≪3≫ 来訪
カファル曰く、お父様。
宴の最中に突然現れたその老爺は、まるで噴火中の火口みたいに暴力的エネルギーをその身に秘めていると感じられた。
「誰?」
「ママが、『お父様』って」
冒険者たちも、そしてルシェラも。
指一本でも迂闊に動かしてはいけない心地になり、身構えた姿勢のまま、見えない鎖で縛られたかのように凍り付く。
深紅の老爺はルシェラたちを睨め付けると、威厳に満ちた流暢な人間語で語りかける。
「儂はシュレイ。『ベルマール火山の群れ』の長よ。
この場にて真の姿は顕せぬが、何者であるかは自ずと知れような」
ドラゴンの群れの長。
シュレイなる者は、そう名乗った。
ドラゴンはただでさえ常人には及びも付かぬ力を持つものだが、そのドラゴンを束ねる群れ長ともなれば、歳経て力を蓄えた超越的存在に間違いない。
人の形をとっていようと、それは災禍の暴威にも等しい力を秘めている。
重圧と緊張感の中で最初に動いたのはビオラだった。
一歩進み出た彼女は妙に板に付いた所作で、スカートをつまんで膝を折り、礼をする。
「ベルマールの竜王陛下におかれましてはご機嫌麗しゅう……
私は」
「結構。そなたらが只人に過ぎぬことは承知している」
ビオラの挨拶はシュレイに遮られた。
時間の無駄だとでも言うように。
焔色をしたシュレイの双眸が四人を観察する。
彼の視線はやがて、ルシェラを貫いた。
「主か」
「う……!」
「なるほど、実に奇怪だ。卑小なれど人よりは儂らに近い」
興味深げに、彼は笑う。
それだけでルシェラは死を錯覚した。
「どうした、名乗れ。
儂に名乗らせておいて言葉も返さぬか。無礼なるぞ」
シュレイに促され、いや、命じられて。
カラカラに干からびていたルシェラの舌はようやく動いた。
『……るしぇら、と、もうします』
『ほう?』
ルシェラは意地と勇気を振り絞って、ドラゴン語で名乗った。
完全に見下されていると感じたからだ。
見下されて当然の力の差があるということは分かっていたが、それでは、いけない。
ルシェラはカファルの娘になると決めた。ならば強大なドラゴンと相対そうとも、少しでも、ほんの少しでも対等であれと。
『クハハハハ! 小生意気××ドラゴンの言葉×××××!』
シュレイは、笑う。
咆えるように笑う。
ルシェラは吹き飛ばされてしまいそうに思ったが踏みとどまった。
『お父様……何故、×××××場所×』
『何故とは×××。××は××察し×××』
カファルは父の来訪に戸惑った様子だ。
実際、ここは人の国と人の国の狭間だし、ベルマール火山からは遠く離れているはず。
人の前に姿を現すことすら稀な、ドラゴンの群れ長ともあろう者が、わけも無く遊びに来るような場所ではない。
『儂も×××、娘の命×人間ども××××××つもりはない。助け×××××思ってな。だがな……』
カファルとシュレイの会話を必死で聞き取ろうとしていたルシェラは、すぐにドラゴン語について行けなくなった。カファルとの会話だと向こうがルシェラのペースに合わせてくれたからどうにかなったのだが、ドラゴン同士の会話はルシェラにはペースが速すぎる。
――悔しいけど、これ使おう……多分重要な話だ。
意地を捨ててルシェラは、ジゼルの指輪を指に嵌める。
途端、モノクロだった世界が色鮮やかになったかの如く、意味の奔流がルシェラの頭に流れ込んできた。
『理解しておろうが、ドラゴンの群れは人族の諍いには関わらぬもの。
主が生き延びんと欲するなら自ら戦うか、それとも群れへ戻るか、だのう』
『群れへ、ですか? それは……』
『都合が悪かろうな』
シュレイはカファルと会話しながら、一瞬、ルシェラの方を見やった。
既に彼はカファルを巡る事情を承知している様子だ。
――ドラゴンの住む場所で生きていくのは……無理、かな……だからママは……
ルシェラとて、人の領域を離れてドラゴンの支配する世界を見た事はないが、ただ『変異体』が跋扈しているだけのクグセ山など及びも付かぬほど危険な場所だという事は想像が付く。
クグセ山を捨てて群れへ帰るなら、カファルはマルトガルズの脅威から逃れられるだろうけれど、それにルシェラが付いて行けるかと問われれば……分からなかった。
『なれば、よ。
この山に少しばかり、竜気と『変異体』を足してやろう。
それしかできぬが、それだけはできる』
『本当ですか! ありがとうございます』
援助の申し出は本当に思いがけないものだった様子で、カファルは驚きながら喜んでいた。
しかし、それから、笑顔が戸惑いの色に陰る。
ルシェラも同じ心地で。
……話がうますぎる。何かが怪しいと交渉人の勘が警鐘を鳴らしていた。
『まあ、待て。助けるとは言うたが、儂らの山はいささか遠い。
ここまで『変異体』を運ぶなど難儀じゃろう。
なれば、近場に住む者の力を借りることとなる』
『近場? それは、まさか……』
図ったように、同時。
空気の重さが倍にも増したようにルシェラは感じた。
夜天に舞う翼が、さらに一つ、二つ、三つ。
月を背負ってこちらへ向かう影がある。
シュレイと同じ、翼竜の『変異体』に騎乗する者がこちらへ迫っていた。
三つの騎影、それぞれに一人ずつ。
姿だけは人であるものがやってくる。
『知らぬ仲ではないし、同盟も組んでいる相手よ。儂が頼み込んだところ、話だけは聞くと言うておった』
翼竜が一斉に滑空し、山に近づいたところで、騎乗者は飛び降りる。
『納得してくれるかは分からぬがな』
腕組みをしたシュレイは、獅子でも睨み殺せそうな顔で笑っていた。
三人が。
いや、三匹のドラゴンが天より舞い降りた。
隠者の如き老爺の姿をしたシュレイに対し、この三人は若く洗練された貴公子の姿だ。
フリルのジャボが付いたブラウスに、すらりとした足のラインが出るズボン。
彼らは何かの象徴であるかのように身体の各所に青いものを身につけ、腰には装飾的な剣を刷き、いずれの者も鮮烈に青い髪を短く整えている。
そんな中で一際気迫に満ちた美丈夫が、刃のように鋭い目でこちらを見ながら進み出た。
『久しいな、カファル。我が氏族よりルジャを奪いし者よ』
『そんな……』
カファルの顔までも青くなった。







