≪33≫ 受け継がれざるもの
ケネス・アンガスの為してきた事について、彼が死んだ今となっては真意を知ることはできない。
だが側近らであれば、ある程度は分かっているだろう。
ケネスは先代侯爵の嫡男として生を受け、やがて爵位と領地を次いで民を導くことが決められていた。
ケネス自身もそれを疑わず、厭うこともなかった。彼は責任感が強く、民のため身を賭すことを当然だと考えた。
領主となって後、分かりやすく際だった功績こそ無いが、領地をよく治め、領民からも名君と慕われた。
民の安寧と賞賛を見て、ケネスは、良しと満足した。
だがその治世は永遠ではない。
ケネスは己が退いた後も領民たちは安泰であるべしと考えた。
故にケネスは、跡継ぎであるジュリアンを、立派な領主たれと教育した。
己のように責任感強く、民のため当然に身を賭すべきだと考えた。
しかしジュリアンは生来、気弱で優柔不断な性分だった。
ケネスは不安を覚えた。これで跡目を譲っても、民と領土は大丈夫なのかと。
歳月はケネスを焦らせた。目覚めの辛い朝が来る度、鏡の中の顔に皺が増える度。
全ての領民のための投資であると考えて、ケネスは国中から優秀な教師を集めてジュリアンに教えさせた。時に厳しく、時には……さらに厳しく。
成果はあった。ジュリアンは強く逞しく賢く育った。
だがケネスはまだ満足していなかった。息子がどうも自分に反抗的である事と、本当に民を思う気持ちがあるのかが心配だった。
そしてケネスの心配事は、彼の死によって終わった。
「領主の公務とはこんなものか。やり方さえ覚えてしまえば容易いものだな」
領主執務室の、玉座のような椅子の上で。
ジュリアンは、あらかた処理済みとなった書類の山を見て鼻を鳴らした。
昼も夜もないほどの猛勉強は、確かにジュリアンの身になっていた。地理を知れば、その土地で何をすべきか分かる。金の流れを知れば、いかに領地を富ませるべきかが分かる。父より引き継ぐことになった仕事は、欠伸が出るほど容易だった。
それは父の教育の賜物……いや、違う。仮に父に強制されずとも、自ら学べばこの程度の高みには到達できたはずだとジュリアンは確信していた。
領主の最も大きな役目は、統治の方針を決めること。ケネスが突然死んだことで、急停車した馬車の積み荷みたいに色々な物が崩れていたが、ジュリアンはいかなる問題に直面したとしても悩むことなく結論を出せた。
「……ん? おい、デキス!」
書類を読み進めていたジュリアンは急に顔をしかめ、秘書官役を呼びつける。
「通話符を持て。領司法長官に繋げ」
「はっ」
ジュリアンが先に別の書類の処理を進めていると、数分後、恭しく盆に載せられて呪文の書き付けられた紙片が運ばれてきた。
遠隔通話用のアイテム、通話符だ。同じ街の中で素早く連絡を取り合うなら、通信室など使わずともこれを使えばいい。
通話符は二枚セットで話ができるもので、この札の向こうには、事前に連絡を受けて待機している領司法長官が……アンガス侯爵家の家臣であるシモン子爵が居るのだ。
「シモン長官であるな?」
札の表面をなぞって起動すると、ジュリアンは苛立ちを隠しもせず呼びかける。
『はい、確かに。いかが致しましたか?』
しわがれた老人の声が札から聞こえてきた。
シモン子爵は刑事司法に通じ、ここ二十年ほどアンガス侯爵領で司法長官を務めてきた男だ。
マルトガルズにおいて(と言うか大抵の国において)諸侯は領内の司法権を持つ。
と言っても、好き勝手に立法することはできず、あくまで国法に反しない範囲内で領法を定め、それに違反した者を裁定するだけだが。
そのほとんどは裁判官(これが民から登用されるか、貴族が担うかは場合によって違う)に処理されるが、特に重大な犯罪や政治的に重要な犯罪は、領主の名の下に直接裁かれる。これが『領主裁判』だ。
「領主裁判の判決文が私の所に来ていたが、これは何だ。
首領は終身懲役刑、他も懲役のみだと? 何故これ程に甘い判決を出す?
相手は山賊だぞ。死者もそれなりの数、出ているというではないか」
『罪人は、元は農民、領民にございます。
おととしの大凶作にて食い詰めた者らが山賊に身を堕としたのです。
彼らを救えなかったのは自らの責であり、更生の機会を与えるべきだと……お父君が』
ジュリアンは、じれったくゆっくり喋る長官の言葉を聞いて、わけも分からぬほどの滅茶苦茶な怒りを覚えていた。
「人を殺めた者が、そのような理由で自らは助命されるのか? 死刑とせよ、全員な」
『は……しかし、彼らは略奪のためにやむを得ぬ殺生以外はしなかったことから……』
「そも、食い詰めた農民の中でも、福祉に縋って生きる者があろう。
罪を犯すことをよしとせず、潔く飢え死ぬ者もあろう。
山賊に比すれば物乞いも立派だ。
そんな中で無法の道を自ら選んだのだ。憐れむ道理がどこにある。それに首を切ってしまえば食い扶持も減る。合理的であろうが」
言い返す言葉が見つからない様子で、通話符は沈黙していた。
「貴様らや父上が、気分と雰囲気に任せて政治をやっていたことがよく分かった。
だがこれからは私のやり方に従ってもらおう。
安心したまえ、全ては良い方へ向かう」
ジュリアンは再び通話符の表面を撫でて通話を止めると、判決文に『不裁可』の判子を叩き付けた。
「……侯爵様、よろしいでしょうか」
傍らで会話を聞いていた秘書役は、やや気後れした様子で切り出す。
「異議があるか?」
「いえ、そうではなく……別のご報告です。
クグセ山攻略部隊の編成が完了したと、先程……」
「どうやら皇宮が介入してくるまでに間に合ったか。全く、肝を冷やさせおって」
ジュリアンは静かに応じた。そして静かに高揚していた。
全ては簡単な計算。間違っていたものを正しく書き直していくだけの作業にすぎない。
だがそれは楽しかった。自らの進む道を自在に切り拓けるというのは、ジュリアンにとって無上の快楽だった。







