≪22≫ 本心
「これ、ちょっと着けてみてください」
金色網目の細工がされた、ジゼルの指輪をルシェラは渡す。
「何よ、それ」
「ドラゴンの言葉が分かるようになる指輪です。
わたし、今からドラゴンの言葉で喋ってみます」
「はあ……?」
面食らった様子ながら、モニカは言われるままにその指輪を着けた。
彼女の指にはちょっと緩くて、それを見てモニカは怪訝そうに手を裏表させる。
そんなモニカに。
『あなたが、しんぱいです』
「っ……!?」
ルシェラは、まだたどたどしいドラゴン語で、ストレートな言葉を投げかけた。
張り飛ばされたようにモニカはたじろぐ。
ドラゴンの言葉を人間の耳で聞くと、短くて意味不明な音の羅列としか感じられない。
しかして、その音は立体的で濃密な意味を孕み、意図するところや詳細なニュアンスや、発話者の気持ちまでも余すところなく伝えることができる。
カファルがラザロに言った通り、これは嘘をつくのに向かない言語だった。
『ただ、みすごせない、だけなんです』
注釈をいくつくっつけることになろうと、モニカの境遇が悲劇的で酷いことは間違いない。
偶然関わることになってしまったから、哀れに思い、救いたいと思う。それで何の問題があるというのか。
彼女自身に信じてもらえずとも、この気持ちに偽りは無かった。
だからこそルシェラはそれを伝えようと思った。
想いさえ伝えることのできるドラゴンの言葉で。
絶望するにはまだ早く、あなたを心配する人はこの世界のどこかに居るのだと。少なくともルシェラでさえ、そうなのだから。
『やめて! やめなさい!』
『あっ』
その時。
モニカは、ドラゴンの言葉で喋ってしまった。
当然だがこの指輪は聞く力だけでなく、話す力も与えるのだ。
私に期待させないで。
どうせまたがっかりするだけだ。
信じれば辛い。
嫌だ。本当は寂しい。
信じさせて。
あなたにそれができるの?
触らないで。
行かないで。
拒絶の言葉に込められた意味の奔流が。
溜まりきった水の流れが、堰を切られて溢れ出したように、どうどうとルシェラに叩き付けられた。
はっと、モニカは真っ赤になって口を押さえ、次いで自分が着けている指輪の存在に思い至り、大慌てでそれを指から抜き取った。
「はぁっ、はぁっ……」
モニカは平たい胸にそっと手を当てる。激しい鼓動がルシェラの耳にまで聞こえるような気がした。
それから、震えながらルシェラを睨み付けた。
「……今、私、なんて言った?」
「えっと……人の言葉に直訳するなら『やめて』って言っただけですが、なんでやめてほしいと思ったかまで…………全部ぶっちゃけてました。その意味とかニュアンスが全部言葉に乗って……」
「わー! わーわー!!」
頭を抱えてモニカは叫んだ。
自分が何を言ったのか。言ってしまってから気が付いたようだ。
「その、ごめんなさい……こっちの気持ちを伝えようとしただけだったんですけど……
ドラゴンの言葉って、嘘をつくのが難しいんです。少しの言葉でも込められる意味が多すぎて。
何かを隠そうとすると不自然にスカスカな言葉になっちゃうんで、不自然さが分かっちゃうし」
「貴女、よく、あんな、恥ずかし、ちょ……!!」
茹でられているかのようにモニカは真っ赤で、もはや涙目になっていた。
ドラゴンの言葉は隠し事に向かない……そして、話し慣れていないモニカは、何を言葉に乗せるかの取捨選択すらできていない。
隠したいはずの部分まで、気持ちを洗いざらい乗せてしまっていた。
気まずい。
「帰って! 帰りなさい! 帰れ!」
「わっと」
投げつけられたジゼルの指輪をルシェラはキャッチ。
さらにクッションだのぬいぐるみだの、部屋の中にあったものが次々とルシェラ目がけて投擲された。
「お騒がせしました……!
さようなら、おやすみなさい」
ルシェラは窓枠からひらりと身を躍らせ、夜闇の中へと逃げ込んだ。
* * *
嵐のような一時だった。
ルシェラが去り、月は少しずつ高くなっていく。
魔力灯照明の明かりも消した部屋の中で、モニカは眠るでもなく、じっとベッドに横たわっていた。
目が冴えていた。眠れる気がしない。
色褪せ灰色に塗りつぶされたような日々の中で、今日という一日は、目が潰れそうなくらい燦然と、鮮やかに輝いていた。
鼓動が早いのに、それが不快でないというのは、モニカにとって初めての体験かも知れなかった。
「お友だち、かあ」
モニカはベッドに寝そべったまま、傍らのぬいぐるみを抱え上げ、宙吊りにした。
五年前、つまり9歳の誕生日の時、誰かから送られてきた熊のぬいぐるみだ。誰が送ってどういう経緯でモニカの所へ届くことが許されたかも分からず、メッセージカードなども付いていなかった。
まあ、誰が送ったかなんてどうでもいいと言えばどうでもいい。考える気にもならなかった。
そしてこの贈り物自体も、特に嬉しいとも嫌だとも思うことができず、家具の一つとして部屋に置き続けていた。
「ねえ。私、ドラゴンとだったらお友だちになれるのかな……?」
モニカはぬいぐるみに問う。もちろん答えは無い。
クグセ山のドラゴンの養い子だという不思議な少女。
彼女は誰に頼まれたわけでもないのに魔物と戦い、モニカを助けた。
まあ、そんなものは強者の気まぐれだろうと思い、さしたる意味を感じていなかった。彼女にとって自分など、どうせ生きていても死んでいてもいいのだろうと。
後から彼女が何者であるか聞いて、驚きはしたけれど、それだけだった。
今はもう違う。
モニカは彼女の想いを見てしまった。
彼女だけはモニカを絶望させてくれない。
ルシェラは決して、モニカを特別な存在だと思っているわけではない。ただ偶然関わっただけの相手だ。
そんな彼女ですらモニカを案じていた。
「そんな簡単に信じられるわけないじゃん。
でも……あの子は、大丈夫だったりするかな?」
モニカはぬいぐるみに問う。もちろん答えは無い。
「……馬鹿らし」
急に、自分の振るまいが子どもじみたもの思われて、照れ隠しのようにモニカはぬいぐるみを壁に投げつける。
ファンシーな熊は、壁にぶつかって鈍い音を立て、ずりおちて頭から床に突っ込んだ逆立ち状態になった。
そのまま寝ようとしたけれど、モニカはやっぱり気になって、壁際で倒れているぬいぐるみを引き起こして座らせた。







