≪1-1≫ 日々を生きる者
クグトフルムは、名医が多い。
古くよりクグトフルムは湯治場として栄えた。
魔法でも簡単には治らぬような怪我をした者だの、身体の弱い者が、療養のために訪れるのだ。
そして患者があるところ、医者あり。
クグセ山にレッドドラゴンが住み着いてからは、さらに、竜気を宿した強力な薬草が採れるようになった。
これによってクグトフルムの医術は地位を盤石とする。
死の淵にある者も、このクグトフルムであれば永らえよう。
「そうか……君があの……」
「信じられますか?」
「いや、そりゃ……ドラゴン絡みならなんでもありでしょう」
床上浸水でグチャグチャになった一戸建ての、一階リビングにて。
ずぶ濡れになったソファを軽々担いで運び出しながらルシェラが言うと、泥水が詰まった酒瓶を片付けつつ、チャールズ・ライナー医師は力無く苦笑した。
自殺的な不摂生によって痩せこけたチャールズは、軋む身体をいたわりつつも、今はせっせと自宅の片付けをしていた。
そんな彼にルシェラは、一時手を止めて、謝罪する。
「なんだか本当に、ごめんなさい。
当事者はわたしで、あなたは患者を診ていただけの医者なのに……色々なことを背負わせてしまいました。
自分を粗末にするのが、どれだけ罪深いことなのか……それがどれだけ関わった人を傷付けることになるのか……やっと分かりました」
竜の呪いで死に瀕していたジゼルは、このクグトフルムに来て以来、チャールズに掛かっていた。
だが、彼にもジゼルを救うことはできなかった。
だからルシェラは……■■■■■は、最後の賭けに出た。クグセ山のドラゴンの卵を盗み、それを薬にするという、禁断の術に縋ろうとした。
かつての『人竜戦争』の記録……ドラゴンを『使う』手段が、古文書には数多く残されているのだ。
■■■■■は帰らず、ジゼルは死に、関わってしまったチャールズは世に倦んだ。
ルシェラはチャールズを巻き込んで、その人生を一度壊してしまったようなものだ。
だからそれを謝罪しなければと思った。
だが当のチャールズは、むしろ当惑した様子だった。
それから彼は、自嘲か苦笑か、曖昧な笑みを浮かべて目を逸らした。
「あ、いや、うん……
気が付いてないなら言うのもどうかと思ったけど……これを黙ってるのは、あんまりフェアじゃないな」
そして、小さな溜息をついた。
「好きだったんだよ、僕は。ジゼルのことが」
えっ、と言いそうになって、ルシェラはそれが声にならなかった。
やつれて白髪が増えたチャールズは実際以上に老けて見えるが、それを抜きにしてもジゼルの倍近い歳だ。甘酸っぱいロマンスの話にするには少し、ミスキャスト感もある。チャールズ自身もそう思っているのか、彼は恥じ入るかのように力無く笑っていた。
「なあ……もしよかったら教えて欲しいんだ。
君とジゼルはどういう関係だったんだ?
傍から見ていてもそれが分からなかったんだ、不思議なことに」
チャールズから真剣に問われ、ルシェラは言葉に詰まる。
自分とジゼルの間には不可分の結びつきがあった……と思っている。なにしろ命懸けで竜の巣へ向かったほどなのだから。
だがその関係性をどう表現するのが適切なのか、ルシェラにはよく分からないのが正直なところだった。
「もし君たちが恋人同士だったなら、僕はこの気持ちを諦めて決着を付けられるだろう。
もしそういう関係でないのなら、僕は素直にジゼルを想い続けることができるだろう」
「……予想外のロマンチズム」
「酷いなあ。僕は診察用のゴーレムじゃないんだからロマンくらい知ってるよ。
初恋の時にロマンチストになる権利くらい、誰にでもあると思うんだ」
チャールズは照れ笑いを隠すように、やれやれと、肩をすくめて顔を覆う。
ルシェラは言葉を探した。
彼女を語る言葉が欲しかった。
「わたしとジゼルは……今にして思えば、お互いに、余裕が無かったんです。
二人で居なければ生きられなかったから……えっと、この言い方は違うかな。
ジゼルはもう、独りで死ぬことを受け容れてて、わたしはそれを引き留めようとするばっかりで……
ジゼルを生かすことでしか、わたしは生きられなかったんです」
全てが終わってから振り返り、ようやく分かる事もある。
あまりにも必死で、足掻くことだけに必死で、それで精一杯だった日々が終わって、我が身を省みて。
あれが愛だったのか、ルシェラには自身が無いけれど。
■■■■■とジゼルは、そんな関係だった。
「そう、か」
チャールズは深く頷いた。
そしてそれ以上は何も問わなかった。
「医者は……」
「医者をね。僕はもう辞めたと思ってた」
