≪18≫ 人竜会談
その日、セトゥレウ王宮の中庭は、野戦の本陣の如き構えとなっていた。
周囲の建物を隠すように張られた陣幕は白地に青のライン。矢や魔法を防ぐ効果があるマジックアイテムだが、この場合は装飾の意味と取るべきだろう。
そうそうたる顔ぶれの(……と言ってもルシェラは肩書きしか知らないが)貴族たちが煌びやかに着飾って、その場の外周に座す。
そして正面最奥、野外にて用いるための椅子さえ一際豪華なのは、このセトゥレウの王。
彼は四十代後半ほどだった。
黒に近い茶髪は癖が強く、髭は短く綺麗に整えられている。
第一印象を述べるなら、真面目そう、とは言えた。『王』という言葉のイメージに比して、すこし威厳が足りないような気はする。
ただ王冠を持ち、王錫を手にして、どっしりと座った姿はサマになっていた。生まれたときから次代の王として教育を受け、在位も既に十五年ほどなのだから、その経験が貫禄となるには充分だろう。
ゆったりした袖の煌びやかな上着を着ていて、身に纏うマントには流水の如き紋が鮮やかに描かれている。
ちょうどルシェラは、中庭に整えられた『会談場』の反対側に座っていたので、王様と思いっきり目が合う位置だ。
だが今日の主役はルシェラではない。
意図した演出ではないのだが、その日は曇り空だった。
だが、やにわに光が差す。
「あれは……?」
貴族の一人が空を見上げた。
雲が、焼かれていた。
人の身では届かぬ高みの雲に、ぽっかりと穴が空いていた。
炎が雲を食い破り、そして流星の如く降ってくる。
どよめきおののく声が上がった。
その炎は、地に墜ちて爆発するかと思われたが、しかし。
王宮の屋根に掛かるほどの高さにてふわりと解け、人の姿を模った。
今度は感嘆のどよめきが上がった。
その髪は灼熱の色。
身に纏うドレスは炎の揺らめきを思わせる。
気高く無垢に白い肌は、作り物であるが故、一点の瑕疵も無し。
人間の女性を基準とするなら背が高い方で、芸術的にメリハリの付いた体型をしている。
顔立ちは俗世の穢れを一切寄せ付けぬかのような野性的凜々しさを持ち、優美であり、高貴だった。
自分を可愛がっているときとは顔つきも雰囲気もあまりに違いすぎて、地上から見ていたルシェラは『あんた誰だ』と心の中で叫ばざるを得ない。
炎を纏って『会談場』の真ん中に舞い降りたカファルが手をかざすと、地が揺れて、せり上がる。
地面から突き出したのは、冷え固まった溶岩のようなデザインの玉座だった。魔法で地を操り、作り出したのだ。
カファルが岩の玉座に座ると、距離を置いて向かい合うセトゥレウ王は、ルシェラに預かっていた指輪を嵌める。
『人の王よ。まず一つ、××しておきたいことがある。
我らの言葉は、何かを偽り隠すことに向いていない。特に、話し慣れていないそなたにはな』
『なるほど。何事も包み隠さず××に話し合うことができるのであれば、それはとても素晴らしい』
カファルの牽制に、王は柔らかく微笑んで応じた。
そして朗々、声を張る。
『私はラザロ・カーリスト・リエト・セトゥレウ。
このセトゥレウの王だ。
今日という日を喜ばしく思う』
『私はカファル。『ベルマール火山の群れ』の長・××なるシュレイと、××を知るクーリャの娘。
今はクグセ山に住まう身だ』
ラザロは玉座から立ち上がり、二つの玉座の中途まで足を進めた。
カファルは座ったままだ。
『……失敬。人はこの様なとき、××を求める証として握手をするのだが。
ドラゴンの××には合わぬのだろうか。だとしたら……』
『いや』
カファルも立ち上がる。
『そなたは人で、今、私は人に化身している。ここは人の××に合わせるべきだろう。
……慣れぬ故に戸惑っただけのことだ』
そして自らも進み出て、握手を交わした。
そんな中、ルシェラはラザロとカファルでは無く、周囲にて環視する者たちを観察していた。
ほとんどの者は王とドラゴンの一挙手一投足を、固唾を飲んで見守っている様子。
だが、少し様子が違う者もあった。
居並んだ貴族や高官の中に一人。
彼は『動き』に反応しないし、他の者ほど気を張っているように思えない。
……ドラゴンの言葉が分からない者は、動きを見ては驚き、どんな会話がされているか後から類推するしかないわけだが、会話の流れを理解していれば驚くこともないのだ。
――あいつ、二人の話を聞き取ってる……?
