≪3≫ “七ツ目賽”
ルシェラがドラゴンの巣で目を覚ますより少し前。
クグセ山を望む街、クグトフルム。
パーティー“七ツ目賽”が拠点として用いている、二階建ての貸家の一室にて。
「くそっ! 結局一番のお宝は逃しちまったか」
金貨袋を前に悔やむゲメルの姿があった。
もちろんこれは大金だ。しかし、狙い通りにいっていたら金貨袋はこの四倍くらいの大きさになっていたはずなのだ。
「そう言うなよ、貴重な薬草がどっさり手に入ったじゃねえか」
「ああ、さすがドラゴンの山だぜ」
逃した魚を悔やむゲメルに対して、残りのメンバーたちはホクホク顔だ。
クグトフルムはクグセ山に最も近い街。
山から流れ落ちる川による水運と農業によって栄え、湯治場としても有名だ。
だが、クグセ山そのものにはほとんど手を付けていない。洞窟だろうが遺跡だろうが平気で飛び込んでいくのが冒険者というものだが、街にある冒険者ギルドの支部は山への立ち入りを禁じている。
理由はまず、レッドドラゴンが住み、強力な『変異体』の魔物が跋扈するクグセ山は危険過ぎるという単純なもの。
もう一つの理由は、クグセ山の利権に関して北側の国マルトガルズと南側の国セトゥレウが互いに主張し、政治への不介入を原則とする冒険者ギルドはどちらの国の組織も山に手を出しがたくなっていたからだ。もっとも、この対立に関しては、お互い山に入れない状況なので棚上げされている部分もあるのだが。
ともあれ、立ち入り禁止の危険地帯と言われようが、そこは資源の宝庫。
金に目が眩んだ密採者はしばしば立ち入り、しばしば死んでいる。
“七ツ目賽”は運が良かった方だ。五人で入り、四人が資源を持ち帰って大儲けできたのだから。
彼らは心がけの悪いパーティーで、あくどい金儲けをすることがしばしばあった。
出所を明かしたくない品物を、足が付かないように換金する手段もよく知っていた。
その成果が、この金貨袋だった。
「雑用係一人と引き換えにこれが手に入ったなら、いい商売だったろ」
「ああ、あの…………」
笑いながらメンバーに言われて、リーダーである巨漢のゲメルは自分もヘラヘラと笑う。
だが、そこで急に真顔になった。
「なあ、あいつの名前、なんだっけ?」
「はあ?」
「おいおい、いくら能無しの寄生虫野郎だったからって……」
沈黙が、流れた。
“七ツ目賽”はマネージャーを雇っていた。
冒険者パーティーのマネージャーというのは、実のところあまり聞かない役職だ。だが『彼』はあちこちのパーティーに、自分をマネージャーとして雇ってくれないかと申し入れていた。
ゲメルが『彼』を雇ったのは、単に、パーティー拠点として借りた家の掃除をする使用人が必要だと思っていたからだ。
『彼』はよく働いた。
マネージャーを自称するだけあって、雑用だけではなく冒険者ギルドへの手続きなどもこなした。
そのためゲメルは、雑用係に相応しい程度の給料は払ってやっていた。
ただ辟易したのは、『彼』が冒険者としての仕事にまで口を挟んできたことだ。『あれは危ない』『これは止せ』と儲け話をふいにするようなことを言ったり、逆に面倒くさい仕事を受注してきてゲメル自ら突っ返したこともある。これから依頼で戦う魔物について調べてきて、実戦では役に立たないような知識まで偉そうにベラベラ開陳していた事もあり、ぶん殴って黙らせるかゲメルは度々悩んだ。
『彼』は戦う才能が無かった。魔法も使えなかった。
なのに一流の(ゲメルは自分を一流だと思っている)冒険者と一緒に仕事をすることで、自分まで腕っこきの冒険者になったつもりで気取っているのだろうと思い、ゲメルたちは『彼』を寄生虫野郎と呼んでいた。
そんな寄生虫野郎も、何故だかクグセ山行きに自ら志願して同行し、そして、犠牲となった。
