≪16≫ アイスクリーム
朝食後、すぐに迎えが来て王宮へ向かったはずなのに、諸々の打ち合わせを終えたときにはもう空は夕焼けになりかけていた。
まだ何か話し合うことがあるらしいティムを置いて、一足先に宿に帰ってくると、高級集合住宅みたいな宿のロビーでカファルが出迎える。
『お疲れ様、ルシェラ』
『どういたしまして』
両手を背中に隠して近寄ってきたカファルは、その手に持っていたものをパッとルシェラに見せた。
三角錐型の焼き菓子の上に、鮮やかに赤いペーストが載っかった物体だ。
『ご褒美よ』
『わ。あいすくりーむ?』
『あそこで買ったの。人間はこんなものも作るのね。
氷みたいなのに甘くて、不思議だわ』
「そんなの、宿の売店なんかで売ってるんだ……専門店ならクグトフルムでも見たけど……」
この宿はティムが言う通り、過剰に世話を焼かれることがない『静かな』宿だが、滞在者の生活を支援する設備は一通り揃っている。
ロビーにある売店では衣類・食材・弁当に菓子・生活雑貨等々が手広く売られていた。
その中にアイスクリームまで並んでいたらしい。
『これは木イチゴ味だって。一番美味しかったわ』
「……『一番』?」
うきうきと嬉しそうな様子で『一番』の味を手渡してくるカファルの言い方に、ルシェラは違和感を覚える。
『まさか、しゅるい、ぜんぶ、たべた?』
『うん。お留守番してる間に』
「うわあ。もしかして無限に入るのか、この身体……」
未知の食べ物を見かけて、とりあえず全部食べてみたくなるという気持ちは分かる。
しかしそれを実行してしまう辺り、買い食いのスケールもドラゴン級だった。
――まさか王様も、明日自分と会うドラゴンが街でアイスクリーム食べてるとは思うまい。
それともこれから報告を受けるのかな。監視くらいされてるだろうし。
売店の人は何を思ったのだろうか。
ルシェラはあまり考えないことにした。
『ほら』
『じゃ、いただきます……』
人影もまばらで静かな一階ホールの隅にて。
ルシェラがソファに腰を降ろすと、カファルは隣に座ってルシェラを抱き上げ、膝に乗せた。
――アイスなんて食べるの、いつぶりだろう。
この身体になる前も、しばらく食べてなかった……働くことと生きることにばっかり必死で、ジゼルのためには少しでもお金が必要だったから無駄遣いなんてできなくて……
ふと、ルシェラは自分の送ってきた人生のことを想い、己の手にしている小さな芸術品めいた甘味を見つめる。
そしてまず一口、舐め取るように囓った。
「……甘い」
ひやりと冷たいのに、染み渡るように甘い。
甘酸っぱい木イチゴの果汁と、ドライフルーツ化した実が混ぜ込んであって、胸を締め付けられるような味わいだった。
カファルの方はというと、深緑色のアイスにがぶりと噛みついている。
良く言えば豪快。悪く言えばはしたない。分析的に言うなら実にドラゴンらしい。
『これはお茶の味なんだって。変わってるけれど美味しいわ。
一口食べる?』
一口で四割ほど減った食べかけのアイスを、カファルはずいとルシェラの口元に近づける。
――食べ物のシェアなんていつの間に覚えたのやら……って、参考になりそうな親子連れとかカップルはいくらでも居るか。
勧められるままルシェラは、カファルが食べたのと反対側からアイスを囓る。
『うん。おいしい。ちょっとにがいから、ぎゃくに、あまい』
『ルシェラ、ほっぺに付いてるわ』
『ほんと?』
『動かないで』
柔らかく弾力ある胸部の圧力がルシェラの背中に掛かった。
カファルはルシェラを膝に乗せたまま、ルシェラの顔を覗き込むように背中を丸める。
吐息が掛かり、深紅の絹髪がルシェラの首筋をくすぐった。
そしてカファルは啄むように、ルシェラの頬を舐めた。
「うひゃ!」
『とれたわ』
当たり前だがルシェラは、いきなり頬を舐められて飛び上がらんばかりに驚いた。
「ちょ、ママ、そういうのは人間はあんまりやらないって前に……」
「おやこ、やってた」
「う……実例……
ま、まあやる人も居るかもだけど……」
実際に同じ事をしている人間を見て『いける』と判断したらしく、カファルは自信満々だった。
それは確かにそうなのだけれど、あくまで状況によるとか、人前でやられるのは恥ずかしいのだとか、色々と補足説明が必要な話であって。
だがそれは感覚で理解する範囲のことだから、その辺りのデリカシーを求めるのはまだちょっと早いのかも知れないし、一律にダメと言いたいわけでもない。
「もう……」
「おこった? いやだった?」
「怒ってないし、嫌じゃない」
頬をぷくっと膨らませ、ルシェラはそっぽを向いた。
嫌じゃない。
ドラゴンだって、誰彼構わず舐め上げて身を清めたりはしないだろう。
有り体に言うのであれば、愛を感じる。
カファルはルシェラが好きだから平然とこんなことをするのだ。そう思うと、なんだか身体を内側からくすぐられているみたいな気持ちになる。
ただし知人には特に見られたくないし、ましてそれが以前の自分を知る者であるなら、尚更だ。
「……用があって来たんだが……」
髪を撫で付けスーツ姿の、シャープな印象の男が、所在無さげに立っていた。
ルシェラは凍り付いたように硬直し、同時に脈拍が概ね倍速になった。
「お前、そーゆー顔すんだな」
「待って」
「親子水入らずを邪魔して済まない」
「待って」
「なんつーか、人って状況に馴染むんだなあ……」
「見捨てないでぇ!」
意図的に広く作られている、閑散とした印象のロビーに、ルシェラの叫びが虚しく響いた。
私の書くファンタジー世界は、魔法を生活にも取り入れたことで産業革命期くらいの文明レベルになってるつもりで考えてますが、『冷やす魔法』はいくらでもあるので、冷房とか冷蔵・冷凍技術は更に進歩してます。
ちなみにアイスクリームが大量生産されるようになったのは史実では19世紀半ばからだったとか。
ファンタジー世界で『食べ物のシェア』という言い回しはアリなのか?
……悩んだんですがここを言い換えると重くなりすぎる気がして、これは『シェア』でしかないな、と開き直りました。
日本語難しい。