二人の言葉が、図らずも重なった。
「でも街が雨に呑まれてね……
逃げる最中で、漂流物にやられて怪我をした人が居てさ……」
気が付いたら処置をしていたよ。
手が勝手に動くって、ああいうのを言うんだな。人は生き方を変えることなんて、簡単にはできないのかも知れない」
今日の天気の話でもするように、チャールズは片付けを続けながら、大した感慨も無さげに言った。
彼はまだ、そういう風にしか話せないのだろう。自分の変化をどのような気持ちで受け止めれば良いのか分からなくて。
「また使うなら医院の片付けもしないとな……
建物は売っちまおうと思ってたのに売れなかったんだ。これも神様の思し召し、なのかな」
「お手伝いしますよ」
「そこまで手間を掛けるわけには……」
「わたしが手伝いたいんです」
ルシェラはきっぱりと言った。
恩は返す主義だ。
「……ありがとう」
チャールズは白髪混じりの頭をボリボリと掻いた。
それから、手が泥だらけだったことに気づき、顔をしかめた。
* * *
ジゼルと■■■■■が暮らしていたアパート。
部屋は、二人暮らしにはちょっと手狭なくらい。
家賃は最低のランクではないが、高くもない。
つまりそういう場所だった。
だが、誇るべき事として、このアパートは共同浴場に温泉を引いているのだ。
住人向けの浴室は、全面タイル張りで、三人くらいが同時に使える広さ。
特にルールは無かったのだけど、配慮し合ってなるべくお互い、利用時間が被らないようにしていたのをルシェラは覚えている。
「よっ、と……」
浴室に流れ込んだ泥を集めて、タライに流し込んだものを、ルシェラは二つ重ねてひょいと担ぎ上げる。
泥は外見以上に重かったが、ルシェラはそれ以上に力強かった。
魔法で泥を乾かしてから運び出してもよかったのだけれど、その必要さえ無い。ヘタしたらタライが燃えそうなのでルシェラは力尽くで解決した。
「あれまあ、すごい力だわ。ちっちゃいのに凄いわねえ」
「『ちっちゃいのに』はないでしょう。元のわたしがどんななのか知ってるのに」
「そういう問題かしら」
エプロン姿で片付けをしている、アパートの管理人の老婆・マリーは、ルシェラの人ならざる怪力を目の当たりにして目を丸くしていた。
泥をあらかた掻き出して、浴室はかなり綺麗になった。あとは水で流してしまっても排水溝は詰まらないだろう。
濁流は病を運んでくるが、水は清めの概念にも転じる。ルシェラのタイダルブレスであればそれが可能だ。浴室を丸洗いすれば、すぐにでも使えるようになるだろう。
「本当に助かったわ。業者を呼んだりなんだりしたら、またお金掛かっちゃうもの」
「いえ、こんなのなんでもないですよ。
……ジゼルのこと、ありがとうございました」
礼を述べると、マリーは驚いた顔をした。
「お礼なんていいのよ。あたしだって、何かしたわけじゃなし」
ぱたぱたと手を振って、彼女は少し、目を伏せる。
「ワケアリの入居者は時々居たけど、あんたらみたいなのは初めてだったわね。
できることがあるんならしてやりたいとは思ってたけど、だからってねえ。あたしも精一杯だもの。
見てるしかできなくってね……
だから、あんただけでも生きてたっちゅうのは、本当にね、よかったよ」
身を捨てて他人を助けることなど普通の人にはできないし、それすら限界があるものだ。
だからどんなに優しい人も、しばしば困窮する他者を見捨てることとなる。
それは冷たさ故ではないと、ルシェラは承知していた。
ルシェラだって、己の限界を幾度も思い知るような人生だった。本当に大切なもののためなら、目の前で飢えている人を見捨てることもあるだろうと思っている。
しかし、自分にとって不要なものを選別することは、大抵の場合、快楽だ。
誰を救い、誰を見捨てるか決めるのは、支配の愉悦。外道の快楽となり得る行為だ。
人が人であるならば、堕ちてはならぬ。痛みを忘れてはならぬ。人を救えなかった時、痛みを抱ける者だけが、やがてまた誰かを救いうるのだと……ルシェラはそう、信じていた。
だから、今になってみれば、気持ちだけでありがたい。
ジゼルと一緒に居た頃は、そんな気持ちにさえ気付けない程だったけれど。
「また可愛くなって帰ってきたもんだわねえ」
「あははは……」
ルシェラはマリーのしみじみした言葉を、額面通りに受け取って苦笑した。
今のルシェラが客観的に考えて美少女である事は間違い無い。
かつての自分はどんな風に見えていたのだろうか、と考えたのは、宿に帰ってからだった。
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