最期にようやく冒険者らしいことができて『彼』も本望だろうとゲメルは考えていた。ゴミのような奴だと思っていたので、殺したことは特に気に病んでいない。
そいつの、名前が、思い出せない。
「あれ? 思い出せねえ」
「俺もだ……」
「んな馬鹿な。あいつの名前っつったら…………あれ?」
全員、二日酔いの朝みたいな顔をしていた。
冒険中に不気味な目に遭ったことは何度かあったが、それとはまた別種の不気味さがあった。
過程はどうあれ“七ツ目賽”は『彼』と一年以上の付き合いだ。それが、名前を思い出せないなんて。
「あいつの冒険者証、あったよな?」
「あ、ああ、そうだな。名前が書いてあるはずだよな……」
ゲメルは部屋の隅に置いてあった背負い鞄から銀色のプレートを引っ張り出した。
冒険者ギルドが発行している冒険者証だ。
そこには所有者の名前と、『ステータス』と呼ばれる数字が刻まれている。もし冒険中に白骨死体を見つけても、そこに冒険者証が落ちていれば誰の死体か分かるという寸法だ。
冒険者たちの間には『ステータス』という概念がある。
これは個々人の能力を数値化したもので、かつて栄華を誇った古代文明の住人たちが、何らかの遊戯に用いていたという能力算定技術を遺物から再現したものだ。
冒険者ギルドが発行する冒険者証には、いつからかこの技術が取り入れられ、所有者の能力を数字化して自動で表示するようになっている。
冒険者ギルドが『ステータス』の概念を採用したことで、冒険者たちの実力は、確かにある側面では可視化され誤魔化しが利かなくなった。それは依頼をする側にとっても管理をする側にとっても一定の基準となり、冒険者自身にとっても自らを誇示する格好の材料となった。
しかして、数字に反映されない技能が軽視される傾向に繋がったとの指摘もあったのだが……
その冒険者証が、おかしな事になっていた。
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名前 ■■■■■
Lv3
HP 27/27
MP 0/0
ST 0/60
膂力 10
魔力 0
敏捷 11
器用 10
体力 11
抵抗 14
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煤のように冒険者証表面に浮かんでいるはずの、『彼』の名前。
それがまるで塗りつぶしたように消えていた。
「なんでまだHPが残ってるんだ? 死んだならゼロのはずだよな?」
「いや、それより名前のところ……おかしいだろ、なんでこんなことになってるんだ?」
四人は『彼』の冒険者証を覗き込んで息を呑む。
「冒険者証って古代人のオモチャだったんだろ? そんなワケ分かんないもんなら、想定外の事態でぶっ壊れ……」
「ンなチャチなもんじゃねえぞ、これは」
名前を確認しようとしたのに名前の表示が壊れていた、というのも気に掛かるが、それ以上にゲメルが気にしたのは『HP』の表記だ。
『HP』というのは生命力の数字化だ。身体に損傷を負えば数字が減り、それがゼロになることイコール死だ。
ゲメルは確かに『彼』を突き刺して殺したはず。よりよい餌になるよう敢えてトドメを刺さなかったが虫の息だった。あのまま死ぬのが当然だったはずだ。
「あの野郎、回復薬でも隠し持ってたな」
「ど、どうすんだよ! あいつが生きて帰ってきたら俺らは……!」
「落ーちー着ーけ! 奴が何処に置き去りにされたか忘れたか?」
狼狽えるメンバーをゲメルは一喝する。
「仮に生き延びたとしても魔獣かドラゴンの餌になるだけだ。まだ生き延びてるって事は、どっかに隠れてるのかも知れねえが、だとしたら飢えて死ぬだけだ。
俺たちはこいつを観察して、HPがゼロになる時を待てばいい。そしたらその時こそ、大儲けの祝杯を挙げようぜ」