≪27≫ 服
服の生産も、魔動機械を導入した工場生産が行われるようになって久しい。
お陰で現代を生きる庶民はそれなりに安価に服を手に入れられるようになった。
「あの、ビオラさん」
「なんでしょうか!」
もちろん、個々人に合わせて作るオーダーメイドの形式は高級品として残っているが、『サイズ』という概念が生まれたことで既製品の販売がされるようになり、量販店には防寒着から靴下まで沢山の衣類が置かれるようになり、客はその中から好きなものを選んで買えるようになったのだ。
「…………なにこれ」
「おパンツ」
そんな店の奥の、ロッカールームみたいにちょっと広い女性用試着部屋にて。
ルシェラはビオラが持ってきた服とにらめっこしていた。
正確にはその中にあった、とてつもなく布地面積が少ない純白のおパンツと。
いや布地面積が少ないというのはあくまでもルシェラの感覚だ。
女性用の下着は総じてこんなものなのかも知れないし、今は子どもの身体なのだからこれで丁度良い……の、かも知れない。
「ルシェラちゃん本当に山の外で育ったの?
文明社会の人間って普通は下着を身につけるものじゃないです?」
「えーとそこは非常にややこしい事情があると申しましょうか」
――元は男だったんだよ俺ーっ! こんなん履いたことねーっつーの!
魂の叫びはルシェラの頭の中だけでこだましていた。
毛皮も外套も脱いですっぽんぽんになったルシェラは、その薄っぺらで頼りない下着にそっと足を通す。身体にピッタリ纏わり付くような形のそれは、未知のこそばゆさだった。
「謎の密着感……」
「ドロワーズも試してみます? 身体を覆う面積は増えちゃうからノーパンの教義からは遠ざかるかも知れないけど密着感は薄れるかも」
「人をノーパン教の信者みたいに言わないでください」
「下着は試着不可だけど全部買ってあるから心配しないでくださいね。どうせ何枚か必要だと思うし」
ビオラはダボダボの短いズボンみたいな下着を投げ渡してきた。
花びらのように繊細で柔らかな印象の白いドロワーズは、前側の部分にワンポイントとして小さな赤いリボンが付いていた。
打って変わって、今度は大きすぎる。
とりあえず履くだけ履いてみたところ、素肌に直接薄いズボンを履いてるような奇妙な感覚だ。
あと長めのズボンやスカートでないと確実に裾が見える。
ついでに渡された『上』の下着は、幸いにも男性用のシャツとあまり違いは、無い、かと……思われたが、なんだか緩い気がした。
よく見ると胸の部分だけ少し余裕を持たせてある。薄っぺらな布地は胸の下で縫い分けられて袋状に膨らみ、そんなスペースが不要なルシェラの肉体にも若干の丸み幻想を与えていた。
――このいかにも子どもっぽいダサカワイイ下着……なんで何も履いてないよりヤバい格好してるような気分になるんだ……?
ルシェラは得も言われぬこそばゆい恥ずかしさに襲われていた。
これなら毛皮を巻いて生活している方が気楽だ、絶対に。
「服はこんなもんでいかが。この辺の地方だと女の子の普段着ってだいたいこれですし」
ビオラはちょっと目を離した隙に試着室を出て服を持ってきた。
まず部屋着にもできそうな簡素な白ワンピ。
その上から、長い布の真ん中に穴を開けて貫頭衣状にしたものを被り、細い帯で腰の辺りを留める。上着となるそれは、赤を基調にしたタータンチェック柄だった。
なんだかよく分からないうちにルシェラに服を着せたビオラは、その成果を見て目を輝かす。
「良い……! とても良い!
ワイルドな毛皮の服も荒々しさと一種の無垢さを感じさせて良いものでしたがやはり!
