≪1≫ 赤の竜王
時は少し、遡る。
* * *
この世界はドラゴンの住む場所が半分、人の住む場所が半分なのだという。
厳密に言うのであれば、ドラゴンたちは数が極めて少ないため『住む場所』はそこまで必要としない。だがドラゴンは生きていくために広い狩り場を必要とするし、ドラゴンの数に比例して増える『変異体』の魔物たちは人が居住不能な魔境を作り出す。
さらには知的な魔物たち……いわゆる魔族が、ドラゴンと緩やかな共存関係を築いてドラゴンの領域に住まい、国を作って人族を脅かしている。
そんな中で人々が歴史上、多くの血と引き換えに切り取ったのが、おおよそ世界の半分だった。
『ベルマール火山の群れ』は、その名の通りベルマール山を中心として、人族の最も大きな国と同じくらいの領域を支配している。全てがレッドドラゴンで構成された群れだ。
人は荒ぶる自然のエネルギーをある手段で制御し、居住可能な領域を維持しているのだが、ドラゴンたちの存在はむしろ世界に力を与える。
炎に親しいレッドドラゴンたちは炎の因子を好み、火勢を増す。
灰色のベルマール山は朝も夕もなく炎を吹き続け、水ではなく溶岩の大河が煌々と大地を輝かせているのだ。それはただドラゴンだの『変異体』が跋扈しているというだけにとどまらず、人が踏み入るべきではない魔境の眺めそのものだった。
そんなベルマール山の洞窟内。
冷え固まった溶岩が刺々しく複雑なオブジェとなり、天井からも床からも突き出すその空間は、まるで超巨大なドラゴンの口の中にでも飛び込んだような光景だ。
壁際には大きな溶岩の滝が流れ、常人であれば干からびて死ぬであろうほどの熱を発している。
広大な空間の最奥に、威厳ある深紅の巨竜が蹲っていた。
甲殻も、鱗も、万年風雨にさらされた岩のように風化した質感。
だがそれは朽ち果てているという事ではない。長き時をその身に刻んだもののみが持ちうる圧倒的な迫力を持っていた。
そんな老竜の前に、鱗も鬣も艶やかに赤い、若き赤竜が座して頭を垂れていた。身体も老竜に比べると二回りくらい小さい。
彼女の名を、カファルという。
『どうか人化の法をお授けください』
カファルは微かに震える声で希う。
その様を見て老竜は、火の粉と共に溜息をこぼした。
『さて……数十年ぶりに会うなり、言うことはそれか。
何がどうしてそうなった』
世界そのものを震わせ音としているような威厳ある声で言い放った、そのドラゴンの名はシュレイ。
『ベルマール火山の群れ』の長であった。
カファルは頭を垂れたまま、無言。
言葉を探っているのか、もしくは何も言いたくないのか。
『ルジャは、死んだのか』
『…………はい』
『弔辞は述べぬぞ。人などに殺されるのであれば、そのような隙を晒した者が悪い。まして自ら群れを出て、人の住まう地に新たな巣を見繕ったのであればな。
それはルジャも、主も、よう分かっておろう』
カファルは返す言葉も無く、長い首をしならせて項垂れていた。
カファルは『ベルマール火山の群れ』出身だが、数十年前、群れを出奔している。
ルジャという、他所の群れのブルードラゴンと……そう、カファル自身はレッドドラゴンでありながらブルードラゴンとだ! ブルードラゴンであるルジャと結ばれるため、群れを飛び出したのだ。
もっとも、これは群れの掟に反したわけではない。
単色の群れの支配領域は大抵、何か一つの因子が強く出るためにそこで違う色のドラゴン同士がつがうことは難しいが、適切な環境を見つけて移住するのであれば叶う。
冒険心あるドラゴンが群れを出て人の近くに住まうのも、長い目で見ればドラゴンという種全体にとって利益になるから止められているわけではない。
混血の仔は時に出来損ないだが、時に素晴らしい才覚を授かり、群れの血を強くすることもある。
