≪33≫ 手掛かり
ルシェラとカファルが街に降りてきて、数日。
マルトガルズの動きについて分かったのは、調べれば調べるほどきな臭いという事だ。
ティムが言っていた、マルトガルズから両国冒険者ギルドへの通達は新聞にも載り、人々の知るところとなった。
当初はどこか他人事めいた批判が街中で囁かれていた様子だが、幾人かの大商人が街から避難したという噂が流れたことで街の空気は一気に変わった。
大勢の人を動かそうとすれば、そのための食料や生活物資などを調達する必要が出てくる。そういった情報を掴むことで、他国の軍の動きであろうと察知できることがある。
つまり商人同士の情報網から危険を察知した者らが、身の安全を確保するため、国境を避けて南へ逃れたのだ。
彼らがどの程度の確度でマルトガルズの侵攻を予想しているかは不明だ。しかし街の名士と言うべき者らが明確な行動を起こしたことで、人々の認識は変わった。
マルトガルズが本気でクグセ山を越え、クグトフルムを、そしてセトゥレウを一呑みにしようとしている……
着の身着のままと言える勢いで逃れる者あり。
逃げの算段を始める者あり。
街を離れられず、何も起こらないよう祈るしかない者あり。
『何か事情が変わらない限り、早晩マルトガルズが攻めてくる』というのは、既に皆の共通認識になりつつあった。
この件に関しては近く、王宮や領主から何らかの声明が出されるという話もあり、ひとまず様子見をしている市民も多いが、それは嵐の前に静かになる空を見ているような不穏な様子見だ。
一方、ドラゴン語の通訳や、その話をしていた『彼』に関してはなかなか手掛かりが掴めず、既にティムも諦め半分。
伝手を使って王宮に諸々の話を通している最中とのことだったが、その返事が戻って来るまでにドラゴン語通訳の尻尾を掴めるかは怪しいところだった。
* * *
『彼』についての情報がありそうな心当たりの場所はだいたい当たって、そろそろ策も尽きようか、という頃。
「冒険者マネージャーの事務所?」
「ああ、そういうのが街に一つあるんだよ。
最近ギルドのお墨付きを貰って、仕事を頼むときにギルドの補助金も出るようになった」
ルシェラたちが向かったのは、『マクレガー冒険支援事務所』なる場所だった。
今回はティムとウェインとルシェラの三人で、カファルはビオラに見ていてもらってお留守番だ。
と言うのも、街のトップパーティーである“黄金の兜”はそれなりに有名人で、そこに人目を引く親子(つまりルシェラとカファル)がくっついていては無駄に人目を引いてしまう。
そのため『彼』についての調査はなるべく“黄金の兜”の面々に任せ、必要そうなときはルシェラだけが付いていくという形にしたのだ。
……カファルはルシェラと離れることを大分渋ったが。
「冒険者のマネージャーなんて、この街に何人も居ねえから。
同業の誼で『彼』について何か知らねえかとな」
「なるほど」
冒険者のマネージャー業というのは世界的にも珍しく、このセトゥレウでもそうだ。
そのためか、事務所があるのは冒険者ギルドからも離れた表通り。なんでそんな良い場所にわざわざ事務所を出したかは若干の疑問もあるが、ともあれ、その事務所は薄く細い白のアーチプレートが蜘蛛の巣めいて折り合わさった向こう側に大きな硝子の壁が存在するという芸術的な建物だった。
「代表のイヴァー・マクレガーと申します。
“黄金の兜”のリーダー、ティム様ですね。お目に掛かれまして光栄です」
髪をべったりと撫で付けたスーツ姿の若い男が、愛想良くティムを出迎えた。
「ほう、俺も有名になったもんだな」
「これはこれはご謙遜を。この街のトップパーティーのリーダーとあらば、皆様ご存知でしょうとも。
本日はマネージャーのご用命で?」
「いや、済まない。実は違うんだ。ちょっと奇妙な事件を追っていてね」