いかにも女の子らしい普段着の醸し出す幼気さは唯一無二! これが一番似合うことでしょう!」
ウェインの制止が無い女だけの空間で、ビオラはいつもより何割増しかの勢いで喋っていた。
「どうしても赤色を入れたくなりますねえ。髪も赤いから被っちゃうのに。
と言うわけでいかがでしょうお母様」
「ええと……」
服のことなど分からないカファルは、ビオラの所業を傍で見ているだけだった。
ドレスアップされたルシェラの姿を見て、彼女はまじまじと目を丸くする。
「るしぇら、すごい。
ちがう、にんげん、みたい、だけど、るしぇら」
彼女はそっとルシェラに触れ、梳かされて少し整えられた髪を撫でた。こそばゆかった。
「ご本人の感想は」
「毛皮より軽くていいけど……足下がヒラヒラして落ち着かない……」
「ほら鏡!」
自分がどんな服を着ているかなんて身体を見下ろせば分かると思っていたルシェラだが、ビオラに鏡の前まで引っ張ってこられて、息を呑む。
華やかに赤く彩られた美少女がそこに居た。
ビオラの評価は誇張でもなんでもなく、鏡の中の少女は透き通るように美しく。
「………………可愛い」
衝撃のあまり思わず呟き、それからルシェラははっと我に返った。
ビオラは眼鏡を光らせてにんまり笑っている。
「ち、ちが、違うって! そういうのじゃなくて!」
「可愛いじゃないですか。何か問題が?」
「これじゃ俺、ナルシストみたいじゃんか……」
「可愛いものは可愛いでしょう。事実は正しく認識しなきゃ」
可愛いものは可愛い。それは確かに真実かも知れない。
しかし、自分自身の可愛さを感じ取るというのはルシェラにとって未知の感覚だった。未だかつてないほど心臓がドキドキしている。
「かわ、いい?」
カファルが首をかしげる。
「そうですとも。
抱きついてスリスリしたくなるような愛おしく見えるものを『可愛い』って言うんです。
まあこの言葉には多くの用例と定義がありまして……」
「るしぇら、かわいい!」
「むぎゅる!」
カファルは胸からぶつかってきてルシェラにタックル、もとい抱きしめた。
そしてビオラが言った『抱きついてスリスリ』を名案だと思ったらしく、その通りの行動をする。
「かわいい、かわいい、かわいい」
「あの、ちょっと、そのくらいで……」
全力でカワイイを満喫していたカファルが、ふいに醒めたように動きを止めた。
何事かと思えば彼女はルシェラに抱きついたまま、ルシェラが脱いで畳んだ毛皮を見ていた。
「けがわ、きらい?」
「や、別にそんなことなくて!」
ルシェラはぶんぶんと首を振る。
――そっか、これカファルがくれて、ずっと着てたものだしな……街に来たからってポイされたらいい気はしないか。
カファルがくれた毛皮のお陰で、ルシェラは凍えずに済んだし、山中での全裸生活を回避して自尊心を保つことができた。
だが、それはそれ。さすがに人の街であんな格好をして出歩くわけにはいかない。
「ほら街の人はみんなこういう格好してるし……
人は、って言うか人間は、場所に応じて着るものを変えなきゃならないの。
毛皮を巻くだけっていうのは人前でする格好じゃなく、だから、山の中だったらあれでもいいし」
「うん……」
弁明、したつもりだったのだけど。
カファルはそれでも浮かない様子だった。
――あれ? 問題点はそこじゃなかったのか?
抱きつく手は、縋るようでもあった。
「ほらほらさあさあ見てもらいに行きましょう! やっぱり私の眼鏡に狂いは無かった!
普段着でも誰もが振り返るような無敵の美少女が完成ですよ!」
「『目立たない』って目的はどこに行ったの!?」
二の足を踏むルシェラを、ビオラは強引に試着室から引っ張り出した。
雑貨店のように棚が並んだ店内には、小物ではなく既製品の服が陳列されており、丁度何人かの客がいた。
ビオラの声を聞いてふとルシェラの方を見た女が息を呑み、通りすがりかけた品出し中の店員がルシェラの方を二度見して、買う物に迷っていたらしい親子連れは即断でルシェラと同じ服を手に取った。
――無敵の美少女って……無敵の美少女ってぇー!?
