≪14≫ 料理教室
「わあ!」
部屋に入るなり、ルシェラは思わず歓声を上げてしまった。
王都滞在中の一行の宿は、街の中心部からもほど近い、貸部屋タイプの部屋だった。
剣の訓練試合ができそうなくらい広々とした部屋は、磨き上げられた宝石のように塵も傷も見当たらず、調度品めいた上品な家具が控えめに置かれている。
広い窓からはそのままベランダに出ることができる構造で、運河に浮かぶかのように街壁の中に建物がひしめき合う、王都の街並みを一望できる。
何よりルシェラが注目したのは、普通の宿ならそうそう部屋の中には無いもの。
キッチンスペースだ。
「すごい。魔動竈付きのキッチンがある宿なんて……」
薪の要らない、スイッチを入れるだけで火を噴く竈が部屋の中にあった。
大抵の街には魔力の供給網がある。竜命錫による自然界の制御を限定的に解除した『魔力採掘ポイント』が用意されていて、そこから魔力を組み上げ、生活に利用しているのだ。
とは言え、宿の部屋で使われるものなんて普通はせいぜい魔力灯照明くらい。炎の魔法を発現させる調理用マジックアイテムなんて、なにしろそれ自体が高価なので、ご立派なお屋敷の台所でもなければそうそう見かけない代物だ。
「俺らは別に安宿で構わねえんだけどなー、王都来ると多少は世間体ってもんを気にしなきゃならなくてな。
だが俺はどうも高級な宿ってのは、四六時中世話を焼かれるしキラキラしてて落ち着かねえ。だからこういう場所で茶を濁してるのさ」
「高いこた高いからな、ここの宿賃も」
既に勝手知ったる様子で、ティムとウェインは荷物を置いて装備を脱ぎ始めている。
流石の鎧男も、日常生活でまであの鎧を着続けているわけではないようだ。
「お夕飯の食材は買ってきましたが……そう言えばルシェラちゃんはお料理できます?」
こちらはツールベルトを外しただけで、いつもの魔女ルックのままのビオラ。
彼女は調理台に大きな紙袋を下ろし、収納バッグからも色々と取り出す。全部食材だった。
「できますよ! 野外活動をするためには自分で料理できなくちゃだめですもん」
「甘ーい。そりゃちょっと違うのですよ。
外だとどうしても『少ない道具で作れて簡単に体力付くものを』ってなるでしょ。
それは単なるサバイバル調理であって料理とは似て非なるものです」
ちちち、とビオラは指を振り、眼鏡を光らせた。
「カファルさんもさっぱりですよね?」
「りょうり、やったことない」
「ですよねえ」
そりゃあそうだと、ビオラは頷く。
ドラゴンにとって料理とは所詮、嗜好品だ。
魔族を召使いとして使役し、料理を作らせることもあるようだが、それはどう考えてもドラゴンの巨体を維持するに足りない。
生きるために調理技術を必要とする人族と違い、ワイルドに獲物をかっくらうのが常であるドラゴンには、料理は日常から外れた行為なのだろう。
もしかしたら獲物に調味料をぶっかけるくらいはしているかも知れないが。
「ならばここはビオラさんのお料理教室と行きましょう」
「もしかしてビオラさん、すごく料理上手かったり?」
失礼な印象ではあるが、身繕いもせずビスケットでも囓りながら本を読んでいる方がビオラに似合っているように思え、ルシェラは意外に感じた。
「やっぱり意外ですかー?
私も子どもの頃は料理とかさっぱり触ったことなかったんですけどね。
ある日一念発起して『生きるために必要な事はなんでもできるようになろう』って努力したのですよ」
「実際かなりのもんだぜ。俺らもビオラに仕込まれたくらいだしな」
「別に手伝わなくていいって言ってるのにー」
「俺が気にするんだよ」
何故だかティムは溜息をついていた。
「セトゥレウ名物お魚団子にしましょう。
ルシェラちゃんはお魚捌けます?」
ビオラは収納バッグから、防水紙に包まれた生魚を次々取り出す。
どれもこれも切り身などではなく、丸ごとだ。
収納バッグの中には生きたものが入らないので、つまりこの魚は死んでいるはずなのだが、水に放り込んだらそのまま泳ぎ出しそうなほどの鮮度だった。
黒々とした魚の目が『食えるものなら食ってみろ』と、ルシェラを睨んだような気がした。
「ま、丸焼きならできます」
「あははー……
じゃあ折角ですし覚えちゃいましょうそうしましょう。
カファルさんはこっちの根菜類を刻んでください。こんな風にブツ切りでね」
ひとまず未経験のカファルには簡単な課題をビオラは与えた。
まな板を取り出して、皮ごと食べられる薄皮の根菜を一口サイズに切り刻んでみせ、それから包丁を渡す。
カファルは調理用の刃物をしげしげと見ていたが、やがてそれを根菜に突き立てて。
「えい!」
下に、おろす!
