≪20≫ 食卓
王宮の馬車に送られて、宿の部屋に戻ってきたルシェラとカファルを迎えたのは、香ばしく熱された脂と香草の薫りだった。
「やあやあ大仕事お疲れ様です。
今日は私が腕によりを掛けて料理を作りましたんで存分に英気を養ってくださいな」
「うわあ」
エプロンメガネ姿のビオラの背後。
食卓の上には豪華絢爛な作品群が並んでいた。
香草で包み、蒸し焼きにした大きな川魚。
同じ種類の魚に飴色のタレを付けてこんがり焼いたもの。
チーズを詰め込んで焼いた鶏肉。
スパイシーな香りのする真っ赤な大鍋シチュー。
何かの内臓を磨り潰したパテを焼いたもの。
葉物野菜とサイコロみたいに切ったベーコンのサラダ。
季節の果物のパイ……
「……喜ぶ前に驚くんですが。これ本当に全部ビオラさんが?」
「リーダーとウェインさんにも手伝って貰いましたよ」
「本当に手伝いだけな!」
「プロ級だぜ、ビオラは」
なおティムはソファにひっくり返って新聞を読んでおり、ウェインはシーフ用の道具類を手入れしていた。
「まあ今日は暇でしたし」
暇だから、という理由でこれだけやるのだから、とんでもない凝り性だ。
カファルとルシェラは彼女からちょっと料理の手ほどきを受けたわけだが、あの時の献立は初心者に合わせてレベルを下げたものだったのだということを思い知る。
貧乏性が染みついたルシェラは、まずこの食材がいくらなのかということも気になってしまう。今日は特別な祝いの席でもないのに、平然とこれだけの資金を突っ込めるのだから、一流冒険者の金銭感覚は凄まじい。もっともルシェラも今は、『変異体』の毛皮だの骨だのだけで国家予算級の財産を持っているのだが……
「さあ早く。冷める前に。
なんか予定より遅くなりましたけど何かありました?」
「交渉自体は問題無いと思います。ただちょっと、お茶会があって、更にその後待たされまして……」
ルシェラは荷物から、両手に載るサイズの小さな宝箱を取り出す。
亜空間に繋がる収納用マジックアイテムだ。
収納魔法や収納用マジックアイテムは、大量の荷物を運ぶために使われることが多いが、この場合は荷物を亜空間に突っ込んで保護するのが目的と思われる。
「なにこれ」
「王様からモニカ様へのプレゼントですって。それをわたしに持っていってほしいと」
「あらま」
お茶会の後、これの準備をするとかで少し待たされて、そのまま持って帰らされたのだ。
お偉いさんのお使いも、冒険者にはよくある仕事。
まあこの場合、お届け物を口実にルシェラをモニカに会わせるのが目的っぽいけれど。
「……友だちになってあげてほしい、と言われたんですが」
「それはいい!
なるほど冒険者も『身分の外の者』って言われたりしますけど実際にはなんだかんだしがらみができちゃいますからね。
その点ドラゴンが相手なら誰も文句言えないでしょう」
ビオラはしたり顔で頷いていた。
「ねえルシェラちゃん。気心の知れた仲間や家族と一緒にご飯が食べられるのってそれだけで幸せだと思いません?」
料理が並んだ食卓を見て、ビオラはちょっと遠い目で溜息をつく。
唐突な言葉に面食らったけれど、それは同感だった。ルシェラは人並みに仲間や家族が居て欲しい性質だ。食卓を共にする喜びも理解する。
この大量の料理は、いかにもみんなで分けて食べるのが前提という雰囲気を漂わせていて。
もしこれを一人で食べるとしたら……贅沢だが虚しい。そもそも食べきれない。
「そう……ですね。本当にそう思います」
「一人飯も気楽でいいんですけどねー。
まあ要するに……一緒にご飯食べられる相手が居るってのが幸せなんですよ。
毎日そうしてると当たり前に思えてきますけど決して当たり前じゃないですし。たまにはその幸せを噛みしめてみましょう」