小洒落た観葉植物以外に置かれている物が少ない硝子張りの応接間で、奇妙な容器に入ったお茶を飲みながらティムは、『彼』を探していることと、『彼』にまつわる奇妙な状況についてイヴァーに説明した。
イヴァーはそれを興味深げに聞いていた。
「……なるほど。
確かに『彼』に関しては奇妙に思っていました。何度か会った覚えがあるのに、私も名前を思い出せませんでしたので」
「妙な力が働いてるみたいなんだ。それが何なのかは……分からんが。
『彼』について何か知っていることは無いか?」
「優秀なマネージャーだった、としか。
それと少なくとも私が事務所を開くより前にはこの街で仕事をしていましたね」
「そうか……」
何もかも計算ずくで客向けの態度を作っているかのような、慇懃無礼系の爽やかさを持つイヴァーが、『彼』に関しては素直に褒める調子だった。
しかし情報は出てこない。
同業者同士とは言え、結局はただの知人か……と思ったところで、イヴァーは何かを思い出した様子。
「ああ、一つ思い出しました。彼は確かライナー医院に通っていたような」
「ライナー医院?」
「チャールズ・ライナー氏。
昨年の末頃に辞めてしまいましたが、この近くで開業医をしていた方ですよ。
確か『彼』が……ライナー医院の閉院時間になってしまうからと、話を切り上げて辞去した記憶がありまして」
「ほう。
なるほど、医者ならいろいろと記録を残してるかも知れんな」
『彼』の名前を記した資料が消えてしまっていることは冒険者ギルドで確認済みだ。
だが、もし、名前を書いていない書類があれば……たとえば数枚まとめて綴じた資料のうち一枚にしか名前が書かれていないとしたら、残りの資料から『彼』についての情報が得られるかも知れない。
あるいは診察室での世間話などで個人的なことを聞いて、ゲメルなどよりもよほどよく『彼』を知っているかも。
「助かった」
「いえいえ、これぐらいは何と言う事もありませんよ。
ところでティム様、うちのマネージャーをあなたのパーティーで使ってみる気はありませんか?」
「考えとくよ。優秀だってことは分かった」
「ありがたき幸せ。
……ああ、それと。逃げるならお早めに」
話の締めくくりとでも言うように、イヴァーは爆弾を放り投げてきた。
席を立とうとしたところでティムは、縛られたように動きを止め、無音で息を呑むような間を取った。
どんなルートで情報を掴んだか分からないが、イヴァーの言葉が意味するところは明らかだ。
『マルトガルズが攻めてくるから逃げろ』と。
「お前はいいのか?」
「私はマルトガルズの出身です。
あちらには伝手がありますので、どうとでも」
「なるほど、分かった。助言に感謝する」
「どうか王女様にもよろしく」
「あいつをそう呼ぶんじゃないぞ。
どっから調べてくるんだ、そういうの」
「企業秘密です」
内心を読みがたい営業スマイルのイヴァーに、ティムは熟練冒険者の余裕で応じた。
「……冒険者のマネージャーか……」
ルシェラはじっと会話を聞きながらも、『マネージャー』なる仕事に想いを馳せていた。
何故か、その概念に惹かれるような。
何かを、思い出せそうな。
――『遂に冒険者ライセンスまで取ってしまったのか。全く、君の勉強熱心さには頭が下がるよ』――
褒められたのだと、少なくとも自分は思っていた。
――『君がそこまでして私を助けようとしてくれるのはとても嬉しい……
でも、敢えて言いたい。私みたいな無茶な生き方をしている者に付いてくるのは並大抵じゃないよ。もう無理だ、と思ったらその時は……』――
照れ隠しみたいな、苦笑交じりの労い。
恩を返したかった?
役に立ちたかった?
もちろん、それもある。でも、違う。それだけじゃない。
戦う力の無い自分であっても、マネージャーという立場でさえあれば、共に……
「ルシェラ? もう行くぞ?」
ティムに呼びかけられてルシェラは、幸せで悲しい物思いから醒めた。
ルシェラの頭の中で消えることの無い炎が、灰の中から浮かび上がる記憶を、舐めるように焼いていた。