根菜を真っ二つに断ち切った刃はまな板に叩き付けられ、それでも余りあるカファルの力に耐えかねて付け根の部分でへし折れた。
カファルは包丁の柄だけを持って腰の下まで手を振り切ったが、刃の方は反動で弾き飛ばされ、騒々しい音を立てて床に転がる!
「……っぶねえぇ!」
「ご、ごめん、なさい!」
折れ飛んだ刃が、あわや突き刺さるところだったティムは、壁に張り付いてそれを躱していた。
「……おれた……」
「包丁は力を込めれば切れるわけじゃなくて引っ張るといいんです。
これ先に言うべきでしたね……」
「そ、その身体、そんなパワーあったんだ」
「ちょうせい、かのう」
代わりの包丁をビオラが渡すと、カファルは今度は慎重に根菜を刻み始めた。
「ルシェラちゃんはこちら」
存在感ある魚類がルシェラの前にデンと置かれた。
「頭を落とすときは胸びれの裏から包丁入れまして……そうそう上手い上手い。
今回は身の部分だけ使うので内臓は取っちゃいましょう」
言われるままに包丁を突っ込むと……あまり上手くいかず、魚の身が皮ごとよじれて包丁の刃に引っ張られてしまったが、どうにかルシェラは魚を三枚におろすことに成功した。
ビオラは魚のアラを鍋に、残った身の部分を大きなボウルに放り込む。
「これを擂り身にするんですが」
「これならママもできるんじゃない?」
「やる」
カファルがボウルをかち割らないか、ルシェラはちょっと心配だったが、彼女は先程の失敗を反省したのかちゃんと力加減をして、すりこぎ棒で魚肉をついて潰し、かき混ぜて擂り身にしていった。
調味料とつなぎ材を混ぜて適当な大きさに捏ねれば、団子ができる。
団子ができる。また団子ができる。
魚肉の団子が並んでいく。
そう言えば小さい頃、泥団子を作って遊んだこともあったなとルシェラは思い出す。
「半分はスープに。それで残り半分はちょっと味付けを変えて焼いてみましょうか」
その間に、アラで出汁を取ったスープの中で野菜が煮込まれていた。
お魚団子の半分はスープの中へ高飛び込み。
残りの半分はフライパンに並べられて。
「やく!」
「あら直火」
「その身体、火も噴けたんだ……」
魔動竈ではなくカファルの吐息で火炙りになった。
流石に本体のブレスに比べればささやかだが、竜気を纏う炎は料理にも滋養を付加する……かも知れない。
いつしか部屋の中には空腹を加速させる香りが立ちこめていた。
「はい完成です!
いやー料理ってある意味拷問ですよねえ。お腹が空いてる状態で食べ物を見ながら作業しなきゃならないんですから」
「一理あるな」
キッチンに入りきらなかった男どもは、せめてものお手伝いとばかり、料理を盛り付けてバゲットと共に食卓へ運ぶ。
その間にルシェラたちは、ボウルやフライパンを水に浸けて片付けの準備をしておいた。
「るしぇら。さいしょ、おぼえてる?」
「最初?」
「にく、やいたら、たべた」
「あ……そうそう、そうだった!」
料理、と言えば。
カファルはこれまで料理らしい料理をせず、獲ってきた肉を焼いてはルシェラに出すくらいだったが、それさえも最初は偶然やったことだったのだ。
もはや遙か昔の出来事にさえ思える。
「なになに何の話です?」
「聞いてくださいよ、ママったら最初私を拾ったとき、生肉をそのまま食べさせようとしたの!」
メガネと好奇心を光らせるビオラにルシェラは、あの日の『食事』のことを告発した。
「死にかけてたから必死で食べたけど、吐いちゃって」
「あれは、にんげん、よく、しらなかった」
「そりゃ……災難だったな」
「俺でも生肉はキツイぜ……」
皆、苦笑する。
今や笑い話でもある。……ルシェラは敢えてこれを笑い話として語った。
あえなく死にかけたとは言え、結果的に助かったのだから、カファルにはこのことで気に病んでほしくはなかった。
食卓に並んだ料理が湯気を立てている。
今日、これが食べられるのもカファルのお陰だった。
『災ドラ』の世界観は自然界の持つ魔力が濃密で、むしろそれを制御しなければ人は住めないほどなのですが、その代わり、資源・燃料としての魔力は非常に安価に利用可能です。設備費とか税金は掛かりますが魔力自体はほぼタダ。
ちなみに収納系マジックアイテムや収納魔法は、正確には全く生物が入らないわけではなく、蟻んこくらいまでなら入ることもあります。
ただし亜空間化している収納内部は真空に似た状態にあり(と言うか真空パック状態?)、生きて入れたものも大抵死にます。
ナマモノの保存にはそこそこ便利ですが嫌気性細菌の繁殖なんかには注意が必要です。
オプションとして、さらにナマモノの保管に適した、中に入れた物の時間が止まる収納アイテム(※ただし高価)などもあります。収納先が亜空間だからこそできる荒技です。