しみじみとビオラは言った。
その言葉は不思議なほどに、重い。
* * *
王都の高級住宅街……
王都滞在用に諸侯の持つ別邸や、大商人の邸宅だのが並ぶ中に、その屋敷はあった。
『柳屋敷』という雅な呼び名は忘れられて久しく、街の者らが皮肉めかして呼ぶところには……『屋敷牢』。
元はロレイナ王妃の実家であるフォスター公爵家が保有していたものだが、現在は王宮が借り受ける形で共同管理のような状態となっている。
住まうのは、モニカ一人。
いや、住んでいると言ってもいいのだろうか。スケジュールの全てを王宮に管理され、自由に出かけることさえかなわない。それは軟禁と言ってもよかった。
後はその世話をする使用人がいるだけ。訪ねる者も無い。
フォスター公爵家にとってモニカは、王家への信義を裏切った証。
触れがたい汚点であり、母との接触も禁じている。
王家の婚姻相手として竜命錫使いの血筋を保つのも大貴族たちの重要な役目だが、幸か不幸かフォスター公爵家は、モニカを使わなければならないほど血統管理の上で逼迫してはいなかった。
王宮にとっては……つまり、あくまで国の舵取りという視点の上でどうかという話をするなら……勝手に変な所で子どもを作って竜命錫使いの血筋を拡散させたりしない限り、モニカはどうでもいい存在で、フォスター公爵家の方で始末を付ければいいというのが本音だろう。しかし『それでは足りない』と言いだした諸侯は一人ではなかった。
これはラザロ第一王子(当時)の結婚相手を選定する上でのいざこざと無関係ではない。
紳士協定が結ばれて花嫁選定のための会議が設けられたというのに、フォスター公爵家は舶来品であった緑茶の国内栽培税に関わる交渉と並行して(つまりこれを取引材料として)王宮と話を進め、他に候補が居た貴族家を出し抜いてロレイナを正室に押し込んだのだ。
なお、この件に関してはラザロの父である当時の王が決めたことで、表向きは前述の会議での決定でもあったので、ラザロ自身が裏事情を知ったのは最早何もかも止まらない段階になってからのことだ。
実際の所ロレイナは、家格も、竜命錫への適性も正室として申し分なく、まともに競っていたとしても正室の座を射止める可能性は高かっただろう。
だが、こんなやり方で確実にされたとあっては、出し抜かれた側は当然面白くない。
そんな貴族家にとってロレイナの不義は格好の攻撃材料だったわけだ。
モニカが生まれたとき、即位間もないラザロ王とロレイナ王妃の間には、既に長女たるフランチェスカが居たのだが、フランチェスカもラザロ王とは別の男の種ではないかと血筋を疑われた。
とは言え、表でフランチェスカを攻撃している者も、心底から彼女の出自を疑ってはいなかっただろう。ただ難癖を付ける材料にしただけだ。当然、ラザロも公爵家もこれを庇った。
そのため姉のフランチェスカは、廃位されて王女の地位は失ったものの、フォスター公爵家が監督責任を持つ形で放免された。
だが、妹のモニカはそうならなかった。
ラザロ王の子ではなく、母の実家たる公爵家からも半ば見放されていた彼女は、『竜命錫使いの血筋を管理する』という名目で、『年頃の間は(……曖昧かつ広汎な基準だ)異性との接触を避けるため活動を制限し、監視下に置く』という処分がされた。
悪く言うのであれば。
モニカは、鬱憤が溜まっていた貴族たちの怒りのやり場として、事態を丸く収めるための生贄にされたと言うこともできるかも知れない。
彼女はフォスター公爵家の汚点として、王都に展示され続けるのだ。
ラザロはそれを拒否しようとした。そんな八つ当たりみたいな仕打ちを王宮がするわけにはいかないと。しかも、何の罪も無い生まれたばかりの赤子に!