や、でも通訳をしてないって事は聞けるだけなのかな。ドラゴン語、喋るのに比べたら聞く方がまだ楽だもん。分かる人をどこからか連れて来たのかな。
言葉が分かる者を用意するのは王宮側としては当然の用心だが、それをこちらに黙っていたのだからなかなか強かだ。
『私の庭を荒らす者があったことは、聞き及んでいるだろうか』
『存じているとも』
『どちらが正しいか、間違っているか。それは人が勝手に決めることに過ぎぬ。私には関わりない。
ただ私が求めるのは、愚かな狩人たちを山に立ち入らせぬ事だ』
互いに礼を失さぬようにして、しかし互いにへりくだらない。
ドラゴンの言葉は、言葉のニュアンスさえも濃密に伝えるのだが、ラザロもカファルも尊大に見下したりせず、ひたすらに自信と鷹揚さを漂わせていた。
『そなたらと私の求めるものは近しいと思うが、どうか』
『うむ。確かに。
私は、マルトガルズがクグセ山を我が物とし、セトゥレウに攻め入らんとするのではないかと××している。
無論、これは勝手な××だ。我がセトゥレウとマルトガルズが剣を交えたことなど無いのだから』
『……××的な言葉であるな。
それが、そなたら人の建前というものか』
欺瞞だ。
セトゥレウは、マルトガルズと交戦中であるグファーレ連合を後方支援している。
そしてそれに対抗してマルトガルズは山越えを狙ったのだ。
両国は決して平和的な関係ではない。
だとしても、決定的な事態が起こるその時までは笑顔で握手をするのが政治というもの。単純にその方が国益となるからだ。
そして、その裏で仮想敵に備えるのである。
『セトゥレウは小さく、マルトガルズは強大だ。故に我らは慎重でなければならない。
もしクグセ山を奪われれば、我らは地に押し倒され××に牙を突きつけられたも同然だ。そうなってから『殺しはしないから安心してくれ』と言われても、安心できるだろうか?』
『理解できるとも。クグセ山に住む全ての獣は、私が姿を現すだけで恐れ逃げ去るものだ。
それと同じようなものか』
『襲われる危険を×したい。
つまり、クグセ山にマルトガルズの兵が入れぬようにする。それが互いの利益となるだろう』
どっしりと座っていたラザロが、少し身を乗り出した。
『なれば……我らはマルトガルズより先に、クグセ山に兵を入れようと思う』
遂に本題に切り込んできた。
ジュリアンの訪問によって緊張緩和が為されるなら、再び本格的に緊張が高まるまでは、大規模に戦力を展開することはできないはずだ。
兵力を展開し続けるには人的・財政的負担もあるし、徒に緊張を高めることはセトゥレウ側も求めていない。
だが、なんだかんだ理由を付けて事実上の防衛拠点を築き、国境の護りを置くくらいはできるだろう。
さらにカファルと協力関係となり、時間という実績を積んでいく。
さすれば、いざという時にセトゥレウはクグセ山を守るべく十全に力を発揮することができるはず。
協力し、防衛体制を築く……
それ自体はセトゥレウ側も、カファルも望んでいることだ。
だが問題はそのやり方だった。
共闘態勢は必要充分に留めなければならない。あくまでカファル(とルシェラ)の願いはクグセ山での平穏な暮らし。それ以上にセトゥレウに協力させられ、いいように使われることは避けなければならない。ラザロも当然それを分かっているから、回りくどい前置きをしてから慎重に切り出したのだ。
『クグセ山の女王よ。
山には貴女の兵たる魔物たちも居よう。
それが我が兵、我が騎士たちと共に戦うのであれば、いかなる××をも退けよう』
『よろしい……
そなたらが誠実であるのならば、私は人が山に立ち入ることを許容しよう』
『それから、一つ。
私は、クグセ山はセトゥレウのものであると人族世界にあらためて宣言しなければならない。
これは貴女がクグセ山に住まうよりも以前よりの主張だ。どうかご理解を』
ルシェラはカファルの背後に当たる位置に座っているため、その表情を見ることはできないが、続く彼女の言葉からカファルが顔をしかめていることは察した。
『×××よ。かの山が私のものであることは人の目にも明らかではないか?
