≪21≫ モニカ『殿下』
モニカを訪ねるにあたって、ルシェラがラザロ王から受けていた注意が一つ。
人に預けるのではなく、確実に直接モニカに届けるようにと。
まあ、ルシェラをモニカに引き合わせるのが目的なのだから当然ではある。
とは言え、普通に訪ねていってはモニカが会ってくれない可能性がある。
そこでルシェラはモニカを直撃することにした。
居室に戻ってくるタイミングを狙って、窓の外によじ登り声を掛けたのだ。
普通なら衛兵を呼ばれてもおかしくない状況だが、王様のお墨付きもあるし、少女の姿だと割と色んな事が許されるのだとルシェラは学習しつつあった。
「つまり、王様に頼まれて私の所へ?」
「はい」
ひとまず部屋の中に入れて貰えたルシェラは、ここに来た経緯をモニカに話した。
モニカの方も言いたい事は色々ありそうだったが、二階の窓から訪ねてくるような奴に何を言っても無駄だと思ったのかなんなのか、溜息をついただけだった。
ルシェラは宝箱型の収納アイテムを開け、中身を引っ張り出す。
「プレゼントって、これ?」
「あ、いえ、これはわたしのパーティーのメンバーからです。
良かったらどうぞ」
「ふーん……」
収納箱の中からまず出てきたのは、小さなバスケット。
中身はビオラが作ったフルーツパイと、彼女の料理を具材にしたサンドイッチだ。ルシェラがモニカの所へ行くと聞いて、ビオラが急遽用立てたものである。亜空間に収納されてる間にパンが湯気で湿気らないよう、料理が冷めてから作ったものだが、これなら冷めても美味しい。
モニカは、焼き魚のほぐし身のサンドイッチを観察し、無造作に囓る。
「あっ。
ミスリルの検毒食器とか使わないんです?」
「何よ、毒でも盛ったの?」
「い、いえ、そんな事は……」
「なら要らないじゃない。
仮に中身が毒だとしても私は構わないけど」
こういう味なんだ、と彼女が呟いた気がした。
酷く疲れたような声音で。
「で……これが、ね。ふぅん」
次いで彼女は、ビロードか何かが張られた小箱を手に取る。
こちらがラザロ王からの贈り物だ。
開けてみると、キラリと金色に光るものが鎮座している。
「首飾り?」
「流行りの型ですね。ベルクブラザーズ商会のって言ったら最高級の……」
「ふん」
「あっ!」
モニカは鼻で笑って、書き損じの手紙を暖炉に投げ込むときみたいに、首飾りの小箱を床へ放り出す。
「な、何を……」
「透けて見えるのよ。『あれくらいの歳の子だったら、こういうプレゼントを喜ぶだろう』って、30秒くらいで決めたのが。
それだって自分で考えたわけじゃなくて、役人に決めさせて自分は頷いただけなんでしょ」
酷いことをすると思ったが、ルシェラはモニカの言葉を否定できなかった。
よかれと思ってやりそうなことだ。
「分かってる? 貴女、いいように巻き取られてるわよ。
私と貴女が顔見知りになれば、貴女と王様を繋ぐ関係性の経路が増えるでしょ。それは、ひいてはレッドドラゴンを手の内に捕らえることになる。
細い糸でも、編み合わせれば蜘蛛の巣になるわ。そういうやり方をする奴よ。
……そのためなら、自分で閉じ込めた私を可哀想がるくらいするでしょ」
空色の目で鋭くルシェラを睨み、モニカは手厳しく指弾した。
ルシェラが何者であるかは先刻承知らしい。
詐欺師の使う技術の一つに、『頼み事をして信頼を得る』というものがあるそうだ。
ラザロ王にはそういう狙いもあるのかも知れない。
と同時に、他者の心根を見透かすモニカの賢さには舌を巻いた。
生誕を呪われ、悪意の中を生きてきた彼女だからこそ、そう育ったのだろうか。
「父親ヅラして私のことも取り込もうとしてるのよ。
私が本物の親にも会えないのは誰のせいですかって話なんだけど」
そう言いつつモニカは、ひらひらと何かの招待状を見せてくる。
「それは?」
「食事のお誘い。昨日届いたの。
宮中で何かあるみたいだから、私も来ないかって。こういうお誘いとか、時々思い出したように掛けてくるのよ。
……行ったところで盛大に晩餐会やってる中、私は別室でご飯を食べるだけ。私は表に出ることが許されてないから。