顔から火が出そうなほど恥ずかしい。
何か失敗をしたわけでも、みっともない格好をしているわけでもないのに。そうではない恥ずかしさも存在するのだと、ルシェラは新たな世界の扉を開いた。
「盛り上がってんな、お前ら」
「あ、ティムさん」
ゲメルを問い詰めに行っていたはずの鎧男が店の隅にいて、女どもの買い物を待っていたウェインと話していた。
ティムはルシェラの姿を見て、いぶし銀の微笑を浮かべた。
「おお、こりゃまた可愛らしい。驚いたぞ。
……って、どうした?」
「いや、その……控えめな反応がかえって客観性を感じて逃げ道塞がれた感が……」
「逃げ道? 何のだ?」
ルシェラは褒められて、嬉しいよりも脱力した。
「……えーと、『彼』については何か分かりました?」
「ああ、丁度ウェインとその話してたんだ」
ひとまず服のことは忘れて本題に集中することでルシェラは恥ずかしさを遠ざけようと努力した。
「『彼』についてゲメルが言うにゃ、プライベートの事情なんて興味を持ったことも無いし話されたことも無いから知らねえと。
んで『彼』の名前を忘れたのも、記録が消えちまってんのも、他の奴と同じみたいだ」
「そこまで何も知らないって、メンバーに対して冷たくねえ?」
ウェインは『信じられない』と言うように大げさに肩をすくめる。
何かの目的のため一時的に結成されたパーティーなら別として、長く一緒に居るのに互いの事情が分からないというのは珍しいことだ。
……と、ルシェラは何故か知っていた。
冒険者のパーティーは一蓮托生。命を預け合う相手の事情を全く知らないというのは余程の事情があるのか。
「俺はもうギルドで聞いてたんだけど、『彼』はな、“七ツ目賽”のマネージャーだったんだと」
「マネージャー?」
「ギルドへ出す手続き書類の作成とか、諸々の雑用とか、そういうのをこなす立場だったんだってさ。
だからそのために冒険者資格を取ってパーティーに所属してるけど、自分はクエストに出るわけじゃない。それで“七ツ目賽”のメンバーからも『彼』は準メンバーって扱いだったらしい」
なるほど、共に戦うメンバーではなく、使用人として雇っていただけならそういうこともあるかも知れない……
と、思いかけたルシェラだが、それはそれでやっぱり何かおかしい。
「……変じゃありません? 名無しの『彼』はクエスト中に魔物に襲われて死んだんですよね。
戦わないはずのマネージャーがどうしてクエストに?」
「だよなあ……
ゲメルが言うには去年の夏頃、双頭空鮫の討伐依頼を請けた時にやられたっつー話で、何故かその日だけ『彼』は付いて来たがったらしい。
実際に“七ツ目賽”はその時期に依頼を請けてんだけど、なーんか怪しいんだよなあ」
「つまり……本来の死因を隠すために討伐依頼を受諾して、『そっちで死んだ』という表向きの説明をでっち上げたかも知れないと」
「考えたくもねえけどな」
ごくりと誰かが息を呑んだ気がした。
陰謀めいたニオイが漂い、話が変な方向に転がっている。
「まあ今の目的は『彼』の死因を調べることじゃない。そこに不審点があるなら調査はギルドの仕事。
俺らの目的は『彼』の足跡を追ってドラゴン語通訳の情報を集めることだ」
「本当に居るのかよ、ドラゴン通訳……『彼』とやらのフカシじゃねえだろうな?」
「『彼』は嘘をつくような奴じゃなかったらしいが」
なかなか手掛かりが掴めないことで、ウェインは早くも焦れている様子だった。
ルシェラも『彼』を知らないので何とも言い難いが、間近でドラゴンと接してきた者としての感想を言うなら、あんな難解な言語を人がどうやって覚えられるのかよく分からず、通訳の存在には半信半疑ではある。
「そういやゲメルが、お前のこと……」
何か思い出した様子でティムが何か言いかけて、それから首を振った。
「いや、何でもねえ。ただ興味があっただけだろう」
「ん? そっか」
ルシェラは特に深く気にしなかった。
私は仏教由来の言葉とか人名由来の言葉とか現実の単位とかも『異世界語を日本語に翻訳してるからこうなるんだよ!』というノリでぶっ込んでしまうのですが、『洋服』は大抵迷った末に言い換えます。
単に『服』と言うよりも音の響きは素敵なんですけどね、おようふく。
(なお、この方針はどこかで必要があれば変わる可能性もあります)







