≪40≫ フランチェスカ
フランチェスカ・ヴィオール・エトル・セトゥレウは、現セトゥレウ国王ラザロと元正室王妃ロレイナの間に生まれた長女である。なお、(本来あり得るべきでない例外的処置だが)既に廃位され王宮を出ていることため、正確には『フランチェスカ・ヴィオール・フォスター』を名乗るべき立場にある。
母の不貞によって政治的な立場を無くし、『妹のモニカだけではなくフランチェスカも、ラザロ王の血筋ではない』という、言う側も虚偽と分かっているであろう言いがかりにより王宮を出ることになった。
しかし彼女は公爵家の監督下に置かれた上で、『武者修行』と称して冒険者活動をすることが許されていた。
軟禁し監視下に置くべきだとか、いっそ殺すべきだと声を上げる貴族もあったが、父である王がフランチェスカを庇った結果、彼女は幾許かの自由を手にしたのだ。
その竜命錫適合率は、父である現国王ラザロをも超える99.7%。
捨てるには惜しすぎる才覚であったため、何かの時に使えはしないかと思う者は多かった。本当に戦いが切羽詰まって『最強の竜命錫使い』が必要な時とか、竜命錫使いの裏切りに対抗し竜命錫を奪う抑止力として。
だからこそ彼女は『武者修行』を許されたという面もある。
フランチェスカ、即ちビオラは、流水のように揺らめく藍色をした錫杖を天に掲げる。
滅びの雨雲が波紋の形に切り刻まれて、雨に濡れた戦場には天使の梯子が掛かった。それは誰もが戦いを忘れて息を呑み、膝を折りそうになるほどの神々しい光景だった。
「全く……そうならそうと最初から教えてくれればいいのに」
「別に隠そうとしてたわけじゃなくてな、タイミングってもんがあるだろ」
ルシェラがちょっと呆れながら言うと、セトゥレウ騎士に扮したティムがいつの間にか隣に居て、言い訳をした。
ビオラの身の上についてルシェラが聞いたのは、クグセ山防衛計画を立てる段になってのことだ。驚いたと言えば驚いたが、思い返せば納得できる部分もあったし、本人には『廃位されて冒険者になった王女よりドラゴンの養女の方が珍しくないですか?』というもっともなツッコミもされた。
「セトゥレウを守れ! 王女殿下に続けぇ――っ!!」
「「「おおおおおーっ!!」」」
ドラゴンの咆哮もかくやという鬨の声が、四方八方から立ち上り、響き合った。
防衛部隊の中核はクグセ山周辺を治めるフォスター公爵の手勢。フランチェスカは今でも『我らの王女殿下』だ。
自ら前線に立って決定打を打った彼女の姿に、騎士と兵たちは、生と死の分別すらつかぬ程に士気を高めていた。彼らは物理的に身体が動かなくなるまで、歓喜と熱狂の中に戦い、死ぬだろう。
握り潰される紙くずのように、アンガス侯爵軍の陣列が乱れる。
セトゥレウ側の兵力が突然二倍になったかのように優劣が明白となる。
目と肌で感じて分かるほどに、戦いの潮目ができていた。
「かかれ!
レッドドラゴンが戻るには時間が掛かる。竜命錫も今だけは攻撃に使えん!
相手はたった三人だ、何を恐れるか! 総員、圧殺せよ!」
竜命錫の力を失ったジュリアンが、尚も咆えた。
彼の声は騒音の濁流の中でも通るほどで、事態が切迫しても堂々としていた。
そう言えばジュリアンの父も良い声をしていたと、ルシェラは思い出した。父譲りの部分もあり、戦いを指揮する者としての教育の賜物でもあるのだろう。
だが、マルトガルズの騎士たちは、虚脱したように立ち尽くしていた。
「そうすりゃ勝つかも知れねえが……俺は多分死ぬなあ」
誰かがぼそりと呟いた。
それは比較的小さな声だったが、鐘の音みたいに響き渡った。
ジュリアンはあからさまに面食らっていた。
「おい、貴様ら! 主の命令だぞ!
私の言うとおりにすれば勝てるのだ! 何故それが分からん!!」
「侯爵様をお守りせよ!」
「我に続けぇっ!」
癇癪じみたジュリアンの命令に、数人の若い騎士が応じた。
血走った狂信の目をして、己の命も省みずルシェラ目がけて突進してくる。
ルシェラが地に向けて手をかざすと、土が赤く蕩けてせり上がった。
伸び上がった溶岩は、小気味良い音と蒸気を立て、渦巻く水によって急冷却される。
それはシュレイに渡されたものと同じ溶岩石の剣だ。
「げはっ!」
「ぎゃっ!」
稲妻の如く踏み込み、岩塊としか言いようがない身の丈を越えるほどの剣を、ルシェラは一閃。
鎧を砕く音がして、たかが数人の騎士たちはまとめて吹き飛ばされた。
そう、動いたのは数人だけだ。
残りの騎士たちは重く疲労したような様子で、ずっと、立ち尽くしていた。
ルシェラに襲いかかる者は、もう居なかった。
「我々はまだ負けていない!
私はまだ負けていない!
これは所詮、一時的な劣勢だ!
私に従え! 破滅するつもりか! 敗れて生き延びれば、貴様らは断頭台送りだぞ!?」
尻尾に火を付けられた犬のようにジュリアンはがなり立てた。
それでも騎士たちは動かなかった。
敗残の先にあるものが処刑台だけだとしても、彼らはもはや戦うことを放棄していた。
糸を切られた操り人形が、床に倒れて二度と動かないかのように。
ルシェラが歩みを進めると、騎士たちは引き波のように退いた。
手に取るようにハッキリ、彼らの恐怖が見えた。
うんざりと、呆れたように、ジュリアンの方を見やる者もあった。
『こんな奴のために死にたくない』という彼らの気持ちが、手に取るように見えた。
震える手でジュリアンは、腰の剣に手を掛けた。
震えて、抜けなかった。
「こっ、こっ、こんな時はっ、どうすればいいんだっ!?
どうしてぼくに教えてくれなかったんだ、父上ぇーっ!!」
長大な溶岩石の剣を肩に溜め、ルシェラの踏み込みは一歩。
そして、真っ赤な花が咲いた。この戦場に、既に何百と存在するものが、一つ増えた。
他の全ての花と同じ、比較したところで大きくも小さくも尊くも卑しくもない、命一つ分の、血の花が。
「地獄でパパに聞いてきなさい」
「ごぼっ……」
大雑把に剣の形をした巨岩は、ジュリアンの身に纏う鎧と、その肉体をまとめて貫いていた。
形を保っていたはずの溶岩石の剣が、再び赤熱。
剣は蕩け、燃え上がり、内と外から始原の炎に灼かれたジュリアンの肉体は瞬く間に灰と化した。







