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≪8≫ 教習

 それから、さらに数日。


 最初、カファルはルシェラが出歩くことを慎重に牽制しており、巣から出ようとするだけで低く唸りながら押し戻していたのだが、自分が狩りで巣を留守にしている最中にルシェラがじっとしていると分かると、逆に自分が居るときはルシェラが出歩くことを少しだけ許すようになった。


 ある日、カファルは巣から一歩出たところでルシェラを呼んだ。

 ルシェラが首をかしげつつついて行くと、カファルは藪を踏み潰し、木々を掻き分け進んでいく。


 そうして、大して歩かないうちに一人と一匹は美しい川の畔に辿り着いた。


 クグセ山は湧き水の多い山だ。

 先日のような大雨はさすがに珍しいとしても、雨量豊富で水が豊か。

 流れ出る川は下流の人々を潤して命の源となっているのだ。


 木漏れ日が川面で輝いて、鏡のように反射していた。

 涼やかな風がルシェラの髪を弄んでは逃げて行く。


 カファルは川面に顔を突っ込んで、ちょうど居合わせた哀れな魚ごと、川の水をがぶがぶ飲み始めた。

 水位が下がるのではないかと心配になるほどの豪快な飲みっぷりだ。


 生水は身体に悪いという。

 ドラゴンなら平気だろうが、ルシェラはただの人間。飲むのは少し躊躇ったが、しかし山の中の暮らしでは贅沢は言えない。

 要は慣れればいいのだと、ルシェラもカファルに並んで水を飲もうとした。


 鏡のように輝く川面からは、奔放に伸びた長い赤毛の美少女が覗き返していた。


「……誰だよ!?」


 水面に映る美少女は、やや引き攣った笑みを浮かべながら言った。


 まるで違う。

 以前の自分がどんな姿だったかは若干曖昧だが、今の姿とまるで違うという事は分かる。


 人間で言うなら外見は10歳かそこら。

 カファルの鱗のように美しい深紅の色をした髪は、放牧中の羊の毛みたいに伸びて腰ぐらいまでの長さがある。

 顔立ちは年相応に……つまり外見年齢相応にという意味だが……可愛らしくあどけない。カファルと同じ透き通った茶色の目は、人とは違い、太陽の下の猫のように瞳孔が縦に長かった。

 肌はドラゴンの角にも似て、鋭く無垢な白。

 身体は細くもしなやかに引き締まっていて、野生動物的な機能美を感じさせる造形だった。


 ちなみに今着ているのは、褐色の狼みたいな魔獣の毛皮を二つに裂いたものだ。

 ここに来たときに身につけていたベルトで毛皮の半分を上半身に巻き付け、残り半分を腰に巻いている。

 少なくとも今は少女の姿をしている者として下着を身につけないのはどうかと思ったが、そんな繊細な物体を作成する道具はなかったので諦めている。

 なおカファルが最初にくれた熊型魔獣の毛皮は、大きすぎるので防寒具兼寝袋にすることにした。

 

