウから竜命錫を奪うことが必須であったし、アンガス侯爵軍は東の対グファーレ戦線に派遣されている者らを除き壊滅した。他所の領主が手元の戦力をわざわざこちらに差し向けてくる状況とも考えがたい。
山での生活を守る、という目的そのものは、ひとまず達成されたと考えていい段階だ。どうしても戦って安全を勝ち取らなければいけない状態とは言い難い。
長期的に見ても……つまり、ドラゴンの時間の尺度で考えるとしても、戦争に関わることはリスクの方が大きかろう。
人の戦いに与して得られるのは、長くともたかが今後数十年の利益だろう。人の世は人の尺度で動いている。そして人の方がドラゴンより先に死ぬのだから、状況は絶対に変化する。
そんな中で根強く残るのは、恩よりも恨みであると、ルシェラは心得ていた。国が消えてさえ民の中に残ることがある。あるいは人の世代が変わろうと受け継がれていく。
縄張りを侵されたドラゴンが野生の暴力で報復するのは当然のこと。それはまあ、世の中の結構多くの人が納得してくれると思う。だがその先はどうか。人臭く、政治的に敵味方を決めるドラゴンは、人の目にどう映るのか。
セトゥレウがクグセ山の北側を手に入れるなら、そこがマルトガルズの領土であるよりは安心できる。しかしそれさえも、ドラゴンの寿命からすれば瞬きの間の出来事かも知れないのだ。セトゥレウもマルトガルズも無くなった後、恨みだけが残るという未来も有り得る。
確定的な未来予想ではなく、あくまでもこれは、危惧だ。結果的に戦争に加担することが、利益と災厄のどちらとなるかは……まだ分からない。
だが選択の余地は無い。グファーレ連合は否応なくルシェラとカファルを戦いに巻き込もうとしており、おそらくセトゥレウは、止まらない。
「利用……されたくはないんですけど、そこは本質じゃない。わたしはママと暮らせる場所を守りたいんです。
だからママに付いていきます。もし戦いに巻き込まれるなら、人ではなくドラゴンとして関わりたい。
人と共存することはあっても、そっちの善悪や事情には与せず、ただ巣と縄張りを守るために……」
心情的にはセトゥレウに味方したいし、目下それが比較的マシな選択である事は動かないだろう。
しかし、やり方は当初の想定より慎重に考えなければならない……
「ねえ、いつまでこんな所で立ったまま話してる気なの?」
相変わらずビオラにしがみついているモニカが、不満げに口を挟んだ。
ワガママのようでも、皮肉めいた叱責のようでもあった。
「……皆さんはお昼ご飯まだだったりします?
そしたら何か食べに行きましょう。
流された市場も復活してましたからね」
まとまらない話を、ビオラがまとめて引き取った。