みじめになるだけじゃない」
――宮中晩餐会……ああ、ジュリアンを迎えてってことで急遽小規模なのが開催されるんだっけ。
この件に関してはルシェラも既に聞いていた。
王宮というのは何かと飯を食わせて客をもてなすものだ。宮中の晩餐会は社交の場で、交渉の場で、また交渉の潤滑油ともなり、参加者の結束を強める場でもある。
今回はジュリアンを迎え、もてなすものである。
何故これをルシェラが知っているかと言えば、今回、末席ながら“黄金の兜”の面々も招かれているためだったりする。
クグセ山を守る上で功あったことで招かれたということだろう。もちろん冒険者が間接的に国家間の争いに関わった話を大っぴらに言う事はできないが。
よりによってジュリアンを迎える席で……とも思うが、もしかしたら王宮からジュリアンに対する牽制や当てつけみたいな意図もあるのかも知れない。
ただし、ルシェラとカファルは不参加である。
招くときは主賓となるので『まだ早い』という話らしい。
ルシェラにしても、シュレイの指定した期日には余裕を持ってクグセ山に戻りたいので、宮中晩餐会に参加する三人を王都において一足先に北へ向かう予定だ。
ともあれ、その晩餐会にモニカも招かれていたようだ。
「今回は行くって言っちゃったけどね。
生まれてこのかた会ったことがない、種違いの姉様に会わせてくれるって話だから、まあ、面拝んでやろうと思って。
……で、王様も仕事の合間に、申し訳程度に私に会いに来るんでしょ。何分間私の所に居るか数えてやるわ」
冷笑を浮かべるモニカを見て、ルシェラが思ったのは『止めなければ』ということだった。
モニカの送ってきた人生を思えば仕方ないのかも知れないが、彼女は悪意や欺瞞に対して敏感になりすぎている。
親しい友人の間にも、得てして打算や擦れ違いがあるもの。モニカはそれすら許容しないだろう。
モニカを孤独に突き落としたのは貴族たちのつまらない意地だけれど、その中で最後の繋がりすら断ちきろうとしているのは彼女自身だ。
それは、きっと、よくない。自己防衛が自傷になっている。
「短い時間でも、ちゃんと話をした方がいいと思います。
王様は、完全無欠の人ではないでしょうけれど……少なくとも、邪悪な人には思えませんでした」
素直な感想だった。
至らないところや汚いところがあったとしても、所詮、人なんてそんなものではないか。
ラザロは充分に『善良な人』の範疇であるとルシェラは思った。
……が、それはあくまでラザロがドラゴン語で喋るところまで聞いてルシェラが感じたことであって、この印象を言語化して他人に伝えるのは難しい。
「あいつの肩を持つの?」
「このままでは悲しいだけだと思います」
「お説教する気?」
モニカの視線に敵意が宿る。
「……貴女、冒険者よね。
生きるか死ぬかの戦いもしてるのよね」
「えっ?
ま、まあ、はい」
「そんな貴女に分かるわけないじゃない。安全な街の中で大勢の人に守られてぬくぬくと暮らしてる私が、それでも悩んで生きるか死ぬかって考えてるの。
贅沢な悩みにしか思えないでしょ? ちっぽけな悩みにしか思えないでしょ?
私は剣で斬られることも、魔物に食いちぎられて死ぬことも無い。
飢えることも凍えることも無い! さっきだって山のようなご馳走を放り出してきたわ!
それだけで恵まれてて最高の人生なんだって、ほんの一欠片でも思ってない!?」
「それ、は……」
何か歯止めになっていたものが外れたかのように、モニカはまくし立てる。
己の価値を毀損しながら理解を拒絶する。自分の流した血で相手を溺れさせるような言葉だ。
その声は断末魔の叫びのように痛々しく思われた。
ルシェラは、逆に咎められた気分になっていた。
今のルシェラは外見的にはモニカより年下だが、実際には年上で、それなりに人生経験もある。
だからこそ先人として彼女を導かなければと思ったのだが、その一欠片の傲慢を、モニカは見透かした。
だがここで引き下がれば、モニカはさらに孤独を深めるだけだ。
ここまで来てしまった以上、尻尾を巻いて帰る気は毛頭無かった。