『グルルル……』

「え、何?」


 水面に映る少女を呆然と見ていると、カファルはルシェラの背中を指の節で小突く。


 巨岩さえ握りつぶせそうな彼女の手の中、ゆらめく陽炎が生まれ、やがてそれは渦巻く炎の塊となった。


『グォウ!』

「うひゃあ!」


 一声カファルが咆えると、その火の玉は川の上に飛び、そこで大爆発を起こした。


 川面に直接触れたわけでもないのに、一瞬川がヘコんで大波を立てるような爆発だ。

 ルシェラの耳がキーンと鳴った。魚が白い腹を見せてたくさん浮かんできて、清い流れに攫われていった。


「ブレス……じゃない、これ魔法?」


 規模はでかすぎるし威力も高すぎるが、似たような魔法をルシェラも知っていた。

 炎の爆発によって敵を攻撃する魔法、≪爆炎火球ファイアーボール≫だ。


『……ルルルルル……』


 カファルが喉を鳴らすと、ルシェラの頭に膨大な数式か、あるいは何かの設計図のようなものがよぎった。

 頭を焼き切られそうなほどの情報量だ。

 普段彼女が発する声とは違う、何かを伝える声。


 カファルはもう一度、手の中に火の玉を生みだして投じた。

 またも山を薙ぐような大爆発が起こり、熱された川が悲鳴のように水煙を上げる。


『……ルルルルル……』

「あっ……もしかして、教えてる?」


 またも同じ『情報』が頭に叩き込まれ、内容が理解できないながらもルシェラは察した。

 カファルは()()をルシェラに教えようとしている。


『……ルルルルル……』

「そんなあ。

 俺、魔法の才能は皆無だって言われたような覚えがあるんだけど……」


 魔法というのは……少なくとも人間にとっては……誰でも使える便利な技術というわけではない。

 まず十人に一人は全く才能が無い。

 残りの者もほとんどが、練習すれば些細な魔法が一つ二つ使えようという程度。厳しい修行を積んでようやく半人前だ。

 魔法によって身を立てられるほどの者は一握りに過ぎない。そしてその中にさえ歴然たる才能の差が存在し……おそらくカファルの魔法は、そんな人間最高の術師さえ遥かに超えている。


 ――ドラゴンなんてみーんな強力な魔法使えるだろうからな。この世には力を持たない存在ひとが居るってことさえ考えつかないんじゃ…………


 途方に暮れているルシェラを見て、カファルはそわそわと首を動かしている。


『ウォウ』

「わかったって、やるだけやってみるから!」


 期待に満ちたドラゴンの視線を受けて、ヤケクソでルシェラは川に向けて手をかざす。ひとまず構えから入ってみた。


 どうすれば魔法を使えるかなんてこと、そもそもルシェラは知らない。

 だが魔法で大切なのは、『何が起こるか』のイメージを砂一粒見分けるほどの精密さで思い描くことなのだという。

 なら、今の爆発を強く思い描けば良いのだろうか。


 カファルが教えた呪文らしきものを、意味も分からぬまま頭の中でそのまま反芻する。

 じわり。

 身体の中を熱が駆け巡った。


「≪爆炎火球ファイアーボール≫!!」


 ルシェラは、叫んだ。

 その声が燃えた。


 ルシェラの掌より生み出された眩い炎が飛翔し、そして、爆ぜた。


「へ?」


 唖然としているルシェラの髪が、自ら生みだした爆風にばたついた。


 ――≪爆炎火球ファイアーボール≫って、それなりに難しい魔法で……

   これが使える程の実力なら冒険者として食いっぱぐれないってレベルのやつだぞ?

   なんで俺こんなの使えたんだ? レッドドラゴンから直々に教わったから!?


 レッドドラゴンは、燃える紅蓮の鱗が示唆するかのように、炎に親しい魔物だ。

 そのレッドドラゴンが自ら手ほどきをしたのであれば無能者が魔法を習得するということもありうる……の、かも知れない。


『……クルルル……ルォウル……』

「うわっぷ!」


 カファルはそわそわと首を動かしながら顔を近づけ、大きな舌でルシェラを舐め回した。

 生暖かくて柔らかい巨大なものが情熱的にぶつかってきて、ルシェラを翻弄した。


「うひー、べちょべちょ」


 全身くまなく舐め回され、ルシェラはずぶ濡れにされた。

 これまでもルシェラは何度かカファルに全身を舐め回されている。おそらく母竜が雛竜の身体を清め、病気を防ぐためにすることなのだろう。後は親愛の表現か。

 多分、この場合は褒めている。熱烈に。


 別に人間の唾液みたいに汚さを感じたり臭く思ったりはしないけれど、なんとも説明しがたい不思議な香りだった。そう言えばドラゴンは全身魔力の塊みたいなもので、唾液すら何かの薬の材料になるとか。


「……水浴びするか」


 どうせ誰も見ていないのだからとルシェラは毛皮を放り出し、素裸で川に飛び込んだ。

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