だから、そう。カファルがルジャとつがうことそれ自体は問題ではない。
問題は、まだ年若く卵すら産んだことのないカファルが、ルジャなるブルードラゴンにすっかりいかれてしまい、勢い任せに茨の道へ踏み込んでいったことだ。
ドラゴンは長すぎる生涯を唯一の伴侶と過ごすことは稀で、一度つがった相手とは特別な関係を維持しつつも、幾度か伴侶を変えるのが常。
最初の伴侶に他色のドラゴンを選び群れを出るのではなく、母として経験を積んで後に結ばれるべきだ……そう言ってやんわりと止める者もあったが、カファルは群れを出てルジャと結ばれた。
そして三度目の繁殖期にようやくカファルは卵を身籠もった。
だが。
間もなくルジャは人族の罠に掛かり、殺された。
そして……
『では、主らの仔は?』
大方察しているらしいシュレイの言葉を聞き、カファルはその巨躯をぶるりと震わせる。
やがて彼女は振り絞るようにいなないた。
『守り……きれませんでした……』
『……で、あろうさ。
その仔は『赤』と『青』の血を引く仔だ。
主の炎だけで、殺さずに抑え込むことは難しかろうて』
ルジャは最悪のタイミングで殺されたと言えるだろう。
ドラゴンの誕生は世界を揺るがす出来事だ。
卵が孵るとき、この世界そのものの力が呼び覚まされ、荒れ狂う。
親が適切にそれを制御できなければ、その力は雛竜をも襲うだろう。
レッドドラゴンであるカファルは炎を御すことができる。
しかし、その力で荒れ狂う水の因子を抑え込むことはできなかった。
クグセ山は百年に一度の大水害に見舞われた。それはもはやただの水害にあらず、万物を呑み込み押し流す『水による滅び』という概念だ。
カファルは我が仔を焼き殺すギリギリまで炎を繰り、水の力を退け卵を守った。
だが、ほんの一瞬、娘可愛さに手元を狂わせ、火勢を弱めてしまったのだ。
水は瞬きの間に雛の命を奪った。
『何故、誰も頼らなかった』
『傲慢……だったのです。
もし、卵のことで『青』の群れを頼れば、きっと産まれた仔は群れに取られてしまう。それでは死に別れるのと同じだと…………
でも、違った。失って初めて分かったのです。たとえ一生会えなかったとしても、私は! ルジャと私の仔に生きていて欲しかったのだと! 私は……!!』
後悔の叫びが溶岩洞に響いた。
宝石のような涙が流れ落ち、岩の上で弾けては蒸散する。
『…………そうか』
シュレイは静かに呟いた。
もしカファルが悔いておらぬのであれば詰りもしただろう。
だが、傷口に塩をすり込むのはただの憂さ晴らしだ。
『まあ、それも過ぎた事よ。それがどうして突然、儂の下を訪れて人化の法などをねだっておるのだ』
『それは……』
『申せ。わけも知らず頼みを聞いてやる道理はあるまい』
『では、事情をお話すれば教えてくださるのですか』
しばし、シュレイの考え込む間があった。
人族に化ける術そのものは、特に出し惜しみする類のものではないのだが……群れを飛び出したカファルがそのためだけに戻って来たとなると、何か穏やかならぬものを感じるのは自然だろう。
『……よかろう。だが事情によるぞ。
これで主が『今度は人の男に惚れた』などと言いだしたら、儂はいい加減、跳ねっ返りの末娘を閉じ込めておきたくなるところだ』
カファルは僅かに頭を上げる。
父の鋭い視線が、彼女に向けられていた。
別にシュレイは日本人じゃないですが、作者的には『朱嶺』のつもりで付けた名前です。
なんかのゲームのドラゴンが来るお城と一字違いだったのは書いてから気が付いた。
第二部もよろしくお願いします。
第一部みたいに全部書き溜めてから投稿しているわけじゃないので、毎日更新! とは行かないと思いますが、なるべく頻度上げていけるよう頑張ります。