ラザロにしてみれば血の繋がった娘ではないが、それはそれ。国家としての品格や人道を省みればあり得ないことだと。
だが間の悪いことに丁度その頃、北東の友好国グファーレと、クグセ山の向こうのマルトガルズが開戦したのだ。
セトゥレウは小さな国だ。大国同士がぶつかり合う中、国の舵取りを誤ればたちまち沈没してしまうだろう。
腹の虫が治まらない貴族たちは突き上げてくる。国際情勢が厳しさを増す中、一人の赤子のため、国内にこれ以上波風を立てていては万民を危うくする……
それが、若き王の判断だった。
「もういいわ。ご苦労様」
モニカはそう言って、食卓の上へとぞんざいにフォークを放り出す。
十人以上が優に掛けられる食卓に豪華な料理が並んでいた。
一人では食べきれない量が、たった一人のために並んでいた。
パンだけで三種類、スープも二種類。
豆のペーストソースを掛けた川魚のムニエル。山鳥の丸焼き。生クリームたっぷりのケーキ等々。
そして何故か、市販のビスケットが一籠。
料理のほとんどに手を着けぬまま、モニカは席を立つ。
傍らに控える料理人は、うつむいたまま拳を振るわせていた。
「……お嬢様。不肖私、今宵の料理は会心の出来であったと自負しております。
一体……如何なるご不満が!? どうかお聞かせください。お口に合わぬのであれば合うように致します!」
「食べるのが面倒になっただけよ。なのに味の感想なんて求められても困るわ」
籠の中から出来合いのビスケットを一枚取って、それをくわえてモニカは食堂を出て行った。これが食卓に用意されていたのはモニカの好みに合わせてだ。大して美味しいとも思えないけれど、まともな料理を食べる気にならないときでも、こういうものなら摘まむ気になったりするから。
背後から、食卓に拳を叩き付ける音がした。
「くそったれ……! 辞めてやる、こんな仕事っ……!!」
屋敷の厨房を預かる料理人は、モニカにちゃんと食事を取らせるように言いつけられている。
ただ、その『ちゃんと食事を取らせる』というのが、針の穴にドラゴンを通す程度には難しい。
モニカは生きることに対して不誠実だった。
仮に空腹で、目の前に好物があったとしても、それを食べる気になるとは限らない。
何種類も用意すれば一つは食べるだろうとか、会心の出来なら食べるだろうとか、そういう真っ当な戦術はことごとくぶち壊されていくのだ。
「何回同じ事を言うのかしらね。辞める勇気も無いくせによく言うわ」
ビスケットを囓りながら、モニカは居室へ戻っていく。
安っぽい甘味が口いっぱいに広がる。味はどうでもいい。
――私も、同じか。死ぬ勇気も無いのに『死にたい』なんて思ってる。
無意味に生かされてるのが嫌ならいつだって死ねるのに……
この『屋敷牢』にはモニカ一人と、その世話をするための人員しか住んでいない。
そのため、廊下は酷く静かだ。
屋敷の広さはモニカにとって何の意味も無い。ただ空白を感じさせるだけだ。誰も居ない空白を。
使用人たちは形だけ王宮が雇っていて、定期的に入れ替えられる。交友を深める暇もない。実際、入れ替えが頻繁なのはそのためだ。モニカと結託して便宜を図らないようにと。母が一度、モニカに秘密の手紙を届けようとしたことがあって、それが露見してから態勢が厳しくなった。
モニカは独りきりだった。
気晴らしと言えば、たまに屋敷を出ることができる遠乗りくらい。それだって馬車から降りることさえ許されず、護衛という名の監視がぞろぞろ付いてくる。
その護衛どもが結局護衛として役に立たなかったのは、ちょっと笑えた。
そう。そうだ。そんな事件があった。
瓶詰めにされたみたいに停滞していたモニカの世界に風穴が空いた。
その風穴はすぐにまた塞がれてしまったけれど。
『どうして死ぬのが怖かったのか考えたら、やるべき事が分かると……思います』。
自分を救ってくれた奇妙な少女の言葉が、モニカの心に波紋を立てていた。
――そんな大層なものじゃない……
部屋に辿り着いたモニカは、そのままベッドに直行して飛び込んだ。
額縁みたいな窓の外にモニカはいつも見ていた。
街の賑わいも。
希望に満ちた人々も。
幸せな親子も。
目の前にあるのだから、いつか自分も、そんな輝かしい人生を手に入れられるのではないかと期待してしまう。希望を持ってしまう。
そんな、微かな希望と期待を往生際悪く抱えているために、生を手放す勇気も無い。
ただそれだけのことだった。
「……ん?」
コツコツと窓に何かが当たる音がして、ベッドに突っ伏していたモニカは起き上がる。
ここは二階だ。窓の外にあるものと言えば大きな木が一本くらい。
「何かしら。植木の枝がこんなところまで伸びてるの?
今すぐ職人を呼び出して伐らせ………………」
様子を見るため窓枠に近づいたモニカは、あり得ないものを見た。
「えっ」
「あ、あの……こんばんわ」
焔色の少女が、張り出した窓枠に掴まってぶら下がっていた。
竜命錫使いの血筋を管理する必要上、王族や上級貴族は一夫多妻の形になることが多いです。
他は国と文化に寄りけり。