そして私はそれを譲るつもりもない』
『××、そうであろうとも。
だが我らは戦うときに理由を必要とするのだ。
クグセ山は我らのものぞ、と言えば、それを侵す者らと戦う理由になる。
ただそれだけのことであり、何かを変えようとは思っておらぬ。もちろん、貴女から山を奪おうなどとは夢にも』
ラザロの言葉はどこか不穏な響きだった。
――今のは……人語で言われたとしても裏にある計算を勘ぐりそうなところだけど、ドラゴン語だとこんなにハッキリ下心が見えるんだ……!
奪う気は……まあ、おそらく無いだろう。それは多分本当だ。
奪うつもりならカファルを排除するしかなく、それではクグセ山を防波堤にするという目的が達せられないことから現実的ではない。
だが。山に踏み入るのであれば、いずれにせよ多少は山を使うことになる。
それを既成事実として利権を確立し、セトゥレウのものにできるならどうか。
山は奪わずとも甘い汁は吸える。
そういう下心がルシェラには見えた。
――今のは口が滑ったのか? まさか、わざと?
国家元首たれば国益の代表者でもある。
ドラゴンの眼光を受けながらも柔らかくこんな返しをできるのだから、ラザロもやはり只者ではない。
一国を率いる王とは斯くある者なのか。
カファルは少し、間を置いた。
這い回る蛇のように熱が渦巻いている気がした。
『……よかろう。
だが私は、そなたの兵が私の庭を荒らすのであれば××しない。
よく、しつけておけ。兵の振る舞いはそなたの振る舞いだ』
『もちろん』
『それから我が山に、人の道理は通じぬ。山に入る者は全て、私の命令に従ってもらう。
退けと言えば退け。……死ねと言えば死ね』
『それは…………』
ラザロの表情が鋭く緊張したものになった。
人がせせこましく知恵を回し、小賢しく振る舞うなら、こちらも野生の暴力で応える用意があるのだとカファルは言っている。それを牽制と取るか脅しと取るかは場合によるだろうけれど。
――『本当は殺したくない』ってニュアンスまで込みだ。でも伝わるかな?
山から利益を得るのは……究極的にはこの国かも知れないが、まず逸るのは現場だ。
それを抑えるため。そして何かあったときに処断しても問題にならぬよう。
まずこの場で相手方のトップに警告したというところか。
しかし、ここまで言われてはラザロも首を縦には振れない。
『どうか生き死にに関しては××を。
たとえそこに正当な理由があったとしても、他の者が殺されたとあれば、兵は穏やかではいられないのだ』
『私も小さきものらの振る舞いを××咎め立て、罰しようと思っているのではない。
何かあれば、まずは言葉にて、そなたらの将に伝えよう』
牙は見せた。それで充分。
カファルは人族世界の基準で言えば無法者だろう。
文明社会では容易く人を殺してはならないとされる。その原則が常に守られているかは別として、大前提だ。人が殺し合うような社会は発展しないから。
非道の君主は怨嗟を受けるし、殺人鬼は処刑台に送られる。
しかし、カファルにそういった歯止めは無いのだと、カファル自身が伝えた。
殺人罪で捕らえられることなどカファルは恐れる必要が無いのだから、慎重で、誠実でなければならないのだと。
『だが『変異体』に至っては、私も完全に制御できるわけではない。
可能な限り、そなたの兵たちが安全であるよう取り計らうが、絶対は無い。
まして私の言いつけを破り、勝手な行動を取るようであれば守り切れぬぞ』
『承知。
では少し、××な取り決めの話を……』
ラザロが視線で合図をすると、官吏が何か書き付けた羊皮紙を手渡した。
魔法的な契約には紙よりも羊皮紙が適するとされ、そこから派生して、重要な取り決めには(魔法的な束縛が無いとしても)しばしば羊皮紙が使われるのだ。
既に事務方が詰めていたらしい具体的な要件をラザロが読み上げ、カファルはそれを分析的に聞いている。
――……わたしが口挟む必要無いじゃん。
ルシェラはもはや観戦モードだった。
やる気が行き先を失って空回りしている。
時々お茶目でどこか抜けていて、ルシェラが絡むとしばしば知能が低下するカファルだが、彼女はドラゴンだ。
その知力と、重ねてきた年月を侮ってはいけないのだとルシェラは思い知らされた。